フェイク 第1036号 2009年(平成21年)6月4日(木)

腰が「く」の字の日顕を囲み酒宴
早瀬日慈の十七回忌法要と日顕の魔の通力
音響は不備、警告灯が誤作動、ボヤ騒ぎも
 早瀬日慈の十七回忌法要が三日、東京・池袋の法道院で行われた。日慈とは、今のニセ法主・日如の父親で法道院の主管であった。

 日顕の先輩格にあたり、日達法主の下で長年にわたってナンバー2として権勢を誇り、総監、重役を歴任。日達法主の後釜を狙い、自分では登座できると思い込み、記念品も用意していた。

 ところが、昭和五十四年七月、日達法主の死の直後、日顕が先手を打って「昨年(昭和五十三年)四月十五日、総本山大奥において、猊下と自分と二人きりの場において、猊下より自分に対し内々に御相承の儀に関するお言葉があり、甚深の御法門の御指南を賜った」と自己申告したため、日慈は後継争いに敗れた。

【日顕への日慈の怒り】
 若い頃から酒豪だと自慢し、御講の後も五分も経たない内にウイスキーの水割りやビールを口にすることが多かったが、法主の後継レースに負けたことが余程、悔しかった様子。その後はヤケ酒を呷るようになり、晩年は酒に飲まれていた。

 日慈を良く知る人の話によると、日顕に対する憎しみも激しいものがあったという。


 平成五年六月二十日、失意のうちに八十三歳で死亡。その訃報を日顕は親教先の金沢で知ったが、その死を悼むどころか、山中温泉の高級旅館へ行って、坊主仲間と酒宴に興じた。

 翌日午後一時五十分頃、日顕が法道院に到着。と同時に、法道院上空に黒雲がわき上がり、アッという間に真昼の東京が真夜中のような暗黒に包まれた(写真)。日顕に対する日慈の怒りを感じた、と語る人もいる。


 風が強まり、大粒の雨が降り始め、稲妻が走り、雷鳴がとどろき渡った。

 更に、約一センチ大のヒョウまでも落ちて、浸水の被害や死亡事故も起こる異常な天候だった。

【法要はトラブル続き】
 日顕が腰を「く」の字に曲げて十七回忌法要に来た。前日までの好天は一転、池袋周辺には強風が吹き荒れ、日顕、日如が到着した午後二時半頃までは集まってきていたカラスの群れも強風に吹き飛ばされ、何処かへ避難したようだった。

 法要といっても、供養集めが目的なのだが、そうとは知らない講員は万単位の供養を包んで参集。なかでも婦人講員は結婚式の時のような派手さはないものの、着飾って集っていた。

  宗門行事にトラブルは付き物。この日も音響設備に不備があり、三階の警告灯も誤作動。役員らが青くなって走り回っていた時、近所でボヤ騒ぎもあり消防車数台が出動、騒然となった。

 法要の後、日顕と日如らは客殿で酒宴を催して談笑。池袋周辺だけに降り始めた雨の中、飲酒運転で帰路につく坊主もいた。



ちなみに私も日慈さん良く存じ上げておりますけど丁寧に

あいさつはできる方でしたが酒風呂で有名になりました!

お葬式【落合斎場】で何度かご一緒でした

後御講では池田先生を褒めちぎってました。