岩波新書創刊70周年記念の小冊子「私のすすめる岩波新書」を読んだ。当然、フェアと連動しているから読めるわけで、岩波文庫フェア向け「読書のすすめ」小冊子といい、こういうおすすめ小冊子には毎回お金を惜しまないのが岩波書店。さらに歴史と伝統ある知の宝庫から選び出される新書は、まさに王道そのもの。少し前まで新書は、小冊子と帯で各界の知識人が語っているように、大変頭に汗をかかせるような教養が詰まったものが多く、若い頃、手にして随分、啓蒙したり、難しくて苦しめられたという話だ。そういう新書と出会ったことが、彼らのその後の知的な人生に少なからず影響を与えている。新書の復権回復に岩波新書はかかせないし、質を下げずに良書を出版してもらいたい。

 講談社100周年の書き下ろし100冊の刊行がスタートしている。講談社書下ろしが刺激になったのか今年の文芸書は下半期になってそれも今年も残すところあと1ヶ月という時期にようやくエンジン全開。ここ数日の新刊だけでも売場作りが大変だ。日替わりで売れ筋作家が新刊を出しているからたまらない。桜庭一樹、川上弘美、天童荒太、奥田英朗、桐野夏生など。普段なら1人の作家で充分2、3ケ月は継続して売れる作品を、こともあろうに1ヶ月内に連続刊行。さらに講談社の書き下ろしの本多孝好「チェーン・ポイズン」、吉田修一「元職員」、糸山秋子「北緯14度」がすでに出版済み。ベストセラー作家の乱れ打ち。当然ファンも多いし、売り上げを考えればうれしい悲鳴なのだが、それがほぼ同時に出版されているから、売場の特等席にどれを持っていくべきか毎日たいへん頭を悩ましている。狭いスペースにところせましと読みたい作品がひしめき合っている。

 12月刊行の作品は「このミス」や年間売上ランキングにのらない谷間の存在で、これまでそれほど大きな動きを見せる作品は出版されないのが通例なのだが、さすがに12月が他業界では一番の稼げる月だということを出版社もやっと気付いたようで出し惜しみせずに、新刊刊行しはじめた。文芸書を活性化しているのは間違いなく、不況に強いといわれる出版の強さはここにあると感じている。

アメリカの黒人演説集―キング・マルコムX・モリスン他 (岩波文庫)
¥945
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 オバマが頭から離れない。新刊でオバマ本が多いせいもあるが、思い返すと私の中で黒人のイメージが暴力や差別よりもカリスマ性による記憶が強いせいかもしれない。ジャイアント馬場と死闘を繰り広げたブッチャー、ジャイアンツの最強の4番ウォ-レン・クロマティ、陸上のカール・ルイス、ジャズの巨匠マイルス・デイビス。私の好きな黒人たちである。奴隷制度から始まる黒人差別の長く暗い歴史はもちろん表面的にだけ知っているが、ブラウン管のなかでしか黒人が身近に存在していなかったから黒人差別についていまいちヒントこないのが正直なところである。日本史のなかで日本人が黒人と関わるのはそれこそ、キング牧師やマルコムXらの運動によるところからで、黒人がスポーツ界でアジア人とは桁外れの野生的なパワーやスピードをもっているということから、彼らをある種、ヒーローとして捉えている時点で私は黒人について、黒人差別について無知でありすぎる。そんな理由もあってか「アメリカ黒人演説集」(岩波文庫)を読んだ。

 怒り、偏見、憎しみ、悲しみのすべてが彼らの演説には感じられた。彼らがいなかったら、オバマが大統領になることはなかっただろうし、逆に奴隷解放宣言から黒人差別や暴力を長らくやめなかったアメリカで、黒人のオバマがアメリカ大統領になったことは、それだけアメリカ人が追い詰められ、覚悟を決めたことなのだとわかった。

さがしもの (新潮文庫 (か-38-4))/角田 光代
¥460
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本から生まれる奇跡や不思議な物語を私は信じている。角田光代の「さがしもの」の短編がフィクションであろうがなかろうが、1冊の本や膨大な書物には目に見えない大きな力が働いていると思う。物語における本はいつも脇役で、とくに物語でこうして本が主役になって物語が書かれることは少なかった。読み物として本を手にとって、加えて中身も本の話となるとよほどの書痴でなくては書けないし読めないだろう。エッセイやコラムになると話は別だが、本はもっと物語の中心に据えられていいほどの世界がある。角田氏の書いた本の物語はうんざりしない。焦点を決して会わすことがなく見過ごされていた本が主役になる。

