ピアノ談議・十代の意地 | D-DST

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日記や、沢山の好きなことへの、
独り言。

気付けば、数ヶ月ピアノに触れていない。



自宅にピアノがなく、実家へ弾きに行っていた名古屋時代でもこんなことはなかったのに。
(あ、でも京都人になってから二年半弾いていなかったのでした。いまのところ最長記録。)


という訳で、

義務教育時代に使用した楽譜が発掘されたので広げてみます。


ベヒーさん
(↑ベヒシュタイン様とのコラボ器なので、心の中で勝手にこうお呼びしている。
「セルビーさん」になる時もあるが(from セルビアーノ)、ベヒーモスみたいで強そうなので、ベヒーさん、優勢。)、


横に盛大に楽譜が、文字通り広げられます。

譜面台が鍵盤の蓋裏収納型のアップライト器では到底叶いません。

更に、譜面台に約4・5㎝の厚みがあるのもストレスフリー。


アップライトのどうしようもない部分ではありましたが、

こういう地味な配慮は、
ピアニストには大変ありがたく思うところです。



『大地讃頌』。


中学時代の合唱祭、
三年生の学年曲として毎年歌われている曲でした。

毎年クラス曲も学年曲もずっと弾かせて貰っていたので、

二年生の時、どうせ来年も回ってくると思い、
事前に楽譜を頂いておいて、
早々と練習しておりました。


というのも、

人に拠っては何て事ない楽曲なのでしょうが、


私は手が小さく、オクターブ届かないからです。

未だに届きませんよ、ええ。


大地賛頌はオクターブ和音大会、
絶対ムリなやつ。


しかし、
ピアノを弾いていて「手が小さい」は言い訳になりません
(↑平気でする人も大勢見てきたけれど。私はしたくない。
あと、爪切りたくないから~とか言う人もいたな。「爪切らなくても弾けるよ~」とか、楽器なめてんのかと。)。


つまり、

殆ど、ただの意地です。

頑張るのはピアノ伴奏だけではない。
伴奏が音痴だと、合唱も駄目にしてしまいかねない。

主役は合唱なので。



ハノンやら他にもオクターブの多い楽曲で特訓もしつつ。


で、

今弾いてみたら、

やっぱり腕がしんどかった(汗)。


よく弾いたな、14歳の私。



さて、

只でさえ鈍りきっているピアノ脳。

当時に恥じぬよう、特訓攻撃再開でありんす。