広島で捕まった刑務所からの逃走犯を見つけたのは、気にしている地域生活民や厳戒体制の警察ではなく、都会的なネットカフェの店員だった。
捜索の舞台となった向島の空き家の多さも、田舎の風景でありながら、利便性の都会の、裏返しの影絵の様。
一時的にせよ忘れられた事にも気付かれない風景は犯人には逃げ込みやすかったのか、偶然なのか分からない。
時間切れの中で暮らしている者にはそもそも逃げ場はなく、今日が終わっても明日があるかは分からない。
若い逃走犯は逃げる時間がある幻想と追いかけっこでもしていたのだろうか?
この事件の犯人は、凶悪性は乏しいのに、結局覚えられる羽目になった。