森の中で眠ってしまった大樹が目を覚ました時には、もう辺りは明るくなっており、雨も上がっていた。
目は覚ましたが立ち上がる体力も、気力も無かった、辺りは明るくなっていても大樹の心境は何も変わっていない、真っ暗なままだ。
「おーい!」
遠くから誰かを呼んでいる様な声が聞こえる、そしてその声はだんだんと大きくなってきた。
「おい! 大丈夫かあんた!」
やがて耳元で大きな声がする、40歳位の男性が、大樹の肩を揺すりながら声を掛けていた、大樹は返事をするつもりは無かったが、その不快さに思わず、んぐ、うぐぅ、と喉を鳴らした。
「よがった、生ぎでるな、おーい! こっちだって、戸っと一個外して持って来てくれ、戸だって、とーびーら!」
男が手を振って誰かを呼んでいる、やがて男が呼んでいた方からその男と同年代位の男が4人、そのうち1人は雨戸を持ってやってきた。
雨戸を持ってきた男は倒れている大樹の直ぐ横にその雨戸を置いた、雨戸がしっかり固定されている事を確認すると男達は協力して大樹を雨戸に乗せる、そして、えいっという掛け声と共に持ち上げて大樹を運んでいった。
大樹を雨戸の上に乗せて運んでいる男達は皆、現代の物とは思えないような格好をしていた、それはまるで時代劇に出てくる百姓の様な格好だ、足だって履いているのは靴じゃなくて草鞋だ。
男達は大樹を落とさない様、慎重に山道を歩いて行く、山道を抜けて開けた場所に出る、そこは時代劇の中の様な景色だった。
中央に藁葺き屋根の家が6軒程あり、その近くにいくつかの小屋がある、その周りに水田や畑が広がっている、そして家と畑を真ん中から二つに割るようにして中央に細い道が通っていた。
男達はその中央の道を歩いて行く、その様子を見て畑の中にある広場の様な所で遊んでいた子供達が駆け寄ってきた。
「その人、オロチ様にやられちゃったの?」
駆け寄った子供の1人が心配そうに聞く。
「いんや、大丈夫だよ、この人はただ迷子になってこごさ来ただげだ、さ、お前達は遊んできなさい」
それを聞いて子供達は、はーいと返事をして広場へ戻って行く、子供達の格好も、大樹を運んでいる男達同様に現代のものではなかった、時代劇で見たような服に、草履、中には裸足で遊んでいる子供も居た。
男達は畑の間を抜け、家の間を進んで行く。
「村長さんさ言ってくるはんで」
男のうち一人がそう言って、道から外れて奥の家に向った、残った男達は大樹を乗せたまま進んで行く。
家の間を抜け、水田の間を抜ける、水田の隣には未開拓地なのだろうか、切り株が残っており、その先には背の高い木が残っていた、道は背の高い木が残る森の様な場所の中まで続いている。
その森の様な場所を通り抜けると、今度は先程までの江戸時代の農村の様な風景とは打って変わって近代的な建物があった。
コンクリートで固められた地面の中に真っ白な壁の建物、建物の脇にはヘリポートの様な場所もある。
男達は大樹をその建物の中に運び込み、しばらくすると建物から出てきて、それぞれ農作業をしに村へ戻っていった。
――大樹が目を覚ましたのはベッドの上だった、部屋の中を見回すと、そこは病院の一室のようだ、予想外の光景に慌てて起き上がろうとする、しかし、足に痛みが走り思わず声を上げてしまった。
その声を聞いてか、看護婦の様な格好をした女性が部屋に入ってきた、そして直ぐ部屋から出て行って声を上げる。
「先生! 起きました」
俺はゆっくりと起き上がり、ベッドに座ったまま病室の入口の方を見ていた、廊下を歩く足音が近づいて来る。
しばらくすると50歳位の白髪で短髪、そして白衣を着た男性が部屋に入ってきた、先生と呼ばれていたところを見ると医者なのだろう。
