金銀宝石は価値あるものだが、真の宝物というのは値段が付けられないものである。例えば夢の封じられた宝石、名工の鍛えた剣などはいくら領民を絞っても手に入るものではない。
 本来ならば自らの手を煩わせても死地に赴いて手に入れるものであるが、領主と呼ばれる地位の者達にはもっと簡単で効率の良い方法がある。宝物庫を餌に冒険者を誘い込み、上前をはねるという至極簡単な方法である。
 その目的の為に宝物庫は本来の目的を逸脱して侵入者を抹殺するための様々な罠が仕掛けられ、時に公然と、秘密を持ってよしとする宝物庫の宣伝まで行なわれる。難攻不落の宝物庫を所有する事は真に贅沢な支配階級のステータスなのだ。無論、”大人”と呼ばれるルイも例に洩れず、悪意の粋を極めた世にも恐ろしい宝物庫を持っていた。
 冒険者はいつも宝物庫を荒らしたり、未開の地をうろつき回ったりして宝物を集めている。領主が鑑賞用として、或いは単なる所有欲を満たすためのものとして欲する宝物を、冒険者という連中はもったいなくも生活のために持ち歩き、日夜使い減らして傷物にしてしまう。権力者達は皆、哀れな宝物達を野蛮な冒険者の手から取り戻し、安息を与えることを高尚な使命と考えていた。
 権力者達にとって冒険者とは花から花へ花粉を運ぶ蜜蜂に過ぎないのである。ルイもまだ身分が卑しかった頃は自ら剣を持って宝を手に入れていたが、それを元手に成り上がり、一国一城を構える身分となった今では当時の気持ちなどはとうの昔に忘れ去っていた。

 というわけで大抵の場合、宝物庫に忍び込んだ賊は大願を果たす事なく息絶えるのだが、ごく稀に所有者の意に反して冒険者がまんまと宝を手に入れてしまうこともある。
 あの男は何処をどうかわしてか上手い具合に宝物庫の最深部までたどり着いてしまった。それでも金貨を多少くすねられた程度であれば、してやられたと高笑いをして済ませることも出来ただろうが、男はかさばるものには目もくれず、ルイもお気に入りの珍品に手を付けてしまったのである。

 男に奪われたのは一枚のカードであった。銀かプラチナか、とにかく白金色の金属で出来ていた。カードの表面には意味ありげな図案が刻み込まれていた。
 荒涼とした大地、馬にまたがり剣をかざしたナイト。カードは金のケースに納められた。宝石と細工で飾られ、中はビロード張りされ、ケースだけでも充分な価値があった。美術的に優れているわけでもない、なんの役に立つのかもわからない一枚のカードにルイがここまで執心するのには訳があった。

 それは遥か昔のこと、人間達が争うのを見兼ねた神は、正しいことを形にして人間に与える事にした。なにが正しいことなのか判れば人間達も無益な争いなどせずに済むと思ったのだ。
 しかし真理はどうしても一つにまとまらず、真理の数だけカードを作っていったら全部で二十一枚になった。神はカードをそれぞれの真理を代表する人間に与えたが、今度は二十一の真理の代表者が、我こそ真理中の真理であると言い張って争いを始めてしまった。二十一の代表者は全てが真理なのであるから、平和どころか永遠に終わることのない争いになってしまったという話である。
 子供でも知っているポピュラーなおとぎ話である。この世界には相反し混じることのない真理が沢山あって、絶対普遍な真理などあり得ないという教訓を織り込んだ訓話だと、ルイ自身も思っていた。

 しかし、このカードを手に入れてから、ルイはこの伝承を信じるようになった。
 カードはどんな方法を使っても傷一つ付けられなかった。ダイアモンドでひっかいても、鉄を溶かす炉にくべても、あらゆる溶剤に浸しても、カードは変色さえしなかった。しかも、手に持とうとすると不快な脈動を発し、一秒と手中に納めていられなかった。こうも不思議な性質を持ったカードなど伝説のカード以外には考えられないではないか。
 伝承はこう結ばれている。

”二十一枚のカードを全て所持する者は真理の全てを制し、世界を統べるであろう”

 伝説のカードが存在するとわかった以上、この結びの一説にもルイを魅了するのに充分な説得力があった。
 広大な領地を所有するルイにとっても世界という舞台は把握仕切れない程大きい。だからといって、現状を細々と保って一生を終えようと悟るほどルイは無欲ではなかった。権力の階段を駆け上がる者にとって、世界の王として君臨するのは究極の目的である。カードは壮大な野望への進路を保証する切符であり、それゆえルイの最も大切な宝であった。

