豚鬼族の族長バルダバログは夢使いの村とは目と鼻の先の所まで一族を進軍させていた。”大人”の言うとおり、不毛な大地の真ん中には確かに人里があった。近在の村はくまなく荒らし尽くしたと自負していたバルダバログ一党には思わぬ盲点であった。
「ぶずっ。ぶずずっ。」バルダバログは人間に比べて数倍も大きい鼻から鼻水の飛沫を飛ばして一人笑いした。この村にあると言う、あるものさえ大人に渡せば、あとのお宝は残らず戦利品にしても良いという気前のいいおたっしにバルダバロクはすっかり気を良くしていた。

 豚鬼族は人間の次に数が多いと言われている亜人間である。その性は残虐で卑劣、戦闘を好み略奪以外の生活手段を知らない忌まわしい種族である。顔の造作は豚にそっくりであるが皮はもっと厚く、10mさきでもわかるほど強烈な種族特有のわきがを持っている。瞳はほぼ全部が黒目で、白い部分は死んだとき位しか見せない。なにより悲劇的なことに豚鬼は自分自身が醜悪な造作をしていると自認していた。
 バルダバロクは一族の長に納まっているのは人徳ではなく、豚鬼族の中でも飛び抜けて大きく、腕力も右にでるものがいなかったという理由からであった。豚鬼同士は互いに憎しみあっていたが、略奪にはどうしても数を頼らなければならないので仕方なく構成された一族であった。

「どう攻める、バルダバログ。」一族の一人がお伺いをたてる。
「まっすぐ。」
 バルダバロクはきっぱり言い放った。土台豚鬼の知性では奇襲や陽動といった戦術など使いこなせない。いつから始まったか戦いの前の景気付けの会話である。
 豚鬼は人間の言語を使いこなすが、それば独自の文化を開花させられなかったからである。彼らの知性は終生人間の子供程度までしか至らず、性分は獣の方に近い。
 残忍な瞳は目の前の獲物から離れない。手に持った大型の戦斧をぺろりと舐めた舌は紫色で長く先がとがっている。ろくに手入れもされていない戦斧は錆と血糊で鈍く曇っている。豚鬼族はこの粗末な武器を腕力で扱うのである。
 全員がぼろぼろにすり切れて、わきがのたっぷり染み込んだ革鎧をまとっている。これは全て人間かその他の亜人間を襲ったときの戦利品である。豚鬼自身が加工をしたり、整備をしたりすることは滅多にない。それは豚鬼にとっては恥じるべき行為なのである。必要なものは略奪する、それが彼らの正しい作法であり、尊敬できることなのであった。

「いくぜ、野郎共!」
 バルダバログが戦斧を天にかざし、数十人の豚鬼が蓄膿症のような下卑た罵声を上げる。折角の奇襲のチャンスがふいになったことなど誰一人考えも及ばない。豚鬼族の知性は人間と飛び猫の間の、ずっと飛び猫寄りなのである。


 夢使いの村では各人が朝の一仕事を終えて休憩している時刻であった。若い頃冒険に出たことのある者達は野蛮な雄叫びを聞いて豚鬼だと即座に気がついた。外の世界では最もポピュラーで、厄介な輩である。
 村人達はほとんどが慌てふためいて家の中に駆け込んだが、それでも数人が声の方向に飛び出した。村の長老格の一人ユピト、同じく術者としては村一番だろうといわれているムーニエ、そして村の誰より足腰の達者な、若い夢使いのムーンだった。