俺は足の痛みで立ち上がる事が出来なかった為、ベッドに座ったままその医者の方を向いた、後に続いてさっきの看護婦も部屋に入ってくる。
「目を覚ましたか、大丈夫かね? 足は少し捻っていた様だったから痛むならまだ立たない方がいい」
そう言って部屋の隅に置いてあったパイプ椅子を持って来て広げるとベッドの脇に座った、医者は続けて言う。
「早速で申し訳ないが、君はどういう理由でこの村に来たのかね? 聞くところによると森の中に倒れていたそうだが」
俺は答えに困った、特に理由があった訳じゃない、というかこの村に来るつもりではなかった、どこに行くつもりでもなく、ただ森を歩いていただけだ。
「言いたく無いかね」
そう言って、ギシッ、と音を立てて椅子に深く腰を掛け直す。
「いや、そういう訳じゃないんですが、理由は無いというか、別に村に来るつもりでもありませんでしたし」
俺は慌ててそう言った、医者は続けて聞いてくる。
「ふむ、では何で森の中に?」
「それは……」
言えなかった、いや、言いたくなかった、黙って俯いていると医者は言った。
「まぁ構いませんよ、1人で森の中を歩きたくなる事もあるだろう、名前と住所だけ教えてもらえんかね?」
「えと、加藤大樹です、樹、は樹木の樹、住所は東京の……」
「ではご実家は?」
「実家はありません、県内の児童養護施設で育ちました」
医者は少し驚いたような様子を見せた、看護婦は俺が言った事をメモしているのだろう、慌しく手を動かしていた。
「わかりました、ゆっくり横になってください、足もひどかったですが体の方はもっとひどい、しばらく何も食べてなかったでしょう?」
「すみません」
そう言って俺は言われた通りベッドに横になった、直ぐに看護婦が食事を持ってきてくれた、俺は起き上がって礼を言いながら頭を下げた。
「胃もだいぶ弱っているはずなのでゆっくり食べてください」
看護婦はそう言い残すと部屋から出て行った、俺はお椀に盛られた味噌汁を口に含んで飲み込む、食道を通って胃の中に広がって行くのが分かった、温かい、看護婦の忠告も忘れ、あっと言う間に用意された食事を食べ終わった、食べ終わると俺はまたすぐ眠ってしまった。
病室の中で目を覚ました、何時間眠っていたのだろう、外は明るい、昼間のようだ、食器は片付けられていて、棚の上には俺の掛けていた眼鏡が置いてあり、ベッドの脇にスリッパが置いてあった。
俺はそっとスリッパに足を入れて立ち上がる、少し痛んだが歩けない程ではない、棚の上に置いてあった眼鏡を取り、それをかけると俺は、足に負担を掛けない様にゆっくりと歩いて病室を出た。
病室を出て左右の廊下を見渡す、誰も居ない、取り敢えず廊下を歩きだした、しばらく歩いていると声が聞こえる、俺は声が聞こえる方に向った。
病院の待合室の様な少し開けた場所にテーブルと椅子が置いてあり、そこに医者と看護婦が居た、医者が俺に気付いて声を掛けてきた。
「お、もう歩けるのかい」
「ええ、少し痛みますが大丈夫です、ありがとうございました」
「何か食べるか? 大したものは無いが」
「いえ、あ、お水だけいただけますか?」
それを聞くと看護婦は立ち上がってコップに水を入れて持って来てくれた、看護婦の忠告を無視して用意された食事を眠る直前に一気に食べた為、今は少し胸焼け気味だったのだ。
看護婦からコップを受け取り、近くにあった椅子に座る、コップの水を一気に飲み干すと俺は言った。
「すみません、ご迷惑をお掛けして、えっと」
「いやいや、構いませんよ、私は村上浩次、先生って呼んでもらっても構いません、皆そう言ってますし、この村には他に先生は居ませんから、こちらは看護婦の鈴木、鈴木早苗さん」
