季節はもう夏に入っていた、強い日差しの中、セミの鳴き声が聞こえる、300メートル程歩いただろうか、道は森の中に続いていた、森の中は日差しが遮られ少しだけだが涼しかった、俺は道の脇の草の上に腰を下ろす、額から汗が垂れてきた。
 額から垂れてくる汗をシャツで拭き取る、辺りは明るかったが、1人でこうして座っていると嫌な事を思い出して目の前が真っ暗になり、頭が締め付けられ、胸が苦しくなり、呼吸が荒くなる。
 俺はそんな感覚を吹き飛ばすように、えいと気合を入れて立ち上がる、もう一度額から垂れてくる汗をシャツで拭きとって歩き出した。
 森を抜けると、また強い日差しが体をジリジリと焼く、道の左右には切り株と、切り倒してそのままの木が転がっている、その未開拓地の様な場所の直ぐ後には水田が広がっていた。
 水田の間を歩いて行く、水田の奥には藁葺き屋根の家が建っており、道はそっちの方へと続いていた。
 ふと水田の方に視線を移すと人が居るのが目に入った。
 農作業をしているのだろうか、その農作業をしている人もこちらに気付いたようだ、大きく手を振って言った。
「おおーい、もうよくなったんかーよかったのー」
 誰なのか分からない、病院へ運んでくれた人だろうか、俺も大きく手を振って応えた、それを見て声を掛けてきた人はまた農作業を始めた。
 よく見ると反対側の水田からも農作業をしながらこちらを見ている人が2人居た、声は掛けずにこちらを見て何かを話しているようだった、少し嫌な感じがしたが構わず俺は水田の間を歩いて行く。
 近くまで来ると家は思ったより大きかった、屋根の下や庭には野菜等が吊るしてある、かなり古風な感じだが、古ぼけたような感じは無い、俺は村上さんに聞いた通り、左の奥にあるという村長の家に向かった。
 一番奥の家の前に着く、特に他の家と変わったところは無いがここが村長の家なのだろう、俺は中に入って言った。
「すみませーん! 重蔵さんはいらっしゃいますでしょうか」
「おーう、誰じゃー」
 直ぐに返事があった、奥から60歳は超えているだろうか、少し長め白髪で、髭まで白い男が歩いてきた、見た目はかなり高齢なのだが、かなりしっかりとした足取りで歩いている。
 男は家の入口まで来きて俺の姿を見ると顔をしかめた、俺は頭を下げて言う。
「あの、私この間森で倒れていたところを村の人に助けて頂いたようで」
「おーおーおー、あの時の、いやー大丈夫だったんか、よかったよかった」
「ええ、おかげさまで、ありがとうございました」
「もうすぐ村の衆も農作業終わって帰ってくると思うから、ちょっと上がってまってなさいや、カズキ! カーズーキー!」
 重蔵さんは家の外の方に向かって大きな声を上げた。
「はーい、はいはい」
 そう言いながら男の子が走って家の中に入ってきた、俺の姿を見て驚いたように足を止めると歩いて重蔵さんの隣に行く、重蔵さんはカズキと呼ばれた男の子の頭を撫でながら言った。
「ちょっと田んぼとな、畑に行って来て皆に、森ん中で倒れてた人が来たよ、って言って、仕事終わったら、こごさ来るように言って来てくれ」
 男の子は、うん、と返事をすると家の外へ走っていった、その様子を見て重蔵さんは言った。
「ささ、あがって、喉が渇いてたらそこに水があるから、今日は暑いからの」
 重蔵さんが指差した入口の脇の方を見ると大きな壷の様な物が置いてあった、これは水瓶という物だろうか、木で造られた蓋がしてあり、その上には同じく木で作られた柄杓が置いてあった。
