TVゲームの歴史

TVゲームの歴史

TVゲームの歴史と現状、今後について色々と書いていきます。

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PCエンジンは、任天堂のファミリーコンピュータが発売から4年経過し、
その市場を受け継ぐポストファミコンとして開発、
市場に投入され、ファミリーコンピュータやセガ・マークIIIと競合。

後にスーパーファミコンやメガドライブと競合した。
NECグループとしてはコンシューマ初参入ハードで、
ハードウェアとソフトウェアの開発はハドソン
(現・コナミデジタルエンタテインメント)が担当していた。
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ハドソンは今はもうコナミに吸収されてしまいましたね。
しかもコナミはもう真面目にゲーム開発をする気がないのか
数々の揉め事が絶えなく、桃鉄シリーズはもう新作が出る事が
ないみたいですし、メタルギアの開発をしているコジマ監督とも
ものすごい揉めて、今後はどうなるかわからない状態。

しかもコジマ監督が作る予定だったサイレントヒルの新作「仮称PT」
というゲームは体験版が世界中でかなりの好評だったのに
開発中止が発表されたし。

何をしてるんだコナミの上層部は!?
面白いゲームを殺すんじゃねえ。
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PCエンジンは発売当時としては常識を覆す高速・高性能であり、
任天堂のシェアを崩すには至らなかったが、
新規ハードとして一定の普及に成功し国内市場では
1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていた。

コア構想に基づき多くの本体・周辺機器が発売され、
光学ドライブ・CD-ROM・マルチタップなどの機器は
ライバル機種や次世代機でも採用されており進歩的な設計であった。

同時にゲームとアニメが融合した文化を作り上げたゲーム機である。
これは次世代機PC-FXの設計思想の土台にもなっている。


1985年にハドソンで
「プログラマーにとって、もっとゲームが作りやすいハードができないか」
というコンセプトでPCエンジンの開発が企画され、
チップ開発が始まった。

PCエンジンのハード開発企画はシャープやソニーに持ち込んだが折り合わず、
NECホームエレクトロニクスと共同開発する事となった。

ポストファミリーコンピュータとして作られたPCエンジンは、
以下の特徴がある。

ゲームソフトにHuCARDというICカード型のROMカートリッジを採用した。
後に、そのコンパクトな形状を活かした
PCエンジンGTという携帯型ゲーム機も開発された。

PCエンジン本体をコア(核)とし、様々な周辺機器を拡充していく
「コア構想」を展開した。

家庭用ゲーム機としては世界初となる光学ドライブを搭載し、
CD-ROMをゲームソフトとして採用した。

本体と同時発売のマルチタップを用いることで、
最大5人までの同時プレイを可能にした。

PCエンジンと言えばR-TYPEⅠ・Ⅱやイースなどが有名ですけど
自分は「ならず者戦闘部隊 ブラッディウルフ」を一番遊びましたね~。
一体何度クリアしたかわからないほどに遊びました。
かなり秀逸なアクションゲームでした。
R-TYPEⅠ・Ⅱも、もちろん遊び倒しました。
友達の家でこのソフトを見た時の衝撃は今でも覚えています。

あまりのゲーム画面のカッコ良さ、BGMのカッコ良さ、
そして波動砲のカッコ良さに一気に引き込まれましたよ。
すごいいいゲームでしたよね。

何年か前にR-TYPEタクティクスというシミュレーションゲームが
出まして、こちらもいつか遊んでみようと思っています。
メガドライブが発売される以前の1986年頃は、
MC68000の総出荷数は70万個程度だった。

セガは本体コストを抑えるためにモトローラ社や日立をはじめ、
様々な会社と交渉を行なっていたところ、シグネティクス社が68000CPUの
ビジネスを模索しているという情報が入った。

そこで一個400円以下の価格で30万個一括発注の交渉を持ちかけた。
さらに(同社のアメリカにおける「マスターシステム」の100万台以上売った
という実績を元に)「われわれが使えば百万本はいきます。
そのうちの三十万本を、とりあえず発注したい」と交渉し、
一個400円を切る形で確保することができた。