「鈴木早苗です」
鈴木さんは立ち上がって丁寧に挨拶した、俺も立ち上がっておじぎをする、その様子を見ながら先生は言った。
「1人で立ち上がれるなら大丈夫だと思うけど、後1日ゆっくりしていきなさい、あと、今日おしっこした? まだだよね?」
「え?」
俺はビックリして聞き返した。
「おしっこだよ、してないでしょ? 念の為にね、検査するから、鈴木さんお願いね」
「こちらです」
鈴木さんは立ち上がって手招きをした、俺は慌てて立ち上がって追いかける、紙コップとスポイトを受け取るとトイレに入った。
鈴木さんに言われた通りに受け取った紙コップに尿を入れ、スポイトで目盛の所まで吸い取る。
尿検査は会社の健康診断で何度かやっていたが、自分1人となると、なにやら恥ずかしい、トイレから出ると鈴木さんが待っていた。
「ではそれはそこに置いてください、採血しますからこちらへ」
俺は言われるまま、鈴木さんが示した椅子に座る、鈴木さんは慣れた手つきで俺の腕をゴムの様な物で縛り、消毒し、小さい注射器で血液を抜き取る。
「はい、終わりです、お疲れ様でした」
そう言いながら、鈴木さんはたった今抜き取った血液を小さい試験管の様な物に移していた、俺は渡された綿で注射器を刺されたところを押さえながら、自分が出てきた病室に向った。
病室に入るとベッドに座って溜め息をつく、あまり考えていなかったが、ここはどこなのだろう、森の中を歩いていて、いつの間にか山を抜けて街の方まで戻ってきていたのだろうか。
しかしこの建物は病院のようで、結構大きいが、村上さんと鈴木さん以外は居ないようだ。
俺はわざと様々な事に考えを巡らす、黙っていると由紀の事を思い出して、呼吸もできないくらい押し潰されそうになってしまう。
忘れたいわけじゃない、でも考えたくは無かった。
気付くと夕方になっていた、鈴木さんが食事を運んできてくれる、俺はお礼を言って食事を受け取るとベッドの脇にある棚に置いた。
病院食らしく肉は無く、野菜中心の食事だが、しっかり味が付いていて美味しかった、だが、こうして病室で食事を取っているとどうしても由紀が居た病室の事を思い出してしまう。
思い出すと頭が締め付けられ、目が回り、食べた物が逆流してくる、手で口を押さえ無理やり飲み込む、そうやって食事を終えると、うつ伏せになり、枕に頭を押し付けるようにして眠った。
目を覚ますと鈴木さんが朝食を持ってきてくれていた。
「朝は支度ができなくて果物だけになりますけど」
そう言って鈴木さんは林檎とバナナを棚の上に置いた、それを見てまた目が回って吐き出しそうになる、俺は手で口を押さえながら言う。
「すみません、バナナだけにしてもらえますか」
鈴木さんは少し驚いたような顔をしたが、棚の上から林檎を手に取ると病室から出て行った、俺は胸に手を当てながら呼吸を整える。
呼吸が整うと、俺は棚の上からバナナを取って皮をむき、口に運んだ、吐き出しそうになるのを堪えて飲み込む。
バナナを食べ終わってしばらくベッドの上で休むと、スリッパを履いて病室を出る、足はもう殆んど痛まない、昨日、村上さんと鈴木さんが居た待合室の様な場所に行ってみたが誰も居なかった。
俺は給湯室に行き、コップに水を汲んで飲んだ、そうしていると待合室の方から声がした、俺はコップを置くと待合室に向った。
待合室には昨日と同じ様に村上さんと鈴木さんが座っていた。
「おはようございます」
俺は挨拶をして椅子に座る、村上さんが話し掛けてきた。
「もう、大丈夫みたいだね」
「おかげさまです、ありがとうございました」