 豚鬼の一隊は赤い土煙を上げて閑散とした木々の間を突進して来た。
「この歳になってまた戦うとは思わなかったぞ。」ユピトは平静を保っていたが、歳老いて乾いた全身を冷や汗が濡らしていた。ユピトの匙は村で一番夢がすくいやすいと言われているスープスプーンである。
「時間がないぞ、どうするね。」ムーニエは足の調子が良くない。魔法を掛け損なえば血に飢えた豚鬼の第一の犠牲になるのは明白であった。
「そうだな、足止め出来るよう3人で壁を作ろう。すぐに引出せるならなんでもいい。ただし火はまずいな、村に近すぎる。」
「はい。」ムーンは膝が鳴っているのを止めることが出来なかった。勢いで出てきてしまったことを少し後悔した。だが、これから戦士の妻になる覚悟ならば実戦は避けて通れない関門なのだ。
 ムーンは銀の匙を握り締め、目を閉じようとした。飛び出しそうな位高鳴る心臓を抑えつけ、意識を夢の中へ放つのだ。しかし、群れをなして襲ってくる獣を前にして夢に入ることがこんなに難しいとは思わなかった。子供の頃から、ちょっと裏庭を散歩するような気軽さで行き来できていた眠りの世界がとても不自然な別世界に感じられてしまう。もし、目をつぶったほんの一瞬の間に戦斧が飛んできたらどうすることもなく額に受けてしまうだろう。そんな悪い考えばかりがムーンの脳裏を埋め尽くした。
 ユピトはムーンの肩を叩いた。
「豚鬼はあれで気が弱い。なんでもいいが派手なのがいいな。」
「はい。」ムーンは意を決した。ムーンは日頃優柔不断な性格だが開き直ると思い切りはいい。ムーンが夢に入るのを見とどけて、ユピトも目を閉じた。ムーニエは既に眠りに就いている。


 豚鬼の先頭を突っ走るバルダバログの足元がよろめいた。おかしいと思った時には反対の足も空を切っていた。バルダバログはそのまま前方につんのめったが、頭はいつまでも地面に激突しなかった。後ろの豚鬼達もみな空中を泳ぐように不格好な姿でもがいていた。
 その横では別の一隊が悲鳴を上げて逃げていく。その様子はまるで竜にでも出くわしたようであった。また別の一隊は呆然と立ち尽くしている。豚鬼族にあるまじき穏和な表情で。
「夢使いがいるのか!」気がついたのは一族の中で一番経験豊富なバルダバロクだけだった。どんな夢をつかったのか理解こそ出来なかったが、現実にありえないおかしなことが起こっているのは紛れもない事実である。こんな貧相な田舎の村に夢使いがいたとは、豚鬼族一族にとって致命的な誤算だった。

 豚鬼はバイオレンスな生き物であるが故に、力が通用しない相手にはとことん無能な存在である。滅多に出会わないが、夢使いは豚鬼の天敵と言えた。バルダバログの輝かしい戦歴の中でも夢使いを徹底的に叩きのめしたことはない。大概は肩透かしを食って逃げられたり、酷いときには仲間の大半を失って逃げ帰ったりしただけである。”大人”が一言、相手が夢使いだと言ってくれればもっと別の攻め方もあったろうに、今となっては全てが水の泡であった。たとえ”大人”の忠告があったとしても、バルダバログのお粗末な思考回路では同じ状況に至るまで己の失策に気がつかなかっただろうが、それは後の祭りという諺を持たない豚鬼族の悲劇であった。

 バルダバログは焦った。一族の戦士達は異常事態にすっかり我を忘れていた。戦意の喪失は著しく、恐怖心に取り付かれて我先にと敗走を始めていた。落ち着け、引くな、前進しろと叫びたいバルダバロク自身の声さえうわずってまともな言葉にならず、悲痛な金切り声になってた。しかし、バルダバログは引くことは出来なかった。ここで族長のバルダバログが逃げ出せば、一族の中の自分の地位は地に堕ちてしまう。なんといってもバルダバログの存在価値はただ一つ勇猛果敢なことだけなのだ。もし自分に臆病なところがあったら、一族の不細工な豚鬼共と同じになってしまう。族長として美味しいところを常にさらっていたバルダバログは今更一兵卒として泥にまみれ臭い飯を奪い合って食らうことなど考えられなかった。
 それをバルダバログのプライドと考えるのは間違いである。ただ単に発想の切替えが極端にへたなのだ。バルダバログは自由の利かない体を必死によじって重力に異常をきたした空間でもがいた。戦斧はとうに手の中からなくなっている。ヘルメットが斜めになって視界を遮っているのも気に留めていられない。紫色の下を垂らし、よだれと鼻汁の糸を何本も引っ張って必死にもがいた。意味をなさない呪いの言葉を幾十もわめきちらし、鋭い爪のついた手をやみくもに振り回した。

