皆さんこんにちは、堅城一兵です。


今日は、但馬から排出された2人の登山家を紹介します。

まず1人目は加藤文太郎です。
1905(明治38年)~1936(昭和11年)
但馬の国、現在の新温泉町(旧浜坂町)出身。
住まいのあった神戸の六甲山を縦走します。
彼のスタイルは、足には地下足袋というのが有名でした。
数々の山に登頂しますが、
1936(昭和11年)、パートナーの吉田富久と共に、
槍ヶ岳北鎌尾根にて遭難し、帰らぬ人となります。(30歳)
その登山スタイルは、後に新田二郎の「孤高の人」という小説に描かれます。




また後年、故郷浜坂(現新温泉町)に石碑が建てられます。


加藤文太郎が急逝した5年後、同じ但馬の日高町(現豊岡市)で、
植村直己(1941~1984)は誕生します。
豊岡高校から明治大学へ進んだ植村は、山岳部へ入部し、
その後皆さんご存知の、数々の偉業を成し遂げていく事になるのです。
1984年、冬のマッキンリー単独登頂成功の後、
遭難をして他界されました。
現在、市内には植村直己冒険館という施設が建設されており、
毎年、その年顕著な活躍をされた冒険家に植村直己冒険賞が贈られています。

若い頃から、加藤文太郎を心の師と仰いでいた植村は、
彼への強い憧れから、登山~冒険の道へと進んで行ったのですね。


という訳で今日はここまで…次回をお楽しみに…