「まぁお昼は食べていきなさい、えっと服はどうしたっけな? 鈴木さん」
「では病室の方に置いておきます」
鈴木さんはそう言って立ち上がると廊下の奥の方へ歩いていった。
「ここはどこなんでしょう?」
俺は昨日寝る前に疑問に思っていた事を聞く、村上さんは少し困ったようにして口を開いた。
「ここはな、訳あって外の社会とは離れて暮してる人が生活しているところだ、まだ村の方は見ていないだろうが、大人と子供合わせて15人位かな、そしてここはその人達の為の病院だ」
「訳って、何ですか?」
「大樹君も理由はわからないが、外の社会に居たく無くて森の中に入ったんだろう? それと同じ様な事だよ」
村上さんは視線を外してそう答えた。
「わかりました」
確かに誰にでも言いたくない事はある、そう思って俺は答えた、俺の方に視線を戻すと村上さんは続けて言う。
「お昼を食べたら村の方に行ってみるといい、その村の人が森の中で倒れてた君を見つけて、ここまで運んでくれたんだ、村長さんの家はこちらから行けば、確か一番手前の左奥にあったはずだ」
「えーと、村長さんの名前は?」
「重蔵さんだ、確か漢字は、重なるに蔵、だったかな」
そこまで話したところで鈴木さんが昼食を運んできた、俺はお礼を言ってその昼食を食べる。
食べ終わって病室に戻ると、ベッドの上には俺が着ていた服が綺麗にたたんで置いてあった。
今着ている服を脱いでそれに着替える、ベッドの脇には靴も置いてあった、シャツを着て、ズボンを履き、ベルトを締めると靴を履いた。
病室から出て待合室に戻ると村上さんと鈴木さんが待っていた、病院の入口まで一緒に歩いて行く、病院の入口のところで俺は頭を下げて丁寧にお礼を言った。
「色々とありがとうございました」
村上さんは頷いて応える、俺は道を歩き出した、少し行った所でコンクリートの地面が途切れている、そこで振り返って手を振った。
目は覚ましたが立ち上がる体力も、気力も無かった、辺りは明るくなっていても大樹の心境は何も変わっていない、真っ暗なままだ。
「おーい!」
遠くから誰かを呼んでいる様な声が聞こえる、そしてその声はだんだんと大きくなってきた。
「おい! 大丈夫かあんた!」
やがて耳元で大きな声がする、40歳位の男性が、大樹の肩を揺すりながら声を掛けていた、大樹は返事をするつもりは無かったが、その不快さに思わず、んぐ、うぐぅ、と喉を鳴らした。
「よがった、生ぎでるな、おーい! こっちだって、戸っと一個外して持って来てくれ、戸だって、とーびーら!」
男が手を振って誰かを呼んでいる、やがて男が呼んでいた方からその男と同年代位の男が4人、そのうち1人は雨戸を持ってやってきた。
雨戸を持ってきた男は倒れている大樹の直ぐ横にその雨戸を置いた、雨戸がしっかり固定されている事を確認すると男達は協力して大樹を雨戸に乗せる、そして、えいっという掛け声と共に持ち上げて大樹を運んでいった。
大樹を雨戸の上に乗せて運んでいる男達は皆、現代の物とは思えないような格好をしていた、それはまるで時代劇に出てくる百姓の様な格好だ、足だって履いているのは靴じゃなくて草鞋だ。
男達は大樹を落とさない様、慎重に山道を歩いて行く、山道を抜けて開けた場所に出る、そこは時代劇の中の様な景色だった。
中央に藁葺き屋根の家が6軒程あり、その近くにいくつかの小屋がある、その周りに水田や畑が広がっている、そして家と畑を真ん中から二つに割るようにして中央に細い道が通っていた。
男達はその中央の道を歩いて行く、その様子を見て畑の中にある広場の様な所で遊んでいた子供達が駆け寄ってきた。
「その人、オロチ様にやられちゃったの?」
