第578号 1993年1月1日
邪僧日顕に率いられた邪宗日顕宗の邪義を徹底破折しよう
破邪によって日蓮大聖人の正法正義は守られ極悪は滅ぶ
平成二(一九九〇)年十二月二十七日、日顕は広宣流布の大功労者である池田名誉会長を宗規変更にこと寄せて総講頭職より引き降ろし、実質的な罷免にした。
日顕は、これを契機に創価学会員の動揺を誘い、創価学会を切り崩し、思うがままに隷属させることのできる檀徒組織をつくろうとした。日顕は、信徒団体の長年にわたる熱誠に対して仇をもって報いたのである。
日顕は創価学会を破壊するために、数年にわたり機をうかがい策を練った。平成二年七月には、日顕ら宗門首脳七名により、創価学会を破壊するための具体的なプログラムを練り、その陰謀に対し「C作戦」と名を冠した。
以来、日顕は心中に満々と広がる貪(むさぼり)瞋(いかり)癡(おろか)の三毒を隠し、聖僧面をし、「C作戦」を実行する機をうかがったのだ。
平成二年暮れ、日顕の三毒が臨界に達したのか、はたまた日顕の邪智から見て創価学会破壊の謀略戦に勝機ありと判断したのか、ついに日顕は総講頭職にあった池田名誉会長に狂乱の刃を向けたのである。それから、早や二年の歳月が経った。
本紙『地涌』の創刊は、日顕が狂刃を抜いた数日後の平成三(一九九一)年一月一日。日顕らが「C作戦」という謀略をもって、創価学会破壊を策していることを知り、止むぬ止まれぬ気持ちから『地涌』を創刊した。爾来、無我夢中のうちに二年の歳月が経った。
この間、創価学会が仏教三千年の滔々たる流れの中で、確然たる位置をなす仏意仏勅の団体であることを、絶対的に確信することができた。いやそれ以上に、創価学会が久遠の縁に導かれ出現した尊い和合僧団であることを知った。その創価学会が実在するのは、創価学会三代にわたる師弟の基軸あったればこそである。
今回の僣聖増上慢・日顕と、それに率いられる邪宗・日顕宗との戦いにより、創価学会は師を核に金剛不壊のものとなり、創価学会員は日蓮大聖人の弟子としての使命をいっそう深く自覚した。
法難に勝利した今日では、仏子ら一人ひとりは、生命の奥底より喜びの光を放っている。その集合体である和合僧団も、また輝きを倍加した。
歴史上、悪が最終的な勝利を得たことはない。したがって、極悪の邪僧・日顕が敗北し、邪宗・日顕宗が滅びることに疑問を差しはさむ余地はない。
日顕らは当初、創価学会組織を切り崩そうと脱会者づくりに血道を上げていた。一時は、わずかばかりの脱会者に欲の皮を突っ張らせ、檀徒の飛躍的増加を夢見ていたようだが、現実はまったく反対の方向に展開した。
いまでは、脱会者は全国的に見てもほぼ皆無。それどころか、法華講組織内は四分五裂のありさまで、脱講者が相次いでいる。脱会は退転の一形態と本紙『地涌』では分析していたが、やはり脱会者たちは日顕宗を単に経由して退転しただけのことだ。
いずれにしても、日顕宗の各末寺の現状は、内憂外患のありさまである。仏意仏勅の団体である創価学会を破壊しようとした仏罰が厳然と現れ、還著於本人の姿をさらしているのである。
ある日顕宗の末寺住職は、「我々のことは、ほっといてくれ。創価学会は創価学会で勝手にやれば良いではないか」と泣き言を言っている。笑止なことである。
池田名誉会長を陥れ、“僧”の言うことを聞かなければ成仏しないぞと仏子らを脅し、創価学会破壊の策謀に一時は狂喜しておきながら、卑怯きわまりない逃げ口上である。仏子らの攻めは、これからである。逃げるなら泣き言を言わず、身柄一つで仏子らの寄進した寺から出ればいいではないか。
檀徒も減り、供養も集まらず、将来の展望もない。だが、日顕は末寺住職のこの苦悩を一顧だにすることもなく、この期に及んでも塔中に千畳敷きの坊を建てると大言壮語している。この“法主”に随うことに、末寺住職のほとんどの者が嫌悪感を持つに至っている。