 俺はその水瓶に近寄ると、柄杓を手に持ち、蓋をずらして水をすくった、柄杓から口に水を含む、冷たい水が口の中と喉を癒すようだ。
 蓋と柄杓を元に戻すと、靴を脱いで家の中に入る、座布団に重蔵さんが座っている、俺の方にも座布団が置いてあった、あまり見たことが無い、藁で作った丸い座布団だ、俺が座ると重蔵さんは口を開いた。
「先生から聞いてるのかもしれんが、わしの名前は重蔵、この村で村長をさせてもらっておる、まぁ村長といっても、ただこの村の中だば一番年寄りだからそう呼ばれでるだけだがの」
「加藤大樹です、あの、えっと」
 俺は名乗ってこの村に来た理由を言おうと思ったが、特に理由は無い事を思い出し言葉を詰まらせた。
「ふむ、大樹さんか、別に村に来た理由を聞いたりはせんよ、こんな森の中にある村まで1人で歩いてくるってのはよっぽどだろうが、だからこそ言いたぐ無いっていう事もあるじゃろ」
「すみません、この村に来ようとしたのでは無いんですが、森を歩いていて」
 俺はそう答える、そこまで話したところで入口の方から声がした。
「おーう、爺さん、おお、それと若いの、もう大丈夫なんか?」
 声がした方を見ると手ぬぐいを首に巻いた40歳位の男が入ってきた。
「水もらうよ」
 そう言うと男はさっき俺がそうしたよう水瓶の前まで行き、柄杓を取って蓋をずらす、すくった水で手を洗うと柄杓から手に水を移して口に含んだ。
 俺はその様子を見て、ああ、柄杓に口を付けちゃいけなかったと思い少し恥ずかしくなった。
 男は水を飲み終わると男は家の中に入って来て、俺の隣に、どかり、と座ると言った。
「よく見るとやっぱり若けぇな、いくつだい?」
「えと、21歳です」
「っかー、倍ぐらいも違うんだが、たまげだもんだ」
 そう言いながらその男は自分の顔を首に巻いた手拭で拭きながら俺の肩を叩く、その様子を見て重蔵さんは言った。
「大樹さんから見たらシゲさんも爺さんだでば、こちらシゲさん、茂信さんだ」
「シゲさんです、よろしく」
 シゲさんと呼ばれた男は座ったままこちらに向きなおして言った、俺も応える。
「加藤大樹です、よろしくお願いします」
 シゲさんはそれを聞いて重蔵さんの方へ向き直すと話し始めた、聞こえてはいるが言っている事はよく分からない、多分農作業の日程か何かだろう、水を抜くのはいつ頃だとか、今年は少し水が足りないだとかそういう事を話していた。
 しばらくそうしているとぞろぞろと人が入って来た。
 皆、入口の所で手を洗って水を飲むと、先に座っていた俺、重蔵さん、シゲさんに続いて座っていった、俺は座ったまま会釈をしながら見送る。
 全員が座り終わったところで重蔵さんが口を開いた。
「こちら大樹さん、わがってると思うけど、こないだ森で倒れでだ人」
 俺は軽くおじぎをする、重蔵さんは続けて言った。
「まぁそれで大樹さんさえよければなんだけども、村で一緒に生活してもらうっていうのはどんだべ? 勿論、野良仕事とが手伝ってもらう事にはなると思うけれども」
 そう言いながら重蔵さんは俺の方に視線を移した、座っている皆の視線が集まるのを感じる。
 俺は少し迷ったが直ぐに答えは出た。
 東京の会社は何日も連絡していない、今更戻る事は無理だろう、それにもう東京で仕事をする理由は無い。
「こちらこそ、宜しければお願いします」
 俺は立ち上がってそう言うと頭を下げた、その瞬間、パチパチパチ、と拍手が巻き起こった。
「いやー助かるよ、若い男がいなくてね、力仕事するにも今村さ居る年寄りばっかりだばしんどくて」
 そう言って話し掛けてきたのは隣に座っていたシゲさんだ、すかさず座っていた別の男の人が言う。
