目を覚ますと宴の席はすっかり片付けられていた、藁の上に布を敷いて作られたベッドの様な物の上に俺は眠っていた、ゆっくりと立ち上がる。
 二日酔いでふらふらするのを覚悟していたが拍子抜けするほどすっきりしていた、欠伸をしながら軽く背伸びをしてあたりを見回していると入口の方から声を掛けられた、重蔵さんだ。
「おー、起ぎだが、大丈夫な?」
「ええ、大丈夫です」
 俺は目を擦りながら答える。
「シゲさんはいつもああだから、あんたも飲めないなら断っていいはんで」
「すみません、お酒は久しぶりだったもので」
 そう言いながら俺は入口の方へ歩いて行った、靴を置いたはずの場所を見ると代わりに藁で作られた草履が置いてあった。
 俺はそれを履いて水瓶に向かう、柄杓で水をすくって手を洗い、手に水を移して口に含んだ、その様子を見て重蔵さんは言った。
「すまんが頼まれでくれんかな、昨日、水を大分使ってしまったはんで、ちょっと汲んできてくれないがな」
「ええ、いいですよ」
「ありがとさん、じゃぁちょっとこっちさきて」
 俺は重蔵さんの後ろに付いて家の外に出た、重蔵さんが立ち止まると前には木桶が2つ、そしてその上には棒が乗っている、桶はその棒の両端に縄の様な物で付けられている様だ、担ぎ棒という物だろうか。
「はい、これ持って、そこの田んぼの所、真っ直ぐ行って左に行けば水あるはんで」
 重蔵さんは水田の方を指差しながら言った。
「わかりました」
 俺は返事をして担ぎ棒を持ち上げる、思ったよりは軽い。
「はいはい、これ肩さあでで」
 そういうと重蔵さんは手拭を差し出した、俺はそれを肩と担ぎ棒の間に挟んで水田の間の道を歩いて行った。
 歩いていると水田で農作業している人に声を掛けられる。
「おーい、大丈夫かね?」
「大丈夫ですー」
 距離もあり、昨日の今日で誰なのかは分からないが、俺は取り敢えず手を振りながら応える。
 今日も昨日と同じように強い日差しだ、あっという間に額から汗が噴き出してきた、しかし両手は塞がっている為、汗を拭くことはできない、俺は汗を流したまま水田の間を進んで行く。
 水田の間を抜けると重蔵さんに言われた通り左へ進んで行く、少し進むと小さな滝の様な物があった、音を立てながら水が流れ落ちている。
 俺は担ぎ棒を置くと流れ落ちる水の中に手を突っ込んだ、冷たくて気持ち良い、そのまま少し奥、腕まで水の中に入れる、服も濡れるがお構い無しだ。
 水から手を出すと今度は手ですくって口の中に水を含んだ。
「くぅー!」
 思わず声が出る、俺は満足するまで水を飲むと桶に水を入れ始めた、両方の桶に水を入れて担ぎ棒を持ち上げる、いや、持ち上げようとした。
 全然動かない、とてもこれでは家の方まで持って行くのは無理だ、しょうがないなと思い両方の桶からそれぞれ水を半分位捨てた、そしてもう一度さっきの様に担ぎ棒を持ち上げる。
 なんとか持ち上がった、しかし、ちょっとバランスを崩すと直ぐにこぼしてしまいそうだ、俺はゆっくりと歩き出した。
 家の中に入ると倒さない様に気を付けながらゆっくり担ぎ棒を下ろす、腰、いや、背中全体が痛い、腕も同じ様に痛む。
 水瓶の前まで行き蓋を開ける、桶を持ち上げると水瓶に水を移した、両方の桶の水を移し終えると水瓶の中を見た、暗くてよく見えないせいだろうか、あまり水が入っているようには見えなかった。
 何度か汲んで来なければいけない、そう思って空になった桶を担ぎ棒に付け持ち上げる、そしてまた滝に向かった。
 滝に行き、桶に水を入れ、家に戻り、水瓶に移す、それから2度そうした後、また水瓶を見た、半分くらいは入っているだろうか、水瓶は尻すぼみの形になっている、それに最初からいくらか水が入っていた事を考えると。
 俺はそれ以上考えないようにした、まだ始めたばかりだ、少し休憩してからまた行こう、そう思って座り込んだ。
 家の外からセミの鳴き声が聞こえる、額から垂れてくる汗を袖で拭き取る、外の日差しは強かったが家の中は少し涼しかった、俺は目を閉じて一度だけ大きく深呼吸をすると立ち上がった。
 何度滝との間を往復しただろうか、水瓶の中を見るといっぱいになっていた、家の中に入り腰を下ろす、重蔵さんが入ってきて言った。
「おー、お疲れさん、ありがとうよ、ほれ、握り飯貰ってきだから」
 そう言うと手に持っている物を差し出した、お盆の上に大き目のおにぎりが2つ、そして湯飲みが乗っていた、俺はそれを受け取る。
「ありがとうございます」
