”大人”の家臣団でも突出しているのが、ネガティブのタワーである。ネガティブという種族がそうであるようにタワーも正体の掴めない、異様な性格の持ち主であった。
 ネガティブ(反転)という名前が示すとおり、彼らは人間にそっくりのアウトラインでありながら裏焼きしたような正反対の色合いをしている。
 肌は鮮やかなセピア色、唇など粘膜部は黒に近い深いセピア、瞳は緑がかったセピアである。色以外の部分ではネガティブは人間と全く同じであり、しかもそのほとんどは絶世のという表現がふさわしい程均整が取れていて美しい。
 タワーは人間でいうなら20前後くらいの外見の男で、ネガティブの通例に洩れない美青年であった。しかし、彼は好青年ではなかった。世の中には美しいことが不気味さに通じる事がある。タワーの妖しさは一級品であった。
 彼は滅多に感情を現わすことが無い。睡眠以外の時間をほとんど大人と共にし、大人の片腕として職務をまっとうしていたが、それが楽しいとか、使命感に燃えているといった風には見えなかった。彼に聞いた者があったとしても、彼はなにも答えないであろう。ネガティブには”楽しい”という感情が存在しないのだ。その代わり彼らは人間や豚鬼やその他の種族が理解不可能な感情を幾つも持っている。ネガティブの精神構造は他のどんな種族とも異質なのだ。
 タワーが怒りや不満や疲労をあらわにしたところを見たものはいない。しかし、近臣の幾人かは彼の笑顔を目撃したことがある。
 ネガティブは声を立てずににんまりと微笑む。それは大抵真面目くさった作戦会議だったり、領民の直訴の立ち会いであったり、何がそんなに可笑しいのか理解できないシーンばかりであった。ネガティブにとって笑顔は悦びの表現ではないのだ。
 色さえ抜かせば実に優美なタワーが微笑むとき、その顔は寒気がする程の妖気に満たされるのである。
 それでもタワーが重用されていたのは、彼が優秀な夢使いだったからである。能力のいかんに関わらず夢使いという輩はとかく反抗的で、やれ摂理がどうの正義がどうのといって大人のような素性の妖しい者に仕えることを嫌がるものだが、その点タワーの従順さは満点であった。タワーは意味不明の言動をして周りのペースを崩すが、反抗することはない。タワーは大人の要請を無下に断ったことは一度もなかった。
 タワーは大人の玉座の前で”遠見の鏡”と言われる儀式をとり行なっていた。
 タワーは玉座の正面にある儀式用の大きな鏡の横に立ち、手をかざしている。色々理屈に合わないことが起こるこの世界でも、一般的な鏡はその前に立った者の姿を映し出すものである。しかし、タワーの魔力で歪められた鏡は、異世界の光景を映し出していた。
 鏡の視点は荒涼とした土地を突き進む。正面に人間の姿が見える。二人の老人と少女である。三人の顔にはそれぞれの恐怖が刻まれている。老人の一人が体の力を抜いて目をつぶった。程なく手に持った銀製の匙に赤黒い輝きが宿る。ワンテンポ遅れて他の二人にも同じことが起こった。
 ルイはほうと息を飲んだ。夢使い、しかも三人も一度に現れるとは極めて稀なことだ。ルイは身を乗り出した。
 少女を突き飛ばして避ける老人、そして視点は少女の方に向き直る。その時何処からともなく風の様に映像に割り込んだ男がいた。男の長剣が鏡を一閃する。鏡に映った光景はぼやけていき、間もなく”大人”の全身を映す通常の鏡に戻った。
「バルダバログは死んだようです。」
 ネガティブのタワーは玉座の前に膝をついた。ネガティブに人を敬うという感情はない。彼の態度はルイの元で学習した作法に過ぎない。心のこもらない丁寧さはいかにも慇懃無礼に見えた。
「そうか、惜しい者を亡くしたな。」
 大人と呼ばれる男、ルイは玉座の手すりにもたれ、掌であごを抱えて気のない返答を返した。心からの追悼でない事は彼の近臣なら誰でも知っている。ルイは心底から冷酷な男なのである。
 ルイは領主である。北の山から見下ろせる一帯の土地は全て彼の領地であった。彼自身の弁を信じるならば、王の中の王、この世界をあまねく統治する大王から拝領した正当な領主だということであったが、こんな片田舎まで支配するような酔狂な王がいるのだろうか。たとえ彼の弁が真実だったとしても王の中の王の事を知っている者など誰もいないのだ。