「そんなのシゲさんだけだべ、女ごの月一みたいに腰痛で腰痛でって言って」
 それを聞いて皆笑う、重蔵さんが立ち上がって言った。
「んだば、今日は歓迎会っていう事で、皆準備してくれ、履く物も、あれだば野良仕事もできねえだろうから、誰が余ってたら草鞋持ってきてくれ、着る物だば確か家にあったはんで」
 それを聞くと皆立ち上がって、家の外に出て行った、重蔵さんは家の奥の方へ行くと何か布の様な物を持ってきて言った。
「はい、これさ着替で」
 褌と時代劇に出てくる農民が着る様な服だ、俺はそれを受け取って部屋の隅の方へ行って服を脱いだ、褌などテレビ以外では見た事も無く、着た事も当然無いが思った感じにそれっぽく着用する。
 違和感はあるが思ったよりしっかり着ることが出来た、褌を付け、着物を羽織ると今まで着ていた物を部屋の隅に寄せた、風通しが良過ぎる気がしたが、夏場のこの季節にはちょうどよかった。
 着替え終わって部屋の中央の方を見ると、何人かの男女が慌しく座布団や食器等を運んでいた、歓迎会の準備をしているのだろう、俺は中央の方へ歩いて行き準備をしている人達に向って言った。
「あの、何か手伝いましょうか」
「いいのいいの、今日はお客さんなんだからゆっくりしてて」
 準備をしている女性の1人が答えた、俺はそれを聞いてまた部屋の隅の方へ歩いて行き座った、入口の方へ目を向けると、釜戸の前に立っている人も居る、料理を作っているのだろう。
 しばらくそうして見ていると、入口の方から大きな声がした。
「はいはい、お待たせー!」
 シゲさんだ、手には一升瓶を抱えている、家の中に入ると真っ直ぐこちらに歩いてきた、座ろうとしたところで、何かに気付いて入口の釜戸の前に行く、茶碗の様な器を2つ持って戻って来た、シゲさんは座りながら言う。
「飲めるだろ? ほら」
 そう言って俺の方に茶碗を1つ差し出した、その瞬間、シゲさんの後ろの方に居た女性が一升瓶と茶碗を取り上げて言う。
「ほら、あんたはお客さんじゃないだから手伝って」
 その女性はそう言うと、シゲさんの腕を引っ張って行った、腕を引っ張られたシゲさんの痛そうな顔に思わず俺は笑ってしまう。
 皆慌しく宴の準備をしている、さっきそこに居たシゲさんも家の奥の方から座布団を持ってきて並べていた。
 やがて料理が出来たのだろう、大きな鍋が作られた座席の中央に置かれる、さっきまで釜戸の前で料理していた女性がこちらを向いて手招きをしている、俺は立ち上がってそちらへ向った。
 案内された席に座る、慌しく宴の準備をしていた人達もそれぞれ座っていた、隣には重蔵さんが座った、皆が座ったのを見届けると重蔵さんが言った。
「さっき聞いだ通り、今日からこの村で生活する事になった、大樹さん、そうだな、だいちゃんだべが?」
 そう言って俺の方を向く、俺は軽く頷いた、重蔵さんは続けて言う。
「それじゃ、そっちの方から自己紹介」
 そう言って、右側に居た人を指した、その人は会釈をしてから言った。
「里恵です」
 順番に次々と挨拶してゆく。
「和夫です」
「茂信、シゲさんです」
「明子です」
「悟です」
「信夫です」
「隆文です」
「智子です」
「夏帆です」
「敏子です」
 全員挨拶し終わるといつの間にか皆手に器を持っている、俺も慌てて自分の前に置いてある器を手に取る、中にはお酒だろうか、透明な液体が入っている。
 重蔵さんは皆器を持っている事を確認するように見回すと言った。
「んだば、今日はだいちゃんの歓迎会という事で、乾杯」