 カードのケースには仕掛けがしてあり、誰かが手を触れれば何時であってもルイの元に警報が発せられるようになっていた。ルイは愛用の鉾槍を構えて宝物庫へ駆けつけ、宝物庫の入り口でカードを盗んだ不届き者を見つけることが出来た。
 侵入者は不敵な面構えをした若い男であった。男は派手な青いクロークに身を包んだ軽装の戦士であった。
「よくぞ我が宝物庫から生還した。良い腕をしているな。」
 ルイは敵味方に関わらず有能な人間が好きである。憎い盗人に対しても、第一声ではつい相手を賛辞してしまった。無論それは相当の下心があっての事だが。
「いま手に入れたものを置いていくならば、おまえが抱えられるだけの金貨と交換しよう。おまえが手に入れたものは、おまえが持っていても何の役にも立たないものだ。」
 ルイは寛容に語り掛けた。男は一人、ルイは手勢を十人連れていた。問答無用で斬り倒してもなんら不安材料はなかったが、無益な戦闘をしたくはなかった。平和主義なのではない、効率主義なのである。さらにうまく行けば有能な部下を獲得できるかも知れないという下心もあった。
 しかし男はだらしなく笑みを垂れたルイを鼻で笑った。それはルイの練れた余裕とは似て非なるもの、より嘲笑的で侮蔑の意のこもった笑いであった。

「このキャリオット様に命令するのは十年早い。」

 男はさらりと言った。
 ルイは一瞬言葉を失った。この男は馬鹿か。包囲されて孤立無縁のこの男の何処に大見得を切る材料があるというのか。計算が立つルイにとって、この男の無謀な自信は不快だった。しかし、逆上するルイではなかった。石橋を叩いて渡る、ルイはそういう男なのだ。
 万が一、そんなことはまずあり得ないことだが、この男、十人の戦士を相手に渡り合って勝算がある程の手だれなのかもしれない。
 ルイは横に控えているタワーに耳打ちした。
「あの男、腕は立つのか。」
「ルイ様一人でも負ける相手ではありません。」
 タワーは即座に返答した。ネガティブのワターには、百発百中で相手の能力を見破る才能がある。ルイは誰よりもタワーの進言を信用していた。
 全く予想した通りの答えであったが、それだけに余計、この男の大胆不敵さが不気味であった。そこにルイ達の隙があった。男は唐突にきびすを返した。たった一つ残された退路、宝物庫の中へ駆け込んでいったのである。
「追え!逃がすな!」ルイは叫んだ。しかし、部下達は二の足を踏んだ。宝物庫には様々な罠が仕掛けてあり、その仕掛けは誰にも知らされていない。全ての罠を知っているルイでさえ、彼の命令さえ聞かない野獣や妖怪さえ宝物庫の至るところに配置されている洞窟へはうかつに踏み込めない。
「ちっ。」ルイは舌を鳴らして先陣を切った。危険は奴にとっても同じことである。
 どのみち宝物庫の出口はここしかない。この場に陣取れば逃げ道は無いのだが、男には一時でも目を放すと次にどんな手を使ってくるかわからない不安があった。あの男は妙にルイの不安をかき立てる。それは、男の思考回路がなにか常識を逸した所にあるように思えたからだ。
 宝物庫といっても入り口は天然の洞窟をそのまま利用したものである。ルイは部下からランタンを奪い取って真の闇を照らし出した。

 一歩足を踏み入れると、前方のそう遠くない所で轟音が聞こえた。小さな地震のような震動、そして大きな物が水に落ちた音。何をやった、ルイはまた妙な不安に駆り立てられ、歩調を早めた。ルイが知る限り、宝物庫にあれほどの音を出す水溜まりなどない。
 更に奥へ進むと、轟々と水の流れる音が聞こえてきた。百歩も洞窟を進んで、本格的な宝物庫へと変わる手前の辺りでルイ達は立ち止まらざるおえなくなった。一またぎ出来ない程の幅の地下川が行く手を遮っていたのである。

「何だこれは。」ルイは絶句した。ネガティブのタワーはかがみこんで川の渕を観察した。「たった今出来たばかりです。おそらく地盤が弱っていたのでしょう。地下水脈がすぐ下を流れていたと・・・」
「わかっている。」
 ルイは強い口調でタワーの言葉を遮った。こういう時のタワーは無性に勘に触る。タワーは何事もなかったように黙って控えた。タワーは気に触る言葉に全く悪意がないのと同じくらい盟主の叱責に動じていない。
「あの男がやったのか。あの男は何処に行った。」
「万が一夢が使われたとしても、こういう状態にはなりません。これは事故だと思いますが、調べますか。」
「やってくれ。」ルイは呆然と水の流れを眺めた。「それから、男の行方がわかるか。」
「キャリオット、という名前が本名ならば、かなりの精度で追跡出来ます。生きていれば。」
 ルイは無言で頷いた。