今日、5月9日は「日章丸事件」の記念日です。
1953年5月9日、イランの石油を積んだ出光興産の日章丸二世が、川崎港に入港しました。
いわゆる「日章丸事件」です。
私はこの話を、中学あるいは高校の時の先生(おそらく、社会科)から聞かされました。
この話は、私が石油に興味を持つきっかけになりました。
当時、イランは油田の所有者であるイギリスの石油会社アングロ・イラニアン石油(BPの前身)を締め出し、石油を国有化しました。
怒ったイギリスはペルシャ湾に海軍を派遣し、イラン石油を積載した外国タンカーは撃沈するとの声明を出していました。
実際、イタリア、スイス共同資本のタンカーはアラビア海で拿捕されています。
イラン石油の禁輸措置、現在、同じようなことをアメリカがやっていますよね。
歴史は繰り返すのですね。
上記のような環境下、1953年3月23日、神戸埠頭から1艘のタンカー日章丸二世が出航しました。
表向きの行先はサウジアラビアでしたが、真の行先はイランの石油積出港アバダンでした。
当初は船長くらいしか行先を知らなかったようです。
日章丸二世はサウジアラビアに行くと見せかけ、突然、進路を変更しアバダン港に入港しました。
発見されれば撃沈、拿捕、機雷に接触などの危険を覚悟した行為には頭が下がります。
真の行先を船員に告げた時には拍手喝采があったようです。
また、アバダンでは熱烈な歓迎を受けたようです。
事実を知った英海軍は、荷物検査、拿捕をするために、急遽、日章丸二世を追跡しました。
あぶなーい

ただし、船長の腕が良かったためか、何とか日章丸二世は逃げ切ることができました。
船長が旧海軍の優秀な方だったという話もあります。
なるほどザ・ワールド
そして、1953年5月9日、日章丸二世は川崎港に戻ってきました。
その後、この件は裁判(イギリス側は積荷の所有権を主張して出光を提訴)となりました。
出光佐三(出光の社長)は、東京地方裁判所の裁判長に対し、「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の一人として俯仰天地に愧じない行動をもって終始することを、裁判長にお誓いいたします。」と述べています。
結果、裁判はアングロ社が提訴を取り下げたため、出光側の勝利に終わりました。
日本国もメジャー独占に対し異論を唱えたのです。
敗戦国であっても、主張することは重要ですね。
これから先は定かではなりませんが、イランのモサッデグ首相は日本政府に対し間接的に、「イランは国際価格より低い値段で日本に石油を売却する用意がある」というメッセージを送ったため、日本政府がまだ新しくできたばかりの小さな会社であった出光興産の石油タンカーをイランのアバダン港に送ったらしいです。
このため、裁判にも勝てたのかもしれません。
当時のアラーグチー駐日イラン大使は、「多くの日本人はこの出来事をよく知っている。なぜならこの出来事により、日本は戦後の占領と不況の時期を経て、イランからの石油購入と、イギリス政府の妨害に対する抵抗により、自国を世界の経済の新たな中心として提示することに成功したからだ」と語りました。
大使は良いこと言うね~
日章丸事件により、戦勝国を相手に一歩も引かない態度が日本国民に大きな勇気と自信を与えました。
また、産油国とのパイプができたことにより、日本のエネルギーの安定供給が可能となりました。
昨今のイラン原油の禁輸に加担することは、先輩方が命がけで培ってきた中東との友好関係・信頼関係を汚すこと、エネルギー供給を不安定にすることに通じます。
日本人として恥じない行動が求められます。