本機のアーキテクチャは、システムC/C2のような業務用システム基板や、
キッズコンピュータ・ピコのような幼児用知育玩具にも一部の仕様を
拡張ないし簡略化した形で流用されている。

メガドライブの発売を機にMC68000の生産数は一気に増え、
同時に量産効果でコストが大幅に引き下げられた。そのため、
当時組み込み用などに安価で出回っていたZ80に変わって
新たにMC68000が組み込み用として採用されるまでに需要が拡大した。
セガは、MC68000の販売と普及に大きく貢献した功績で、
モトローラ社から表彰されている。

サブCPUに搭載されたZ80は従来機との互換性を確保すると共に
音源や外部通信の制御にも使用されている。
本家のザイログ製よりもセカンドソースのシャープ製の方が多く
使用されておりロットによりNEC製などの同等品も使用されている。

また初期型の基板ではメインのMC68000との同期に若干の問題があり
一部のゲームでBGM等の再生が正常に出来ない原因となった。

VDP及びシステムチップの製造は音源チップと同じ
ヤマハでセガ特注の専用品である。
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ヤマハのFM音源はシューティングゲームのBGMなどには
かなりはハマってましたね。
ゲームによってはどうも噛み合わない事も多かったですけど。
効果音が割れたりとか・・。


そして、熱狂的なユーザーのことを特に「メガドライバー」と呼ぶのだ。

これは『Beep!メガドライブ』誌で使用された言葉であり、
同誌ではゲームアーツ、テクノソフト、データイースト、
テンゲン、トレジャーなどが他機種には無い独特のクオリティを持った
「メガドライバー専用」ソフトを供給している企業として特集記事が組まれた。

自分はまさにメガドライバーだった。
『Beep!メガドライブ』は長年に渡って愛読してましたぜ!
トレジャーのゲームはガンスターヒーローズを特に遊んだな~。
弟と二人でとことん遊んだ。

あとライトクルセイダー。
ゼルダみたいなアクションRPGで気合いの入ったグラフィックに魅了されて
買いましたが、難しくてクリアできず諦めてしまったゲーム・・。

トレジャーの『エイリアンソルジャー』ではゲームタイトル画面にメガドライブの
発売当初のコピーである「VISUAL SHOCK! SPEED SHOCK! SOUND SHOCK!」の
文句と共に「FOR MEGADRIVERS CUSTOM」(メガドライバー専用)と表示されました。
熱い。とても熱い気合いを感じる。


メガドライブにはリージョンコードが設定されており、
リージョンチェックのある海外製ソフトは通常では使用できなかった。
しかし、本体基板上のジャンパーをカットすることでリージョンコードの変更ができたため、
その改造を施して海外製のソフトをプレイするユーザーもいた。
その後、リージョンコードを変換する海外製の中間アダプタが輸入されるようになり、
本体を改造する必要はなくなった。

なおリージョンフリーの海外製ソフトについては、ピン配列は同一なので、
カートリッジロック用のアームを除去すればそのまま挿して使用できた。

近年でもメガドライブと異業種とのコラボ商品が発売されている。
2014年末に『メガドライブメガトロン』が発売された。
レッドブル・ミュージックアカデミーが配信した日本のゲーム音楽に焦点を当てた
ドキュメンタリー「ディギン イン ザ カーツ(DIGGIN' IN THE CARTS)」の
エピソード4「クール・キッズ」で「ベア・ナックル 怒りの鉄拳」をはじめとした
メガドライブやセガのゲームミュージックを特集しており、
古代祐三などにインタビューが行われている。

古代祐三といえばスーファミのアクトレイザーの作曲でかなり評判を呼びましたね。
んで最近だと世界樹の迷宮シリーズでの作曲を担当してます。
しかし個人的には古代祐三さんの会社:エインシャントが開発した
メガドラのストーリーオブトアというゲームに思い入れがあります。
このゲームは古代祐三さんが作った曲と効果音が聞きたくて買ったようなものなんで。
ゼルダみたいなゲームですけどさすがにゼルダには適いませんでしたね。
でもけっこう面白かったです。
メガドライブ(MEGA DRIVE)とは、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が
1988年10月29日に日本で発売した16ビットの家庭用ゲーム機である。
メーカー希望小売価格は21,000円。