書店に行った時以外にも、もっと本に注目してもらいたい。何気ない日常のなかで本が棚の中で読んでほしいとその存在を動かず訴えていることを忘れないでほしい。

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks)/町山 智浩
¥1,050
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 第44代アメリカ大統領にバラク・オバマが就任して、当然オバマ本を集めてフェアを展開している。予備選からアメリカ初の黒人大統領の予感はあったから、「マイドリーム」など出版されていた。就任後、タイミングよくオバマ関連本新刊が出版されるのも大統領選が話題になることが明らかで、加えて起こった世界金融危機で、一体世界はどうなっていくのかと不安にさらされたことも、アメリカ大統領選により注目が集まった要因だった。新大統領こそ、この混乱した世界の救世主になるではないと期待もあったのだろう。オバマ大統領をはじめ、アメリカに興味が高くなるのは当然で、そのオバマ本フェアのなかでもとりわけ売れているのが「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」である。

 文春でペーパーバックというお手頃感も魅力だし、アメリカ在住のジャーナリスト町山氏のリアルなアメリカルポは驚きの連続だ。超大国アメリカがどんな実体なのか、特に映画やテレビなどのメディアを通じて教えてくれる。イラク戦争のウソも、ブッシュ前大統領の無能さも、マケインの敗戦の理由などやはりアメリカという国の終りが近いのではないかと思ってしまう。きれいに再生できないほどあまりにも汚れきっているアメリカは。それでもオバマがチェンジに成功し、「YES WE CAN」が信じられる世界がくるのだろうか。


老人読書日記 (岩波新書)/新藤 兼人
¥693
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探していた本がほしいときには見つからず、その本のことを忘れていた頃に、ひょっこり古本屋の棚で見つけることがある。その出会いは一時的に忘れたことが、引き合わせたに違いない。ほしい本が山ほどあり、読むのが追いつかない。全部、見つけることも買うことも読むこともできないほどの読書欲は時に頭を悩ませる。だから意識的に忘れるようにしている。特にほしい本は毎日のように頭に浮かんでくる。本当に私が読みべき本というのは、本のほうから現れてくるものだと信じている。
 新藤兼人「老人読書日記」(岩波新書)も本から現れてくれたものだった。映画監督はとりわけ読書家が多く、映画を作るという視点から語られる本の魅力というのは、映画監督ならではで面白い。映画はあまり得意でないが、活字で読む映画評や映画エッセイのなかでも、読書家映画監督の一人であり、映画作品と同じく著作も多い新藤氏の読書日記はそれほど古い新書ではなかったが、本当に読みたかった時には手に入れられなかった。下積修行時代に読んだ本、シナリオ作りで参考にした本、奥さんが亡くなられた頃、孤独と戦いながら読み返した本。まさに本というものは新藤兼人という一人の映画監督の人生の要所で大きな力になっている。

 なにか焦って落ち着きなく本を読んでいては決して感じることがなかった感性と96歳で現役映画監督をしている新藤氏のメッセージが届けられたようであった。黒澤明、小津安二郎、溝口健二など映画監督は作品は変わらず人気が高い。地味ながら映画監督に関する本も人気がある。今、なんといっても96歳で現役映画監督の新藤兼人が面白い。