「乾杯!」
 皆そう言って器を上げた、2人、女性が鍋の近くに行って鍋を取り分けてくれていた、その様子を見ながら手に持っていた器に口を付ける、やはりお酒だ、そんなにお酒は好きでは無いので器を前に置いた。
 やがて俺のところにも女性がお椀を持って来てくれた、お礼を言いながらそのお椀を受け取る。
 中身を見ると、キノコ、ジャガイモ、ネギ、ニンジン、ゴボウ等が入っていた、火傷しないようにゆっくりと口を付けた、美味しい、俺はあっと言う間にお椀を空にした、その様子を見て女性が声を掛けてくる。
「おかわり、ありますからね」
「あ、ありがとうございます、えっと」
「里恵です」
「ありがとうございます、里恵さん」
 そう言って俺は空になったお椀を渡す、もう一度いっぱいになったお椀を今度はゆっくりと食べる、そうしていると入口の方から物音がした。
 入口の方を見ると子供が5人、どたどたと走ってきた、その様子を見て男が立ち上がって言った。
「こら! 手を洗ってきなさい!」
 子供達は一瞬、びくっ、として振り向いて入口の方へ戻って行く、水瓶から柄杓で水をすくって手を洗うと家の中へ戻ってきた。
「ほら、わらはんど、こっちさ来て」
 怒鳴った男はそう言って子供達を集めた、子供達は駆け足で男のところに向う、集まったのを見ると男は言った。
「はい、こちら今日から一緒に暮らす事になった大樹さん」
「あ、大樹です、よろしく」
「ほら、おめだぢも」
 子供達は少し遠慮しがちに言った。
「カズキです」
「フタバです」
「シオリです」
「ダイゴです」
「ロクスケです」
 男の子3人、女の子2人、全員挨拶したのを確認すると男は言った。
「はい、おめだぢもお椀持って来い」
 それを聞くと子供達は釜戸の方へ歩いていった。
 お椀を持ってきた子供達は、さっきの里恵さんにお椀を渡して鍋をよそってもらっている、その様子を見ていると隣から話し掛けられた。
「だいちゃーん、全然飲んでないじゃないの」
 シゲさんだ、俺の前においてあるお酒の入った器を指差しながら言う。
「ほらほら、飲んで飲んで」
 そう言って俺に器を持たせる、見るからに酔っ払っている、顔が赤く見えるのは家の中にある照明がロウソクである事だけのせいでは無いだろう。
 俺は勧められるまま器に入ったお酒を飲み干した。
「おおー、いいねえ」
 そう言うと、いつの間にか持ち出した一升瓶を俺の持っている器に向って傾ける、あっと言う間に飲み干したはずの器がお酒で満たされる。
 溢れそうな程に注がれたお酒に俺は口を付ける、半分ほど飲んで器を置いた、その様子を見て女性が俺とシゲさんの間に割って入って言った。
「お客さんに絡んでんじゃないの、酔っ払い」
 確か名前は明子さんだ、シゲさんも返す様に言う。
「いいじゃねぇかよぅ、これから一緒に生活してくんだから親睦を深めてるところなんじゃねぇか」
「はいはい、そんなべろんべろんで親睦だか唐変木だか深めたって明日になったら忘れちまうんだろ、すみませんねぇ」
 明子さんは俺とシゲさんの周りに置いてあったお椀や箸を片付けて、こっちを見ながら言った、俺も酔っ払ってよく回らない口で言う。
「構いませんよ、飲めないわけじゃないですし」
「ほらほら、本人が言ってるんだからいいじゃねぇか」
 シゲさんはすかさず、俺の器にお酒を注ぎこむ、俺は注ぎ込まれたお酒を一気に飲み干した。
 目の前が真っ暗になり目が回る、だが由紀を失ってから何度も感じた感覚とは違ってどこか心地よい。
 俺はそのまま横にゆっくり倒れると俺は眠ってしまった。