「Sunset Boulevard」1975年3月10日~13日の録音。
アルバム「TODAY」で発売されました。
カントリー調の曲が多かったように思います。
シングル曲では、歌詞のスピードがものすごく速い「TROUBLE」が収録されてますね。
「Sunset Boulevard」は当時の正規盤「TODAY」の音源からオーバーダビング分を取り除き、あたらにリミックスされてます。
DISC1の後半が1975年マスター。
DISC2の後半が1975年OUTTAKE。
以下はCD付属の冊子を翻訳しました。(GOOGLE翻訳は『』付き部)
『RCAは1974年12月にエルヴィスを
スタジオに入れようとしたが、
健康上の問題で計画は頓挫した。
1月も健康上の問題が続き、
数日間入院したが、エルヴィスは
1月8日の40歳の誕生日には
自宅で過ごした。
3月1日のグラミー賞授賞式で、
エルヴィスは最優秀
インスピレーション・パフォー
マンス賞(ノンクラシック部門)
を受賞した。受賞作品は『メンフィス・
ライブ・オン・ステージ』
収録の「ハウ・グレート・ザウ・
アート」だった。
授賞式はニューヨークで行われ、
当然のことながら
エルヴィスは出席していなかった。
数日後、彼は3月18日から
始まるベガス公演のリハーサルを
始める
ため、ロサンゼルスに向かった。
ロサンゼルス到着からベガス公演
初日まで
の間、エルヴィスは
RCAスタジオCで3晩を過ごし、
次のアルバムの
レコーディングを行った。
彼のロードバンドは既にRCAで
リハーサルを
行っていたので、
セッション中も彼らを残して
おくのは理に
かなった判断だった。
バックボーカルはドニー・
サムナー、シェリル
・ニールセン、
ティム・ベイティの3人組だった。
プロデューサーのフェルトン・
ジャーヴィスは
オリジナル曲を
1曲提供していたが、他の曲は
どちらかといえば、
あまりにも馴染み深すぎた。』
このSunset Boulevardでは私の
大好きな曲の
「And I LOVE YOU SO」で
新しい発見がありました。
バックボーカルはドニー・サムナー、
シェリル・ニール
セン、ティム・ベイティの良い
ハーモニーが聴けますね。
下記のYOUTUBEの音源ですが、
よく聞こえません。
CD音源をオーデイオで聴くと、
感動します。
しかし、正規盤「TODAY」では
ハラデー姉妹とカーカムの
女性の声に差し替えられて
いるような気がします。
それそれはそれで良い歌声
なんですが。。。
『ドン・マクリーンがファースト
・アルバムのために
「And I Love You So」を
レコーディングした当時、まだ
「アメリカン・パイ」で
頭角を
現していなかった。RCAのチェット
・アトキンスがこの曲を
見つけ、
当時ナッシュビルでレコーディング
していたペリー・
コモに合うと考え、
コモの最後のヒット曲となった。
この曲は他にも数人の
アーティストに
よってレコーディングされて
いるため、エルヴィスが
どこでこの曲を
耳にしたのかは定かではない。
彼はセッションに恋人のシーラ・
ライアンを連れて行き、
彼女を見ながらこの曲を捧げた。
「これは君に捧げるよ、ベイビー」。
この曲は彼のショーの
定番となった。
「そう、人生がどれほど孤独な
ものか、僕は知っている/
影が僕を追いかけてきて、夜も
僕を自由にしてくれない」という
歌詞が深く心に響いたことは明らかだ。』
また、これまた「Bringing it
back」でも良いハーモニーです。
しかし、YOUTUBEの音源はCDより
劣ります。下記を聴いていただいた方には
申し訳なく思います。
『「Bringin' It Back」は、
オーク・リッジ・ボーイズがまだ18歳
だった頃にメンバーだった
グレッグ・ゴードンの曲だ。
ゴスペルグループ。オークスが
1970年代初頭にこの曲を録音・
発表した。ブレンダ・リーは
エルヴィスより2ヶ月早く録音したが、
彼女のバージョンはまだ
リリースされていなかった。ゴードンが
ヴォイスで歌っていたことで、
この曲がエルヴィスに伝わったのだ。 「グレッグには当時、とても
信心深いガールフレンドがいたんです」と
ショーン・ニールセンは語る。
「彼女は彼が私たちと一緒に
歌うことを望んでいません
でした。私が仕事を見つけて
リハーサルの予定を入れると、
グレッグはまた辞めてしまうんです。」
ゴードンは後にプロのバックシンガーになった。』
『RCAはこのアルバムに「Today」
という、何の変哲もない
タイトルを付けました。
カバー写真もまた、ステージ上の
ジャンプスーツ姿の写真でした。
少なくとも2年前のこの写真は、
タイトルとはかけ離れていました。』
下記が「TODAY」。
『エルヴィスからパーカー大佐、
そしてRCAへと、想像力の危機が
広がっていました。パーカーは
おそらくエルヴィスを主に
パフォーミング・アーティスト
として捉え、それを裏付ける数字も
持っていたのでしょう。
しかし、私たちの視点から見ると、
エルヴィスのレコーディング
こそが彼の遺産でした。
健康状態の悪化や、ラスベガスの
乾燥した空気と煙の充満した講堂での
演奏による悪影響にも
かかわらず、エルヴィスの声は健在でした。
初期のしなやかな歌声は深みへと
変わっていました。
あらゆるジャンルの
ソングライティングの技術がより
深化するにつれ、
エルヴィスは自分が選んだ曲に、
より深く自分自身を注ぎ込むことが
できました。
しかし、自身の卓越性を再び
確立するためには、
新曲の中から最高の曲を最初に
選曲する権利を得る必要が
ありました。
結局のところ、彼はエルヴィス
だったのです。』
最後の『結局のところ、
彼はエルヴィスだったのです。』
はGOOGLE翻訳からも意味がよくわかりません。
原文は「HE was ,after all,
Elvis Presley」でした。




