手帳をめくることなく、デバイスに保存された記録も開かず、ニュースの見出しすら検索せず、ただ心の奥に問いかける。

 

「今年、私はどう生きただろう」

 

プライベートという名の小さな領域に意識を向けてみる。その広大なはずの空間は、驚くほど真っ白だ。今年という時間は、私の心を大きく揺らすことなく過ぎ去った。

 

平穏と呼べばそうだったし、退屈と言えばそれもまた真実。けれどこの360日あまりの軌跡が他ならぬ私の現実。

 

休みを取って何度か小さな旅行をしたり、美味しいものを味わったり、文化的なことにも触れたりもした。どれも鮮やかに心を染めたはずなのに、今はただ淡い影となっている。私は何を見てきたのだろう。

 

 

お金のこと。今年も何とかトントンだった。贅沢もしなかったけれど、困ることもなかった。生きていくのに必要十分の収入を得られる仕事があるのは幸せなこと。

 

そしてそれになんとか耐えた私の体。何日も入院したり、大事な仕事に穴を空けたりはしなかったけれど、つねに微妙なタイトロープの上にあった。ストレスを避け、適度な運動とバランスのとれた食事。規則正しい生活 ――そんな理想的な生活が実現できる「現役の人」なんているのかしら。

 

 

仕事は大過なし。大問題もなければミラクルもない。世の流れで賃金は上がったけれどこれは私自身の評価が上がったわけではない。評価されるためにぎらぎらとアピールしたがる人間が嫌い。私は黙々と課題をこなすだけ。上司はそんな私を便利だと思いながらも、気に入らない風だ。なぜなら私はアピール上司を軽蔑し、自ら進んで情報を渡さないからだ。

 

嫌ね。性格悪くて。

 

 

世の中に目を向ければ、お金の価値が大きく変わってしまったことを実感する。自分の力ではどうにもならないから、せめて選挙への期待してみたけれど、だめね。日本はもう、自力で変わることのできない国になったのかもしれない。

 

 

自然の力にも人は逆らえない。

 

 

私は閉じた心のなかから世の中を垣間見て、何もかもを諦めている。