 苔の一念とでも言うより他ない、バルダバログは無重力の空間を突き抜けることに成功した。夢の効果している範囲は意外と狭いのである。四肢に突然引力が戻り、バルダバログは受け身もとれず頭からまともに地面に激突した。それだけでも気絶してしまうほどの不様な転がり方だったが、沸点まで煮えくり返ったバルダバログに痛みを感じる余裕はなかった。逆恨みで燃え狂ったバルダバログは戦斧を拾う手ももどかしく、村の入り口に陣取った夢使いに突進した。


 豚鬼族の一団は3人の夢使いの運んだ夢ににまんまと引っ掛かった。眠りから覚めたムーンは絵に描いたような大成功に躍り上がって喜んだ。
「次が練れるか、ムーン。」ユピト老はまだ緊張を解いていなかった。ムーンははたと我に返る。今は夢に翻弄される豚鬼達、だが立ち直って反撃に転じる可能性はまだある。しかも、次の攻撃は奇襲ではない。ムーンは自分の甘さを呪った。今の魔法に全ての力を込めてしまったムーンには、次の夢を引出す力は残っていなかった。
「わしゃやれるぞ、ユピト。」ムーニエ老は不自由な足をずらして体制を立て直した。
「ムーン。あとは任せて下がりなさい。」ユピトは優しく、しかしきっぱりとムーンに言った。ムーンは下がらなかったが、押し問答をしている暇はなかった。一団の中でひときわ大きな豚鬼が一匹、ムーンの練った無重力の夢を突破してこちらに向かってきたのである。
「あれはでかいな。」
「ああ、あんなのは見たことがない。」
「気合を入れた奴をお見舞いしないと堪えそうにないぞ。」
「わしからいこう。」ムーニエが夢に入った。怒り狂った豚鬼はもう目と鼻の先まで迫っていた。産まれて初めて見る生物、この世の醜いものを集めて作られたような生物、シルエット以外にはなんの接点も見つけられないこの生物から、激しい敵意だけがなぜか鮮明に伝わって来た。ムーンは恐ろし過ぎて視線をそらせることはおろか、まばたきすら出来なかった。
 仕方がないのでムーンは豚鬼を睨みつけた。ユピトさんやムーニエさんに怪我させたらただじゃおかない、そうやって怒りの視線をぶつけ返すとムーンは気丈でいられた。怒りに満たされている感覚は妙に心地良い。もしかしたらムーンは潜在的に戦士の素質を持っているのかも知れない。
「ムーニエ!」気がついたのはユピト老であった。夢に入ったムーニエ老がもどっていい時間をとっくに過ぎても目覚めないのだ。全身が痙攣し、白目を剥いている。半分開き掛けた口からおえつが洩れる。
「離れろ!」ユピト老はムーンをはね飛ばした。一瞬の内に異様な波動がムーニエ老の周りに広がる。虫歯になった歯が鈍痛を伴って浮いたようになる、あの感じだ。滅多にないことだが避けて通れない危険、ムーニエ老は夢に溺れたのである。

