三菱財閥は、土佐藩の最下層の武士の出身である「岩崎弥太郎」により創設された財閥です。

 弥太郎は土佐藩の有力者に認められ、長崎で貿易に従事します。そこで才覚を表し、長崎での土佐藩の貿易全てを管理しました。

 その後、長崎の貿易拠点(開成館長崎商会)が閉鎖されることになり、次は大阪の貿易拠点
(開成館大阪商会) で責任者となりました。ここで、手腕を大いに発揮し、他藩からも貿易の仲介などを頼まれるに至りました。

 明治維新後、各藩の経済基盤を取り上げようという政府の動きから、
開成館大阪商会も閉鎖される予定でした。

 しかし、板垣退助と後藤象二郎が弥太郎と協議し、大阪商会を土佐藩から分離して「九十九商会」として存続させました。

 廃藩置県で土佐藩が解体される時、九十九商会は弥太郎に払い下げられました。当時の幹部の名前(川田、石川、中川)を取って、「三川商会」と改名し経営を継続しました。

 そして、1873年、弥太郎は社主となり、社名を「三菱商会」と改名しました。

 「三菱」は岩崎家の家紋「三階菱」と土佐藩主 山内家の家紋「三つ柏」を合成したマークに由来しています。文章で書いてもよく分からないため、こちらを参照ください。

三菱のマークの由来 

 しかし、このマークあれに似てるよな。あれですよ、あれ。そうそう、新島襄が創立した同志社大学(わが母校)の徽章ですよ。
これです
同志社設立が1875年なので、マネされたのではなさそうだ。

 ちなみに、福岡市(

私の出身地 )のマークは三菱に似てるな。
この市章は1909年に制定されているので、 三菱のマネでは?福岡市の市章