 そう言っておにぎりを食べた、美味しい、慌てて食べた為喉に詰まる、湯飲みを持ってお茶で流し込んだ、その様子を見ながら重蔵さんは言う。
「食べだら子供達見ででくれないがな、畑の方さ居ると思うがら」
「ええ、いいですよ」
 おにぎりを飲み込みながら応える、食べ終わると重蔵さんに聞いた畑の方へ向かう、家の間を通っている道を抜けて畑に出る、畑に囲まれるような場所にある広場の中に子供達は居た。
 広場の周りの畑では4人の大人が農作業をしていた、こちらに気付くと手を振ってきた、俺も手を振って応える。
 その様子を見て子供達が駆け寄っていた、5人、確か昨日の歓迎会に居たのと同じだ、他に子供は居ないのだろうか。
「大丈夫ぶー?」
 初めに話掛けてきたのは女の子だ、俺は応える。
「大丈夫だよ、えっと」
「シオリです、でも、森の中から来たんでしょ?」
 どうやら昨日酒を飲んで酔い潰れてしまった時の事ではなく、俺がこの村に来た時、森で倒れていた時の事を言っているらしい、村上さんの話では村の人に病院まで運ばれたらしいがその様子を見ていたのだろう。
「ああ、大丈夫だよ、ちゃんと病院で診てもらったし」
「ふーん」
「でもオロチサマに会ったんでしょ?」
 男の子が割って入る様に話し掛けてきた、確か名前はダイゴだ、オロチサマ、大蛇様だろうか、そう思って男の子に言う。
「会ってないよ、オロチサマって?」
「森の中に居てね、森の中に入った人を食べちゃうでっかい蛇なんだって」
 ダイゴは直ぐにそう答えた。
「でもね、村に悪い人がきたり、悪い事が起こったりしないように、守ってくれてるんだって」
 別の男の子がそう言った、確か昨日、重蔵さんの家で歓迎会をしていた時に見た、名前はカズキだ。
 なるほど、昨日、重蔵さんの家で歓迎会をしていた時、少し俺を子供達が警戒していたのは、俺は大蛇様が見張っている森を抜けてきた悪い人、そう思っていたからに違いないだろう。
「そっか、じゃぁ俺は悪い人じゃなかったから大蛇様に会わなかったのかな?」
 そこまで言って俺は思い出した、森の中を歩いていた時、足を滑らせ、気を失う前に見た赤い光の事を。
 あの時はかなり異常な心境だった為、そのせいで見た幻覚だと思っていたが、もしかしてあれが大蛇様、いや、そんなもの居る訳が無い。
「どうしたのー?」
 気付くと心配そうに子供達が見ていた、俺は笑って言う。
「いや、なんでもないよ、それより村長さんに君達と遊ぶように言われたんだけど、何して遊んでるのかな?」
 俺がそう言うと子供達は目を輝かせて言った。
「ほんとー?」
 新しい遊び相手が相当嬉しいのだろう、俺は子供達に手を引かれ広場の中へ進んでいった、
 子供達と鬼ごっこ等をして遊ぶ、だが午前中にやっていた水汲みの疲れもあり、直ぐに休んでしまった。
 広場の隅に座って子供達を眺める、その瞬間、俺は奇妙な感覚を覚えた、いつかは思い出せないが確かにこんな感じの光景を見た事がある、いつ、何処だったろうか、思い出せない、だがこの光景は見た事がある。
「そろそろ帰ろー」
 子供の1人が言う、気付くと辺りは既に薄暗くなっていた、子供達は皆、駆け足でそれぞれの家へ向って行った、さっきまで畑で農作業をしていた人達もいつの間にかいなくなっていた。
 俺は立ち上がると村長さんの家に戻った、水瓶のところに行き、手と足を洗う、水を飲むと家の中へ入っていった。
 村長さんが座って待っていた、俺が座布団へ座ると村長さんは言う。
「お疲れさん、もうすぐ夕飯持ってきでくれると思うから」
 ありがたい、不慣れな重労働に子供達の遊び相手、俺はいままでに無い位お腹が減っていた、しばらくすると入口の方から声がした。
「ごめんください、御飯持ってきたよ、はい、村長さんとあんたの分」
 俺は入口の方へ行って2人分の食事が乗ったお盆を受け取って言う。
「ありがとうございます、えと」
「智子ですよ、よろしく」
「智子さん、ありがとうございます、頂きます」
 俺は軽くおじぎをする、智子さんは軽く手を振って応えた、自分と村長さんの前にそれぞれ食事を並べ、いただきます、と言って口を付けた。
 俺は食事をしながら村長さんに聞く。
「あの」
「ん?」
「今日、子供達に聞いたんですが大蛇様って?」
 村長さんは少し困ったような顔をしたが直ぐに口を開いた。
「この村は、まぁみたらわかると思うが、森に囲まれててな、その森は大蛇の森と呼ばれておって」
 俺は食事の手を止め聞き返す。
「大蛇の森、ですか?」
「んむ、森の中にな、大蛇様っちゅう、でっかい蛇がおってな、村から出る人が居ないか見張ってるっちゅう話だ」