米国・カナダではジェネシス(GENESIS)という名称で1989年に、
ヨーロッパ・フランス・スペイン等の欧州地域やブラジルなどの南米地域では
日本と同じくメガドライブの名称で1990年に発売された。

セガ・マークIII及びマスターシステムの後継機で、すでに稼働していた
アーケード用SYSTEM16基板をベースに、メインCPUには当時、
SHARPのX68000やAppleのMacintoshなど高級パソコンに多く搭載されていた
高性能CPU MC68000を採用し、またメインCPUの負荷軽減と
下位互換を考慮してサブCPUにはZ80を搭載したデュアルCPU構成。

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この時代にデュアルCPU構成ですよ、やべえかっけー。
いまでこそデュアルCPUなんざ当たり前でクアッドCPUも珍しくないけども
当時でデュアルCPU構成って、尖ってますよね~。
こういう姿勢が好きでしたね、小学生の頃から。
なので自分はファミコンが全盛期の時に、ファミコンではなくメガドライブを
親に買ってもらいました。
メガドライブが初めて自分で持ったゲームハードです。
どうしてもゴールデンアックスがやりたくてね。
面白かったわー。
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別売のメガアダプタによりセガマークIIIとの互換性を持たせている。
このMC68000の採用により、上記のパソコン以外にもAmigaやAtari STなど、
同CPUを搭載していたPCゲームでの開発ノウハウがほぼそのまま使用可能だった。

そのため、当時のプログラマーにとってはスーパーファミコンやPCエンジンよりも
開発や移植が比較的容易だった。

メガドライブを機にゲームアーツ、ウルフ・チームやテクノソフト、エレクトロニック・アーツ、
U.S. Goldなど国内外を問わず多くのパソコンソフトメーカーが
コンシューマーゲーム市場へ初参入している。


当初搭載されたMC68000はセカンドソース生産されたものである。
中期以降はロットによりモトローラ製、日立製、東芝製が混在しており
基本的にHCMOS版のMC68HC000と
これのセカンドソース版の48ピンDIP版である。

最後期の基板では基板自体が完全に再設計され使用されるMC68HC000も
52ピンPLCCパッケージ版となりこちらは殆どがモトローラ製である。

メガドライブ2のMC68HC000は当初より52ピンPLCCパッケージ版であり
ロットによりモトローラ製、日立製、東芝製がある。

こうした日立との縁もあって、のちに発売された
メガドライブ用スーパー32Xや後継機セガサターン
及びドリームキャストでは、日立が開発した
RISC CPU SHシリーズの採用にも繋がった。

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ゲームアーツは本当に気合いの入ったソフトをメガドライブ向けに発売して
ましたよね。
その姿勢に好感が持てた。
ただメガドライブでゲームアーツのソフトを買った事はなかったけど。
その後、セガサターンでグランディアというゲームを買って、
睡眠時間を削るほどにやりこみました。
いやー、あのゲームは良かった。マジで。

テクノソフトも怒濤の気合いが入ったシューティングを出してくれてました。
サンダーフォースⅡ、Ⅲはゲームもすげえ面白いけど
BGMがまたかっこよくてね~、それもあいまって
難しいゲームで血管切れそうになりながらも、めちゃめちゃ遊んだ。
ヘルツォーク・ツヴァイという特殊なゲームも買って
かなり遊びましたよ。
非常に独特なゲームでしたね。

ローンチタイトル直後に発売された『マリオブラザーズ』の後は
2か月以上新作が途絶えていたものの、既出のアクションゲーム4本は全て
アーケード版で実績のある移植作であり、雑誌評価でも好評価を得ていた。
アーケードで既に知名度のあるソフトウェアを移植するこの手法は
宣伝費の削減に貢献した。

当時、汎用ICを搭載していることが多かった他社のゲーム機等と

比較して、グラフィック面に特化して設計されており、
80年代前半のアーケードゲームと比べても
あまり遜色の無いグラフィックを高いフレームレートで描画できた。
(例:スーパーマリオブラザーズ)