 ただ、ルイが豚鬼や一角鬼など近在の化け物を手なずけていることや、ルイ自身が知略軍略に優れて腕も達つことは周知の事実だったので、彼に逆らおうとするものはいなかった。
 ルイはいわゆる暴君ではなかったが、慈愛に満ちた指導者でもなかった。年貢を一つとっても彼のやり方は巧妙で、住民に一人の餓死者も出すことなく洗いざらいの作物を徴収する緻密な計算が得意だった。
 それでも毎年巧みに年貢隠しをする狡猾な者が出る。ルイはそういう者を見つけると寛容に許し、進んで自分の家臣団に加えた。しかし、毎年家臣が加わる割には家臣団の数が増えない所を見ると、並大抵の才覚ではルイの家臣は務まらないのである。その中でナンバー2の座を不動にしているタワーは奸物と言えた。
「あの男。」
 ルイが独り言を呟く。ルイはタワーと面と向かって会話をする空しさを知っているのだ。タワーは空気の様に扱われ、タワー自身もそれを望んでいた。
「はい。先日の狼藉者に間違いありません。」
 タワーはかしづいたまま答える。
「バルダバログを一撃でしとめたようだが、あいつはそれ程の腕だったか?」
「まぐれです。あの男にはそれ程の力はありません。」
 タワーは頭をうなだれたままにやりと笑ったのだが、ルカはそれを見ていなかった。
 ネガティブを気味悪がらせている元凶の能力、彼らは人間の持つ潜在的な能力の優劣を寸分の狂い無く言い当てる事が出来るのである。その手法は、ネガティブという種族の潜在能力だとも、ネガティブだけに伝わる秘法だとも言われているが、その真相は知られていない。
 相手の器を見抜く能力は、彼らが額にはめている大粒の宝石を使って行なわれると言われている。タワーの額にも美しくカッティングされたアメジストがはまっているが、これは彼の妖しい美しさを飾る為のものではない。
「しかし、村に夢使いがいたとは計算外だったな。」
 ルイは人差し指で肘掛けを叩いた。
「夢使いが三人もいるとなると、バルダバログでは役不足だったな。」
「精鋭部隊でも同じだったでしょう。」
「たった三人が押さえ切れんというのか。」ルイは言葉尻に剣を残したが、そういう腹芸で前言をひるがえすような男ではなかった。
「三人ではないでしょう。おそらく五倍から十倍。」
「バカな。」
「どこかに夢使いの集落があると聞いた事があります。」
「あの村が、そうだと言うのか。」
「単純な推理です。」
 タワーは忠実な部下だが、時にその口は容赦がない。タワーの躊躇ない口調は”大人”と呼ばれるルイの面目をないがしろにすることもままあった。ルイはそういうことには寛容なタイプの上司であったが、不快感を抑え切れないこともあった。それでも最後の一線を越えないのは、ルイがタワーの能力を高く買っているからに他ならない。
「夢使い三人は多すぎます。偶然とは思えない人数です。」
 タワーの論には説得力があった。夢使いというのはそれほど貴重な人材なのである。ルイは低く唸った。
「あいつだけならともかく、夢使いが味方についたとなると厄介だな。」
「案ずることはないでしょう。自力は我々が遥かに上です。」
「精鋭部隊でも危ないと言ったのは、おまえだぞ。」
「正面から当たれば。」
 タワーは全く動じた様子無く答えた。ルイは鼻で笑った。この男のこういう不敵さはルイの好むところであった。
「奇襲、だな。」
「御意。」
 ルイは幾多の死線を越えた一流の戦士でその剣技、特に鉾槍を扱わせれば右に出るものがいないと言われている。しかし、彼の本領は軍略にこそあった。知謀知略を巡らせる時、彼の瞳は最も輝く。
「おまえがやってみるか。」
「御命令とあれば。」
 タワーは事もなげに返答する。人間ならばこんな時、功を成す絶好の機会に歓喜するか、重責におののくか、目ざといルイは見逃さないのだが、ネガティブの心だけはルイにも計りかねた。

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私の記憶が確かならネガティブという種族はレーベ・デ・ドラゴンのモンスターマニュアル通り、タワーの性格づけや言動は私のオリジナルだったはず

人間離れした存在というのをどうやって描くかえらく苦心した覚えがあります

ただの変な奴で終わらせたくないので、推敲がんばってみます