駆け寄った子供の1人が心配そうに聞く。
「いんや、大丈夫だよ、この人はただ迷子になってこごさ来ただげだ、さ、お前達は遊んできなさい」
それを聞いて子供達は、はーいと返事をして広場へ戻って行く、子供達の格好も、大樹を運んでいる男達同様に現代のものではなかった、時代劇で見たような服に、草履、中には裸足で遊んでいる子供も居た。
男達は畑の間を抜け、家の間を進んで行く。
「村長さんさ言ってくるはんで」
男のうち一人がそう言って、道から外れて奥の家に向った、残った男達は大樹を乗せたまま進んで行く。
家の間を抜け、水田の間を抜ける、水田の隣には未開拓地なのだろうか、切り株が残っており、その先には背の高い木が残っていた、道は背の高い木が残る森の様な場所の中まで続いている。
その森の様な場所を通り抜けると、今度は先程までの江戸時代の農村の様な風景とは打って変わって近代的な建物があった。
コンクリートで固められた地面の中に真っ白な壁の建物、建物の脇にはヘリポートの様な場所もある。
男達は大樹をその建物の中に運び込み、しばらくすると建物から出てきて、それぞれ農作業をしに村へ戻っていった。
――大樹が目を覚ましたのはベッドの上だった、部屋の中を見回すと、そこは病院の一室のようだ、予想外の光景に慌てて起き上がろうとする、しかし、足に痛みが走り思わず声を上げてしまった。
その声を聞いてか、看護婦の様な格好をした女性が部屋に入ってきた、そして直ぐ部屋から出て行って声を上げる。
「先生! 起きました」
俺はゆっくりと起き上がり、ベッドに座ったまま病室の入口の方を見ていた、廊下を歩く足音が近づいて来る。
しばらくすると50歳位の白髪で短髪、そして白衣を着た男性が部屋に入ってきた、先生と呼ばれていたところを見ると医者なのだろう。
俺は足の痛みで立ち上がる事が出来なかった為、ベッドに座ったままその医者の方を向いた、後に続いてさっきの看護婦も部屋に入ってくる。
「目を覚ましたか、大丈夫かね? 足は少し捻っていた様だったから痛むならまだ立たない方がいい」
そう言って部屋の隅に置いてあったパイプ椅子を持って来て広げるとベッドの脇に座った、医者は続けて言う。
「早速で申し訳ないが、君はどういう理由でこの村に来たのかね? 聞くところによると森の中に倒れていたそうだが」
俺は答えに困った、特に理由があった訳じゃない、というかこの村に来るつもりではなかった、どこに行くつもりでもなく、ただ森を歩いていただけだ。
「言いたく無いかね」
そう言って、ギシッ、と音を立てて椅子に深く腰を掛け直す。
「いや、そういう訳じゃないんですが、理由は無いというか、別に村に来るつもりでもありませんでしたし」
俺は慌ててそう言った、医者は続けて聞いてくる。
「ふむ、では何で森の中に?」
「それは……」
言えなかった、いや、言いたくなかった、黙って俯いていると医者は言った。
「まぁ構いませんよ、1人で森の中を歩きたくなる事もあるだろう、名前と住所だけ教えてもらえんかね?」
「えと、加藤大樹です、樹、は樹木の樹、住所は東京の……」
「ではご実家は?」
「実家はありません、県内の児童養護施設で育ちました」
医者は少し驚いたような様子を見せた、看護婦は俺が言った事をメモしているのだろう、慌しく手を動かしていた。
「わかりました、ゆっくり横になってください、足もひどかったですが体の方はもっとひどい、しばらく何も食べてなかったでしょう?」
「すみません」
そう言って俺は言われた通りベッドに横になった、直ぐに看護婦が食事を持ってきてくれた、俺は起き上がって礼を言いながら頭を下げた。