販売状況は発売当初こそPPUのバグの発覚による出荷停止があり
振るわなかったものの、徐々に人気化し1年間で300万台以上を販売した。

1985年には『スーパーマリオブラザーズ』を発売。
この作品は特大ヒットとなり本体の販売にも大きく貢献し、
家庭用ゲーム機の市場を大幅に拡大させていった。

同年、アメリカでNintendo Entertainment System
(ニンテンドーエンターテインメントシステム、略称:NES)
として発売され、アタリショック以来冷え込んでいたアメリカの
テレビゲーム産業を復活させた。


最終的な出荷台数は全世界累計で約6,291万台を記録した。
内訳は日本で約1,935万台、日本以外で約4,356万台である。


現在、ファミリーコンピュータの一部のゲームソフトは
Wii・Wii U・ニンテンドー3DSの配信サービスである
バーチャルコンソールでもプレイ可能である。
(ただし、いわゆるポケモンショックの影響により
画面の明度が下げられていたり、点滅表現が抑えられているなどの
修正が加えられたソフトが多数ある。)

バーチャルコンソールでファミコンソフトをいくつか遊んだ事がありますが
やはり昔々のソフトだけあって、正直少しやるとすぐ飽きますよね・・。
ただ、ドラクエやFF、そしてファイヤーエムブレムは
今ファミコン版をやっても楽しめます。
ファミコン版ならではの味があるんです。
わかる人にはわかるはず。

ファミリーコンピュータはゲーム&ウオッチの事業を成功させた
任天堂が、その利益を投入して開発した家庭用ゲーム機である。


当時アーケードゲムで人気を博していたドンキーコングが
見劣り無く家庭で遊べる程度の性能を目標に設定して開発された。

開発は1981年11月頃より、当時業務用ゲーム事業の縮小によって


手の空いていた開発第二部(上村雅之らアーケードゲームの開発陣)が行った。

開発開始の直前にコレコ社がコレコビジョンの試作品を
任天堂に持ち込んでおり、その性能に開発第二部の技術者たちは
驚くとともに、今後開発すべき製品のイメージとして
コレコビジョンを据えた。


「ファミリーコンピュータ」の名前は上村雅之が付けた。
(上村が名称を妻に伝えたところ、
妻は「日本人はファミコンて略すに決まってる」と言ったという)
本当にそうなりましたね。


本体にえんじ色が使われているのは当時の社長の山内溥が
好きな色だったためで、社長命令により決定。
あの、やーさんの親分みたいな社長がえんじ色を好きだったとはね。


8ビットCPUを搭載し、ゲーム機本体のスロットに差し込むロムカセットを
交換することにより様々なゲームを楽しむことができる。
当初はアーケードゲームが家庭で出来ることをセールスポイント
にしており、製品パッケージにも『家庭用カセット式ビデオゲーム』と
銘打たれていた。


本体と同時発売したローンチタイトルは『ドンキーコング』、
『ドンキーコングJR.』、『ポパイ』の3本であるが、
ほどなくして『五目ならべ 連珠』と『麻雀』が発売され、
その名の通り「家族みんなで楽しめる」ラインナップが揃った。


ポパイといえば、「ポパイのえいごあそび」というゲームを
友達に貸してもらって遊んでました。
ただ、これで遊んだからといって英語が得意になる事は
一切なかったですねぇ・・。
かなりハマって遊んでいたので、なかなか返すことができなかったです。

ゲームウォッチは横井軍平が、新幹線の中で暇潰しに電卓のボタンを
押して遊んでいる人を見て、
「暇つぶしのできる小さなゲーム機」として発案。

その後、横井がたまたま引き受けた社長車の代理運転手で、
運転中に雑談ながら社長に話した構想が、会合先で、液晶生産用の新工場を
立ち上げたものの電卓の需要が頭打ちとなり、新たな応用先を探していた
シャープ社長の佐伯旭に伝わり、「電卓サイズのゲーム機」を
作る事に意気投合して一気に具現化した。

