AKBに関する考察 | ブログでいろいろ考える(恵比寿編)

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化粧品業界の営業をしてます。日本国内のいろいろな場所にいくことで地域のブランディングに興味をもっています。また自己ブランディングという言葉を知って、このブログを書くことにしました。
最近は海外にいく機会もあり、英会話も磨いているところです。

今日の朝ぐらいから、AKBに関する元オアシスのノエルのコメントが話題となっています。

例えばこんな感じ→

これに関しても英語の訳がかなり面白おかしく書いてあり、ノエルのキャラもあるのでどこまで真実なのかは微妙なとこですが。

さて、AKBに関して論ずるのは個人論とかでは無く、現象について進めていきたいと思います(総選挙に向けた個人予想もしたいところですが、ぐっとガマン) 。

まずAKB現象はデカ過ぎて一元論とはいきません。それぞれ僕なりのアングルからみてみると。

AKBお祭り論
AKBに群がる論
AKBの日本的アイドル像論
AKBとグローバル
AKBはプロフェッショナルか?
AKBのビジネス戦略

なんか、うまくまとめようと思ったけど切り口がバラバラになってしまいましたが、ひとつひとつチェックしてみると。

AKBお祭り論とは、日本人ってお祭りが好きなんだってとこをうまくついてるなって話です。あれだけたくさんいると、なんだか楽しそうに見えるのでしょう。これは、日本人がいつもは大人しく粛々と生活しているけど、いざお祭りになったら騒ぐってところを表してます。

AKBに群がる論とは、売れない頃は無視し続けたマスコミや企業が、スターダムになると擦り寄って、権益化してしまうという、巧妙だけど囲ってしまう、日本人のいやらしさが出ています。

アイドル像論は、ここ最近の日本人にとっての女性アイドルは若い女の子でしかあり得なかったってことです。いまに始まったことではなく、その点でAKBだけの問題ではなく、このところの日本の流れを表しています。

グローバルな視点とは、何かと音楽もITの進化により瞬時に世界の音楽を拾える時代になりました。まだまだ日本の音楽業界は完全な開国はしてませんが、こういった流れを止めることはできずに、今回のような批判は今後も増えてくるのでしょう。

AKBはもともとプロフェッショナルが売りではありません。どこにでもいそうな子の努力の過程を楽しむのがコンセプトなはずです。彼女らのパフォーマンスが日本のハイレベルではないところが、日本人のなかでうけているのが現実です。

そしてAKBのビジネス戦略は拡大していて、各地方へのビジネスモデルの展開、自らライバルを作ってしまうという市場の独占化、海外進出における外貨獲得など、打つ手打つ手がうまくいっています。

このように見ていくと、批判する内容においても、AKB自体の問題というよりは、そこに関わる周りに問題があったり、そもそも日本あるいは日本人が持つ根本的な本質をAKBを通じて批判しているようにも見えます。

議論がかみ合わないときは、レベルを合わせるのが重要なんですね。

最後にAKBが日本を代表するグループ、あるいは文化とすることに対しては、僕は危ういし嫌だと思ってます。つまりは日本にとって、かつてクルマや電化製品が象徴だったように、技術革新によって再び世界にアピールできるものができればいいなと思ってます。




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