夢使いの里はお世辞にも活気溢れた土地とは言えない。赤銅色の山肌を醜く露呈した鋭角の山々に四方を囲まれた高原の片隅、市場が立つ村まで一ヵ月を要する大僻地である。
 雑草と苔の間からのぞいた大地は遠くの山々と同じ赤銅色で、乾けば鉄のように硬く、雨が降ると表面をまんべんなくぬめらせる。水をほとんど吸い込まないので僅かな雨が思いも掛けない場所に流れを作り、乾くと生傷のような無残な土肌をむき出しにする。
 樹木もそれなりに生えてはいるのだが、どれ一つとっても生気が無い。20mも根を伸ばし、地下水脈までたどり着くことに成功したものだけが、痩せた大地の養分をすすって辛うじて生き延びているが、どれもこれも発育不良で上背が3mを越すものはない。
 葉は種の持つ許容量の半分も付いていないし、実がなることもついぞ聞いたことがない。お互いが牽制しあうように間隔をあけてまばらに生えているのも、植物独特の静かにして苛烈な生存競争の結果なのだろう。
 高原中には道らしい道は無く、その代わりどこを通っても目立った障害物はない。肩車程度の高見に立てば、単調で殺風景な高原を隅から隅まで見渡すことが出来る。気が利いた旅人なら数日の遠回りをしても外山を迂回して、もっと風光明美な地域を通って行くだろう。
 だからこそ、夢使いの村はこの辺境に設けられた。農民が土地を耕し、狩人が野山で獣を狩り、商人が交易をして利を稼ぐのと同じように、夢使いは生きるために眠る。
 夢の中で素晴らしいごちそうを目の前にしたことがあるだろう。舌舐めずりをして一口味見しようと思った途端にベッドの中に引き戻され、悔しい思いをしたことがあるだろう。
 人は誰でも夢を見る。夢の世界というのはでたらめで、その場限りのものだと誰もが思っている。夢使いの秘法を身に付けていない者ならばそう考えても仕方が無い。
 夢使いとは夢を切り取って現実の世界に持ち込む方法を会得した者達の事を言う。彼らは夢の世界からパンとワインを取り出し、暖炉の温かさを取り出して寒さをしのぎ、日々の糧を得ている。夢使いにとって豊かな土地とは、安穏として静かな土地、眠りを妨げる異邦人がやってこない所なのである。
 とはいってもそれは理屈。人生を達観した老人ならばともかく、血気盛んな青年、これからが伸び盛りの恐れを知らない若者達にとって、たとえ自分が夢使いでも毎日毎日寝て暮すのは苦痛である。彼らは多少の怪我など恐れないし、獣や盗賊に襲われる危険な土地でも、あるときは剣の下でも眠りに就ける図太さがある。
 夢使いの村で産まれ、修行を積んだ若き夢使いは、まず例外なく村を離れて冒険者の一員に加わってしまう。彼らは優秀な探偵になり、統治者になり、征服者になった。そして僅かな者だけが夢使いの村に戻ってくるが、安住の地を求めて里帰りをした者達はまた例外なく老いさらばえていた。かくして200年の歴史を誇る夢使いの村も、抗い切れない過疎状態に見舞われていた。


 ムーンは数少ない10代の村人、ありていにいうと最後の若者であった。
 彼女の父母は幼い彼女を村に残して旅立ったまま帰ってこない。それはこの村では珍しいことでは無かった。ムーンは他の子供達と一緒に村の老人達に育てられた。
 あるものは遠くの地で安住する両親の元に引き取られ、あるものは親に再び会うことなく冒険に旅立ち、そうして幼なじみが一人へり二人へり、ついに去年、2つ歳上の娘が麓の村へ嫁いでいって、とうとうムーン一人になってしまったのである。
 夢使いの村といっても村人全てが夢使いであるわけではない。女子はおおむね凡庸に育てられ、ごく普通の結婚をする。しかし、ムーンは幼い頃に優れた才能を開花させてしまったおかげで、特に英才教育を受け、夢使い要員にされてしまったのである。

 ムーンは村の娘の誰にも負けない家庭的な娘であった。貞節を守り、家の留守を預かる女がそうであるように、ムーンもおっとりとして、つつましやかで、大それた野望など抱かない、裏を返せば消極的な性質の女性であった。優しい男と結ばれて、子供がいて、飛び猫を飼って、食べることくらいは不自由しない、そんな人生を当たり前の様に思い描いていた。
 しかし、彼女の引っ込み思案な性分は肝心なところで裏目に出てしまった。性格とは全く無関係に彼女は生まれつき優れた才能を持ってしまった。とはいってもそれはせいぜい何十人に一人、馬に乗るには背が低い方がいいといった基準と同じで、夢使いになりたいならば少々有利な程度の才能だったのだが、周囲の大人達はそれを大層喜んだ。幼心にムーンは大人達の期待を裏切れなかった。自分が才能があるというなら、それでみんなが喜んでくれるのなら、自分がちょっとだけ我慢してみんなが褒めてくれるのならばと夢使いの練習を始めた。本当はお友達とままごとやかくれんぼをしたかったのだけれども、内気なムーンはそれを口に出して言うことが出来なかった。

 夢使いの能力は、こと縁談に関してだけはよい方向に働いたためしが無い。凡庸な男は夢の中からなんでもかんでも引きずり出してしまう物騒な女と所帯を持とうとは思わないものである。適齢期になったムーンは、自分がすっかり花嫁コースから脱落した事を悟ったが、全ては後の祭りであった。
 この頃ではムーンは現状にすっかり順応してしまっていた。ムーンは村の人達が好きだった。口では外へ出ろ、冒険者になりなさいという村の年寄りも、本音ではムーンにいつまでも村にいて欲しいに決まっている。第一ムーンが村を出ればたちまち日々の暮らしに困る不自由な老人もいる。ムーンは村の年寄り達のために村に留まるつもりでいた。幸か不幸かムーンは単調な生活に順応出来るだけの呑気さを充分に持っていた。

*****************************


出だしのインパクトが大事なのは十分わかっているつもりなんですが、小説の出だしって難しい

マンガや戯曲と比べて圧倒的にスピード感がないから

お話をゆっくり立ち上げていこうとおもったら、読者が脱落していくというジレンマ