モダンタイムス (Morning NOVELS)/伊坂 幸太郎
¥1,785
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時は21世紀半ば過ぎ。ジョン・レロンが歴史上の人物になり、徴兵制度が復活したネット検索社会。システムエンジニアとして働く渡辺拓海と同僚大石倉之助。ある日、上司の五反田から引き継いだ出会い系サイト修正の依頼。恐妻をもつ渡辺は浮気がばれそうになり見知らぬ男に襲われ、さらに上司は突然の失踪。行方を捜す中で現れた謎のプログラム。暗号化されたプログラムを解読した先に行き着いた検索ワード「播磨崎中学校」「安藤商会」。それは5年前の播磨崎中学校で起きた生徒惨殺事件。そして伊坂作品の「魔王」で登場した安藤兄弟とつながる謎の組織。このキーワードをただ検索するだけで次々起こる不可解な事件。一体誰がなんのために。国民的英雄の政治家・永嶋丈、著者本人の同名の登場人物、皮肉たぷっりの小説家・井坂好太郎。濃いキャラクターと息をつかせぬ会話文の応酬。偉人の名言迷言。洒落た映画のせりふ。
帯にある登場人物のセリフに「勇気は実家に忘れてきた」「「人生は要約できねんだよ」「善悪なんて見る角度次第」これらが物語のどの場面で挿入されているか想像するだけでもワクワクさせられ、実際に読んだときにその見事さに、これぞ伊坂節と唸ってしまった。
 本屋大賞「ゴールデンスランバー」に並ぶ傑作。漫画家花沢健吾の挿絵入りの特別版も別の機会に読んでみたい。
エンターテイメント小説で新刊が最も待ち遠しい作家の2人がいる。伊坂幸太郎と東野圭吾だ。人気実力申し分ない両雄だが、めったなことでは新刊の出版がかちあうことはなかった。ところが伊坂「モダンタイムス」出版後、すぐに負けじと東野圭吾の一番人気ガリレオシリーズの2冊同時発売で対抗。勝手に私が思っているだけのことで実際、偶然のことなのだろうが、偶然の中に実は本質が隠れているもの。私は、東野作品を読んでいるファンは伊坂作品も読んでいると思っている。私がそうであるし、東野圭吾のキャリアと伊坂のキャリアを比べると伊坂が断然劣るし、この2人を横一線で並べるのはお互いに失礼であるとはわかっている。でも雑誌低迷、業界の不振のなかでエンタメ小説の元気のいいことがうれしくてたまらない。初速の動きも速いし、ファンがほんとに新刊を待ちわびている作家なんだと改めて思った。団塊世代が飛びついた純文学全盛ダブル村上時代に匹敵するエンターテイメント小説の黄金時代が伊坂・東野圭吾によって生まれてきたのである。
単行本が売れないこの厳しいご時勢に、人気作家の単行本が3冊同時に出て売れていること。このことは東の横綱・伊坂幸太郎と西の横綱・東野圭吾の両雄が対決し、伊坂・東野時代を幕開けた記念すべき出来事である。
20世紀の幽霊たち (小学館文庫 ヒ 1-2)/ジョー・ヒル
¥980
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 そろそろ今年も残すところあと少し。まだまだ振り返るのは早いのでやめておくが、間違いなく今年の収穫の1冊である「20世紀の幽霊たち」(小学館文庫)を読む。変幻自在の幻想作品を集めた短編集である。どれも一筋縄ではいかない秀逸な作品ばかりだ。この評判の本の著者ジョー・ヒルがスティ-ブン・キングの息子であることがさらに輪をかけて売り上げを伸ばした要因でもある。スティーブン・キングの作品をどんなに本を読まない人でも知っているはず。数多くの作品を書き、そのうち映像化された作品多数。作家のみならず、読者に圧倒的な支持されるまさにキングである。その息子が書いた作品いやがおうでも読んでみたいもの。偉大なる作家である父と同じ土俵で戦うとは、相当な苦悩とプレッシャーがあると思うが、この作品を読めば、作家では珍しい2代目作家の卓越なる才能に驚くことだろう。ステーブン・キング、そしてジョー・ヒルと繋がる小説。これは才能のある小説家の血統が続いていくという歴史的な事実である。当然喜ぶべきことである。キングのあとはヒルがいる。


 今日、実は読書の日、活字文化の日だった。なにを隠そう今日から読書週間(11月9日まで)の始まりなのだ。おそらくこのことを知っているのは本に関わる業界にいる人か、カレンダーの今日は何の日に小さく載っているいい夫婦の日とかメガネの日とかそんな日があったのかと思ってそれっきり忘れるようなことを覚えている雑学好きな人くらいだ。実際、直接関係がある書店では書店くじというこれまた一般にはなじみの薄い抽選付のくじを配りはじめる日なのだ。書店くじ目当てに本を買いにくる人はめったになく、たまたま買いにきたときにもらってしまったという感じで、年末ジャンボを思いがけずにいただいたときの興奮や期待には到底及ばない。年末ジャンボなら1枚もらっても、もし1億当たったらどうしようかなと一瞬でも考えるはずで、これが書店くじになると1万円の図書カードが当たったら何を読もうかなとは誰も思わない。宝くじと書店くじはくじとしては同じであるが、高額賞金が当たる宝くじと、1等でも海外旅行しか当たらない、それも大きな商店街の福引でも当たるような賞品の書店くじとでは違いがありすぎる。そもそもくらべてはいけないが、書店くじの1等が図書カード1年間使い放題券とか大手出版社から自分の本を出版できる賞とかあったら面白いのになあ。
 読書の日に書店くじ目当てにどっとお客様が押し寄せてくるそんな日がくることを夢見ている。