当初はビジネスマンなどが通勤途中に遊べるもの、という目的を念頭に、
座った時に手を組んだまま「隠して操作できる」ワイシャツのポケットサイズで
デザインが設計された。

ゲーム内容も横井が「誰もが説明書を読まなくても遊べるゲーム」を目指し、
親指でボタンを押すだけの極力シンプルな操作体系にした「ゲーム付きの時計」
というコンセプトで開発した。

しかし発売後は小中学生が主な購買層となったため、その後はターゲットを変更し、
よりゲーム性が重視されることになった。

なお、同時期に上村雅之がほぼゲームボーイに近いスペックの
ゲームを構想していたが、コスト面などの問題が解消できず、
開発の着手に至らなかった。

共同開発をしたシャープとは光線銃SP時代からの付き合いであり、
その後も親密な関係が続き、ファミリーコンピュータ、
ゲームボーイ、スーパーファミコンなどでも技術面での
提携関係にあり、ツインファミコンやファミコンテレビC1などの
シャープ製ファミコンを発売したり、
シャープ製パソコンで採用されていたクイックディスクや
Hu-BASICをディスクシステムやファミリーベーシックに
採用したりしていた。


この関係がニンテンドーDSのようなハードウェアの誕生に
つながっている。


ちなみに横井軍平 氏は、任天堂 開発第一部部長として、
『ゲーム&ウオッチ 』、『ゲームボーイ 』、『バーチャルボーイ 』等の
開発に携わり、宮本茂 氏と並んで任天堂を世界的大企業へと
押し上げる原動力となった。


そして昔のバンダイから発売された携帯ゲーム機「ワンダースワン」の
開発にもアドバイザーとして参加しています。

ワンダースワン用のパズルゲーム『GUNPEY』は横井 氏の監修によるもので、
ワンダースワン用ソフトとしてはかなりのヒット作となった。


1997年10月 横井軍平 氏は知人男性が運転していた車が前の軽トラックに
追突する事故を起こし、その追突した軽トラックを動かすため車外にでたところ
後続の乗用車にはねられ、搬送された病院で外傷性ショックのため、
56歳で死去されました。

個人的にも非常に残念な思いです。

ゲーム&ウォッチは任天堂開発による初の携帯型ゲーム機です。
ゲームソフトは本体内のROMに書き込まれた「1ハード1ソフト」であり、
その後のゲーム機のようにカートリッジ交換で様々なソフトを
実行することはできない。

タイトルの多くは、難易度が低めのGAME Aと高めのGAME Bの内
どちらで遊ぶかを選択できる(一部例外あり)。

この選択方法はファミリーコンピュータの初期タイトルにも
使用されている。ゲームをしない間は時計として使え、
これが商品名「ゲーム&ウオッチ」の由来である。
後に、アラーム機能も付くようになった。

タイトルにはスヌーピー、ミッキーマウス、ポパイなど他社の
人気キャラクターを採用したものもあった。

手元で遊べる手軽さが受けて社会現象にもなり、
日本での売り上げ総数は1287万個、
日本国外では3053万個で、合計4340万個。

当時の任天堂が抱えていた70億円近くもの莫大な借金を完済し
それでも40億円程の黒字がでるほどの大ヒットを記録
高収益を得る優良企業へと転身を果たしただけでなく、
その黒字をファミリーコンピュータの開発に
投資したことでも知られる。


過去の任天堂はそこまでの借金をかかえてたんですね、いやはや。
任天堂のテレビゲーム路線のきっかけを作ったゲームとも言え、
任天堂の出石武宏や上村雅之らは度々

ゲーム&ウオッチは任天堂のゲームの原点

という発言をしている。


1983年にファミリーコンピュータが発売された事を境にブームは移行し、
1985年2月発売の「ブラックジャック」を最後に日本での発売は終了したが、
それとほぼ入れ違いで日本国外向けに10年以上に渡り開発が進められた。
最後の作品は1991年10月発売「マリオジャグラー」。