「はぁ」
 俺は唖然とした様子で応える、村長さんは続けて言った。
「だからあんたも、ここに来た時はしょうがないが、これからは森の中には入らない様に気を付けなさい」
「はい」
 子供達から聞いた通りの話だ、子供達が森に入って迷子にならないように大人が作った作り話なのだろうか、だが、そうだとするならば、森の中で見たあの赤い光はなんだったのだろう。
 考えていると村長さんが言った。
「明日は、ちょっど力仕事お願いするはんで、早く寝た方がいい」
「え? はい、わかりました」
 俺は思わず声をあげた、今日の水汲みは力仕事ではなかったのだろうか、どちらにせよ明日もかなり体力を使う事は間違いなさそうだ。
 今朝、目を覚ましたのと同じ藁で作られたベッドに横になる、不慣れな肉体労働の疲れからかあっという間に眠ってしまった。
 翌朝、目を覚まして朝食を食べ終わると、村長さんから鍬を持って水田の奥に行くように言われた。
 俺は村長さんに言われた通り、家の隣にある小屋から鍬を探し、鍬を担いで水田の間の道を通って行く。
 森と水田の間にある切り株の残っている開けた場所、そこに5人の男が居た、男のうち1人が気付くと手を振りながら言った。
「おおーい、こっちだ」
 俺は軽くおじぎをしながら歩いて行く、シゲさんも居る、男たちは皆、鍬やらスコップを持っていた、大体何をするのか想像がついた、きっとこの辺に転がっている切り株を掘り起すのだ、確かにこれは力仕事だ。
「いんやー助かるよ、こうも年寄りばっかだば、力仕事する人いないがら」
 そう言ったのは確か悟さんだ、別の男が笑いながら言う。
「村長さん外せば一番の年寄りが何言ってるんだべ」
 皆笑う、そんな事を言いながら仕事を始めた。
 思った通りの重労働だ、切り株の周りの土を鍬で掘り起こし、切り株の根に縄を引っ掛けて引っ張り出す、5、6個の切り株をそうして掘り起こしただろうかというところで村の方から子供が1人走ってきて言った。
「お昼ご飯できたよー」
「おおーう、じゃぁ飯にするかー」
 そう言ったのはシゲさんだ、皆、水田の奥にある滝の方に行き手から腕を洗う、俺もそれについて行って同じ様に手と腕を洗った。
 皆揃って水田の間の道を通って村の方へ向う、一人の男が話し掛けてきた、確か名前は和夫さんだ。
「いやー助かるよ、若い人が居ないと力仕事はきつくってね」
「いえ、そんなに役に立ってないですよ私は、力仕事なんてずっとしていませんでしたし、休んでばかりで、すみません」
 実際に俺は鍬で土を掘り起こしては休み、掘り起こしては休みしながら仕事をしていた、直ぐに鍬を持つ手に力が入らなくなりそうしなければ鍬を放り投げてしまいそうで危なかったからだ。
 東京で仕事していた時も、仕事を頼まれる事はあっても、こうして頼られる事は無かった為、疲れはしたが心地よかった。
 皆で村長さんの家に向う、家の中に入ると既に食事の準備がしてあった、女性も全員揃っており、子供達も座っていた。
「いただきます」
 そう言って皆一斉に食べ始める、子供達はあっと言う間に食べ終わると、駆け足で外へ出て行った、外から笑い声が聞こえてだんだん遠ざかる、畑のある広場の方へ遊びに行ったのだろう、俺はその様子を見て言った。
「元気ですね、皆さんのお子さんですか?」
「いや、あの子達は訳あって、親が居なくてな、この村の人、皆で協力して育ででるんだよ」
 そう答えたのは村長さんだ。
「そうだったんですか、すみません、皆さん御夫婦かと思ってまして」
「まさか、なーんでこんな飲ん兵衛と結婚するべが、こんなのどするくらいだったら猪と結婚してるじゃ」
 そう言ったのは明子さんだ、シゲさんを叩きながら言う、その様子を見て皆で笑いながら食事を続けた。
 確かに子供達は皆10歳位で、ここに居る大人達の子供にしては少し年齢が合わない人も居る、特に悟さんや敏子さんは50歳くらいに見える、もし子供が居たとしたら俺と同じ位だろう。
 食事を終えると村長さんから昨日と同じ様に子供達と遊んで来るように言われた、俺は食器を洗い、片付けると広場へ向った。
 広場の方に向って歩きながら子供達の事を考えていた、理由は分からないが両親が居ない子供達、自分や由紀、そして施設に居た子供達と同じ様に、そう思うと胸が苦しくなるのを感じた。
 広場へ着くと子供達が駆け寄ってきた、何処かで見たことがある光景、思い出した、自分が施設の庭で遊んでいた頃に似ているのだ。
 俺は駆け足で子供達の輪の中に入ってゆく。