日蓮大聖人曰く。
「修羅が帝釈をいる金翅鳥の阿耨池に入る等必ず返つて一時に損するがごとし」(開目抄)
【通解】修羅が帝釈を射て、たちまちその身をほろぼし、金翅鳥が阿耨池の竜を食わんとして、かえってその身を損ずる等のごときものである。
日顕宗の瓦解は目前である。内部的には、すでに分裂している。これが表面化する時期がいつかという問題だけである。日顕宗の瓦解を促進するのは、仏子らによる容赦のない脱講運動の推進である。
脱講運動の効果は、脱講者の獲得という目に見えることだけではない。脱講しないまでも、買春をし芸者遊びにうつつを抜かす日顕に失望し、“施を止む”人も現れている。
その反作用として、日顕宗の坊主の中には、“施”を求め金持ちの檀徒に媚びる者まで出ている。それがまた、法華講の内輪もめを複雑にしている。法を忘れ財に執着してきた者らが、貧困の故に財を前にして本性を表す。それがまた、日顕宗の瓦解を誘引する。
日顕宗は、どうにも止めることのできない崩壊への坂道を転がり堕ちている。仏法に照らせば、それは元より定められたことである。
日蓮大聖人曰く。
「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり、過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(聖人御難事)
【通解】もし日蓮が末法に出現しなかったならば、仏は大妄語の人となり(この仏語を真実であると証明した)多宝如来や十方の諸仏も、大妄語の証明をしたことになってしまうであろう。仏滅後二千二百三十余年の間に、一閻浮提の中で、仏の御金言を助けた人は、ただ日蓮一人なのである。過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑したり、賤しんだりする国王や臣や万民は、はじめは何事もないようであるが、必ず最後には滅亡の悲運に墜ちないものはない身をほろぼし、金翅鳥が阿耨池の竜を食わんとして、かえってその身を損ずる等のごときものである。
日顕宗の瓦解は目前である。内部的には、すでに分裂している。これが表面化する時期がいつかという問題だけである。日顕宗の瓦解を促進するのは、仏子らによる容赦のない脱講運動の推進である。
脱講運動の効果は、脱講者の獲得という目に見えることだけではない。脱講しないまでも、買春をし芸者遊びにうつつを抜かす日顕に失望し、“施を止む”人も現れている。
その反作用として、日顕宗の坊主の中には、“施”を求め金持ちの檀徒に媚びる者まで出ている。それがまた、法華講の内輪もめを複雑にしている。法を忘れ財に執着してきた者らが、貧困の故に財を前にして本性を表す。それがまた、日顕宗の瓦解を誘引する。
日顕宗は、どうにも止めることのできない崩壊への坂道を転がり堕ちている。仏法に照らせば、それは元より定められたことである。
日蓮大聖人曰く。
「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり、過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(聖人御難事)
【通解】もし日蓮が末法に出現しなかったならば、仏は大妄語の人となり(この仏語を真実であると証明した)多宝如来や十方の諸仏も、大妄語の証明をしたことになってしまうであろう。仏滅後二千二百三十余年の間に、一閻浮提の中で、仏の御金言を助けた人は、ただ日蓮一人なのである。過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑したり、賤しんだりする国王や臣や万民は、はじめは何事もないようであるが、必ず最後には滅亡の悲運に墜ちないものはない。
邪僧日顕に率いられた邪宗日顕宗の邪義を徹底破折しよう