「胃もだいぶ弱っているはずなのでゆっくり食べてください」
看護婦はそう言い残すと部屋から出て行った、俺はお椀に盛られた味噌汁を口に含んで飲み込む、食道を通って胃の中に広がって行くのが分かった、温かい、看護婦の忠告も忘れ、あっと言う間に用意された食事を食べ終わった、食べ終わると俺はまたすぐ眠ってしまった。
病室の中で目を覚ました、何時間眠っていたのだろう、外は明るい、昼間のようだ、食器は片付けられていて、棚の上には俺の掛けていた眼鏡が置いてあり、ベッドの脇にスリッパが置いてあった。
俺はそっとスリッパに足を入れて立ち上がる、少し痛んだが歩けない程ではない、棚の上に置いてあった眼鏡を取り、それをかけると俺は、足に負担を掛けない様にゆっくりと歩いて病室を出た。
病室を出て左右の廊下を見渡す、誰も居ない、取り敢えず廊下を歩きだした、しばらく歩いていると声が聞こえる、俺は声が聞こえる方に向った。
病院の待合室の様な少し開けた場所にテーブルと椅子が置いてあり、そこに医者と看護婦が居た、医者が俺に気付いて声を掛けてきた。
「お、もう歩けるのかい」
「ええ、少し痛みますが大丈夫です、ありがとうございました」
「何か食べるか? 大したものは無いが」
「いえ、あ、お水だけいただけますか?」
それを聞くと看護婦は立ち上がってコップに水を入れて持って来てくれた、看護婦の忠告を無視して用意された食事を眠る直前に一気に食べた為、今は少し胸焼け気味だったのだ。
看護婦からコップを受け取り、近くにあった椅子に座る、コップの水を一気に飲み干すと俺は言った。
「すみません、ご迷惑をお掛けして、えっと」
「いやいや、構いませんよ、私は村上浩次、先生って呼んでもらっても構いません、皆そう言ってますし、この村には他に先生は居ませんから、こちらは看護婦の鈴木、鈴木早苗さん」
「鈴木早苗です」
鈴木さんは立ち上がって丁寧に挨拶した、俺も立ち上がっておじぎをする、その様子を見ながら先生は言った。
「1人で立ち上がれるなら大丈夫だと思うけど、後1日ゆっくりしていきなさい、あと、今日おしっこした? まだだよね?」
「え?」
俺はビックリして聞き返した。
「おしっこだよ、してないでしょ? 念の為にね、検査するから、鈴木さんお願いね」
「こちらです」
鈴木さんは立ち上がって手招きをした、俺は慌てて立ち上がって追いかける、紙コップとスポイトを受け取るとトイレに入った。
鈴木さんに言われた通りに受け取った紙コップに尿を入れ、スポイトで目盛の所まで吸い取る。
尿検査は会社の健康診断で何度かやっていたが、自分1人となると、なにやら恥ずかしい、トイレから出ると鈴木さんが待っていた。
「ではそれはそこに置いてください、採血しますからこちらへ」
俺は言われるまま、鈴木さんが示した椅子に座る、鈴木さんは慣れた手つきで俺の腕をゴムの様な物で縛り、消毒し、小さい注射器で血液を抜き取る。
「はい、終わりです、お疲れ様でした」
そう言いながら、鈴木さんはたった今抜き取った血液を小さい試験管の様な物に移していた、俺は渡された綿で注射器を刺されたところを押さえながら、自分が出てきた病室に向った。
病室に入るとベッドに座って溜め息をつく、あまり考えていなかったが、ここはどこなのだろう、森の中を歩いていて、いつの間にか山を抜けて街の方まで戻ってきていたのだろうか。
しかしこの建物は病院のようで、結構大きいが、村上さんと鈴木さん以外は居ないようだ。
俺はわざと様々な事に考えを巡らす、黙っていると由紀の事を思い出して、呼吸もできないくらい押し潰されそうになってしまう。
忘れたいわけじゃない、でも考えたくは無かった。