またアーケードゲームやファミリーコンピュータの移植版も開発された。
1990年代に入ってから、日本国外のみ発売を含むタイトルが
逆輸入版として日本で発売されたことがあり、
一部の量販店などで輸入トイのような扱いで売られた例もあった。


発売初期のテレビCMは、

「いつでもゲームウオッチ、どこでもゲームウオッチ」

というCMソングに合わせて商品で遊ぶ場面やゲーム画面が映し出され、
最後に「マイクロコンピューターを使ったゲームウオッチ。
ゲームをしない時はデジタル式クォーツ時計です」
のナレーションが入るというものだった。


ゲームウオッチ、小さい頃よく遊んでました。
ドンキーのやつとミッキーマウスのやつを何時間も。
そういえば自分はこういうゲーム機が発売された辺りに
幼稚園の年長や小学1年ぐらいだったので、
ゲームの歴史、流れを全てリアルタイムで体験してきました。

大人になった今でもゲームで遊んでますので。
すっかりおっさんの年齢になりましたが
そういう意味では幸せな感じがします。

「テレビゲーム」とは、1980年に前後して発売されたワイヤードロジック
(電子回路によりゲームを表現する)のゲーム機を指していた。


この時代の製品はICで構成され、提供できるゲーム内容はゲーム機に
よって固定されており、内部の回路をスイッチで切り替え
複数のゲームを提供するものもあったが、ハードウェアも固定である。


例えば専用のコントローラは本体とは不可分であり、
交換は考慮されていなかった。


この辺りの事情は同世代の携帯型ゲーム、いわゆる電子ゲームでも同様である。
確認できる最古のものとしては1957年10月にブルックヘブン国立研究所の
ウィリアム・ヒギンボーサムが一般公開向けの展示物としてオシロスコープを利用した
「電子的」(アナログコンピュータを演算装置とした)なテニスゲーム
『Tennis for Two』を提供したことに始まる。


これは翌年の展示でも大人気を博すものの、
その後機材が他用途に利用されることになったため、後に続かなかった。

この「電子回路によってゲームを構成する」という様式は、
マグナボックスが1972年に発表した家庭用ゲーム機『オデッセイ』も
同様で、やがてそれは雨後の筍のように様々なメーカーから
類似する多種多様な製品がリリースされるに至っている。


なお1972年11月にアタリからリリースされ
商業的に成功を収めた『ポン』(バーやカフェなどに設置された)でも、
基本的にワイヤードロジックでゲームを表現していた。


後にマイクロプロセッサが取り入れられ、
ソフトウェアによってゲーム内容が差し替えられるAtari VCSや、
日本でのカセットビジョンやファミリーコンピュータが発売されると、
汎用型のCPUを搭載してゲームソフトを外部からロムカセットや
光ディスクで供給するタイプのゲーム機が「テレビゲーム」の主流となった。

このカセットビジョンは自分でもやった事があります。
卓球のような簡単な対戦ゲームを友達とやっていました。
任天堂のファミリーコンピュータが発売されると
初代のマリオブラザーズを友達の家で何時間も遊びました。
さらに大ヒットしたスーパーマリオブラザーズが発売されると
友達の家に入り浸るほどやりまして、
その内に親にねだって本体とソフトを買ってもらいました。
懐かしいですねー。


ハードウェア面では汎用のコントローラが用意されているほか、
特定のゲームソフトに特化したコントローラや
その他の周辺機器が外付けできるようになった。


今はスマートフォンでゲームを遊ぶ人がかなりの数を占めており
TVゲームユーザーは減ってきています。

しかし今後、PS4でドラクエやFFの最新作が発売される事が
予定されているのでどうなるかはわからないですね。


任天堂は来年にスマートフォン向けにゲームを出すみたいですし、
そらに任天堂は「仮称NX」というハードをWiiUの後継機として
来年か再来年に発売する予定です。

それから今後、ヘッドマウントディスプレイという
頭に大きな眼鏡のようなものを装着して、
視界全体にゲーム画面が映し出されるものもソニーから発売されます。

それによりゲーム、そしてゲーム業界がどうなっていくのか非常に楽しみです。