 それは水の中で溺れたときと良く似ている。夢の流れを読み損なったり、自分の力の限界を越えた量の夢を掬おうとして足場を滑らせると、夢の中での平行感覚を失ってしまうのだ。確固とした決め事の無い夢の中で平行感覚を失うと熟練した夢使いでも危険な状態になる。術者は現実への帰り道を見失い、そのまま返らぬ人になることもあるのだ。
 夢に溺れた場合、結果は術者に跳ね返ることが多い。おそらくムーニエ老が行なおうとした術は”混乱”だったのだろう。混乱のエリアに侵入した生き物は感覚が麻痺して本来の目的を見失う。しかし、混乱の術が失敗したとき、その反作用は狙った場所ではなく、術者を中心とした場所を、本人を巻き込んで混乱の場にしてしまう。
 結果を焦ったムーニエは夢を掬い過ぎたのだろう。ムーニエ老一生涯の大失敗である。
 並みの豚鬼ならそのまま混乱するムーニエ老に斬りかかって行くところだが、バルダバログは歴戦の強者であった。術者が何を行なったのかはわからないが、そこが特異なゾーンに包まれたことだけは理解出来た。すんでのところで切り返すと地面に倒れたユピトとムーンに矛先を替え、戦斧を振り上げた。
「よくもやってくれたな!」ひどい豚鬼族なまりの言葉はムーンには理解不能なただの怒号であった。バルダバログは体を弓なりにして戦斧を振り上げた。ユピトかムーンか、或いはその両方の命は戦斧の一振りで消えてしまうはずだった。

 ムーンの耳元で金属と金属が激しくぶつかりあう音が響いた。ムーンの目の前で豚鬼の戦斧が停まっていた。未だぎりぎりと軋む音をたてて戦斧を遮っているのは細身の長剣であった。
「俺の目の前で、ずいぶんと勝手なことをしてくれるじゃないか。」
 挑戦的な男の声であった。ムーンはおそるおそる顔を上げた。期待通りそこにはあの男がいた。男は上半身を裸、ズボンは寝巻きのままであった。たった今眠りからさめたばかりなのだろう。
 男は不敵に笑っていた。しかし、それはムーンが期待した優しい微笑みではなく、血に飢えた狼のような獰猛な笑いであった。

「貴様の所業は万死に値する。」男は冷酷にそういうと、豚鬼の戦斧を跳ね上げた。
 豚鬼族に限ったことではなく知恵の欠損を力で補うタイプの者の常で、気持よく振り下ろした攻撃を受け止められたバルダバログは逆上した。相手の言った言葉が全て自分を愚ろうしているように聞こえてしまう状況であるが、この場合はまさにそのとおりなのだから問題はない。しかし、自分の戦斧を受け止めたこと、それをいとも簡単に振り払ったことは、明らかに相手の技量が自分を凌駕しているという事にも気が回らなかったのは致命的であった。バルダバログはもう憤怒の塊であった。一族の面子とか立場とかの衝動でつき動かされていた先刻の方が遥かに理性的な状態だと言えた。目前の自分をむかつかせる存在を葬り去る事だけを考えるものになっていた。握り締めた戦斧とそれを掴む腕以外の感覚が消し飛んで、全身を駆け巡る不快感が戦斧に集まった。

 豚鬼の戦斧と男の長剣がほとんど同時に振り上げられたが、振り下ろすのは男の方が一瞬早かった。バルダバログは力んだことにより平素ありえない大きな隙を露呈させていたので、男が剣を急所に差し込むのはたやすかった。長剣はバルダバログの肩口から胸元までバターナイフのように入り込んでいた。
 バルダバロクは痛みを感じなかった。肩口に冷たい風が当たった感覚があっただけだった。ワンテンポ遅れて傷口から血が吹き出した。豚鬼は血まで汚くて臭かった。
 吹き出した血潮は男の全身にこびりつき、ムーンの頭上にも降りかかった。男は足を豚鬼の腹に押し当て、長剣を引き抜いた。豚鬼は既に今の一撃で昏到していたが、グラリと傾いた体が地につく前に再度長剣が振り下ろされた。豚鬼の片腕が宙を舞い、切っ先は頭に食い込んで止まった。剣を伝わって血まみれの脳硝がどろりと流れでた。

「冥土の土産に教えてやろう。」男は既に憤怒の形相のまま事切れた豚鬼に向かって勝手に話しかけた。
「俺は征服王キャリオット。地上で一番強い男だ。」

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はい、やっとバトルになりました

夢使いの不思議な演出はゲームのシステムをまんま説明したものですから、このままでは使えません

まぁそこらへんはなんとでもなるか…


王道ファンタジー表現力で勝負…とか厨二ぽいことを言っているようでは器が知れますね、あああ