気付くと夕方になっていた、鈴木さんが食事を運んできてくれる、俺はお礼を言って食事を受け取るとベッドの脇にある棚に置いた。
病院食らしく肉は無く、野菜中心の食事だが、しっかり味が付いていて美味しかった、だが、こうして病室で食事を取っているとどうしても由紀が居た病室の事を思い出してしまう。
思い出すと頭が締め付けられ、目が回り、食べた物が逆流してくる、手で口を押さえ無理やり飲み込む、そうやって食事を終えると、うつ伏せになり、枕に頭を押し付けるようにして眠った。
目を覚ますと鈴木さんが朝食を持ってきてくれていた。
「朝は支度ができなくて果物だけになりますけど」
そう言って鈴木さんは林檎とバナナを棚の上に置いた、それを見てまた目が回って吐き出しそうになる、俺は手で口を押さえながら言う。
「すみません、バナナだけにしてもらえますか」
鈴木さんは少し驚いたような顔をしたが、棚の上から林檎を手に取ると病室から出て行った、俺は胸に手を当てながら呼吸を整える。
呼吸が整うと、俺は棚の上からバナナを取って皮をむき、口に運んだ、吐き出しそうになるのを堪えて飲み込む。
バナナを食べ終わってしばらくベッドの上で休むと、スリッパを履いて病室を出る、足はもう殆んど痛まない、昨日、村上さんと鈴木さんが居た待合室の様な場所に行ってみたが誰も居なかった。
俺は給湯室に行き、コップに水を汲んで飲んだ、そうしていると待合室の方から声がした、俺はコップを置くと待合室に向った。
待合室には昨日と同じ様に村上さんと鈴木さんが座っていた。
「おはようございます」
俺は挨拶をして椅子に座る、村上さんが話し掛けてきた。
「もう、大丈夫みたいだね」
「おかげさまです、ありがとうございました」
「まぁお昼は食べていきなさい、えっと服はどうしたっけな? 鈴木さん」
「では病室の方に置いておきます」
鈴木さんはそう言って立ち上がると廊下の奥の方へ歩いていった。
「ここはどこなんでしょう?」
俺は昨日寝る前に疑問に思っていた事を聞く、村上さんは少し困ったようにして口を開いた。
「ここはな、訳あって外の社会とは離れて暮してる人が生活しているところだ、まだ村の方は見ていないだろうが、大人と子供合わせて15人位かな、そしてここはその人達の為の病院だ」
「訳って、何ですか?」
「大樹君も理由はわからないが、外の社会に居たく無くて森の中に入ったんだろう? それと同じ様な事だよ」
村上さんは視線を外してそう答えた。
「わかりました」
確かに誰にでも言いたくない事はある、そう思って俺は答えた、俺の方に視線を戻すと村上さんは続けて言う。
「お昼を食べたら村の方に行ってみるといい、その村の人が森の中で倒れてた君を見つけて、ここまで運んでくれたんだ、村長さんの家はこちらから行けば、確か一番手前の左奥にあったはずだ」
「えーと、村長さんの名前は?」
「重蔵さんだ、確か漢字は、重なるに蔵、だったかな」
そこまで話したところで鈴木さんが昼食を運んできた、俺はお礼を言ってその昼食を食べる。
食べ終わって病室に戻ると、ベッドの上には俺が着ていた服が綺麗にたたんで置いてあった。
今着ている服を脱いでそれに着替える、ベッドの脇には靴も置いてあった、シャツを着て、ズボンを履き、ベルトを締めると靴を履いた。
病室から出て待合室に戻ると村上さんと鈴木さんが待っていた、病院の入口まで一緒に歩いて行く、病院の入口のところで俺は頭を下げて丁寧にお礼を言った。
「色々とありがとうございました」
村上さんは頷いて応える、俺は道を歩き出した、少し行った所でコンクリートの地面が途切れている、そこで振り返って手を振った。