破邪によって日蓮大聖人の正法正義は守られ極悪は滅ぶ
平成二(一九九〇)年十二月二十七日、日顕は広宣流布の大功労者である池田名誉会長を宗規変更にこと寄せて総講頭職より引き降ろし、実質的な罷免にした。
日顕は、これを契機に創価学会員の動揺を誘い、創価学会を切り崩し、思うがままに隷属させることのできる檀徒組織をつくろうとした。日顕は、信徒団体の長年にわたる熱誠に対して仇をもって報いたのである。
日顕は創価学会を破壊するために、数年にわたり機をうかがい策を練った。平成二年七月には、日顕ら宗門首脳七名により、創価学会を破壊するための具体的なプログラムを練り、その陰謀に対し「C作戦」と名を冠した。
以来、日顕は心中に満々と広がる貪(むさぼり)瞋(いかり)癡(おろか)の三毒を隠し、聖僧面をし、「C作戦」を実行する機をうかがったのだ。
平成二年暮れ、日顕の三毒が臨界に達したのか、はたまた日顕の邪智から見て創価学会破壊の謀略戦に勝機ありと判断したのか、ついに日顕は総講頭職にあった池田名誉会長に狂乱の刃を向けたのである。それから、早や二年の歳月が経った。
本紙『地涌』の創刊は、日顕が狂刃を抜いた数日後の平成三(一九九一)年一月一日。日顕らが「C作戦」という謀略をもって、創価学会破壊を策していることを知り、止むぬ止まれぬ気持ちから『地涌』を創刊した。爾来、無我夢中のうちに二年の歳月が経った。
この間、創価学会が仏教三千年の滔々たる流れの中で、確然たる位置をなす仏意仏勅の団体であることを、絶対的に確信することができた。いやそれ以上に、創価学会が久遠の縁に導かれ出現した尊い和合僧団であることを知った。その創価学会が実在するのは、創価学会三代にわたる師弟の基軸あったればこそである。
今回の僣聖増上慢・日顕と、それに率いられる邪宗・日顕宗との戦いにより、創価学会は師を核に金剛不壊のものとなり、創価学会員は日蓮大聖人の弟子としての使命をいっそう深く自覚した。
法難に勝利した今日では、仏子ら一人ひとりは、生命の奥底より喜びの光を放っている。その集合体である和合僧団も、また輝きを倍加した。
歴史上、悪が最終的な勝利を得たことはない。したがって、極悪の邪僧・日顕が敗北し、邪宗・日顕宗が滅びることに疑問を差しはさむ余地はない。
日顕らは当初、創価学会組織を切り崩そうと脱会者づくりに血道を上げていた。一時は、わずかばかりの脱会者に欲の皮を突っ張らせ、檀徒の飛躍的増加を夢見ていたようだが、現実はまったく反対の方向に展開した。
いまでは、脱会者は全国的に見てもほぼ皆無。それどころか、法華講組織内は四分五裂のありさまで、脱講者が相次いでいる。脱会は退転の一形態と本紙『地涌』では分析していたが、やはり脱会者たちは日顕宗を単に経由して退転しただけのことだ。
いずれにしても、日顕宗の各末寺の現状は、内憂外患のありさまである。仏意仏勅の団体である創価学会を破壊しようとした仏罰が厳然と現れ、還著於本人の姿をさらしているのである。
ある日顕宗の末寺住職は、「我々のことは、ほっといてくれ。創価学会は創価学会で勝手にやれば良いではないか」と泣き言を言っている。笑止なことである。
池田名誉会長を陥れ、“僧”の言うことを聞かなければ成仏しないぞと仏子らを脅し、創価学会破壊の策謀に一時は狂喜しておきながら、卑怯きわまりない逃げ口上である。仏子らの攻めは、これからである。逃げるなら泣き言を言わず、身柄一つで仏子らの寄進した寺から出ればいいではないか。
檀徒も減り、供養も集まらず、将来の展望もない。だが、日顕は末寺住職のこの苦悩を一顧だにすることもなく、この期に及んでも塔中に千畳敷きの坊を建てると大言壮語している。この“法主”に随うことに、末寺住職のほとんどの者が嫌悪感を持つに至っている。
日蓮大聖人曰く。
「修羅が帝釈をいる金翅鳥の阿耨池に入る等必ず返つて一時に損するがごとし」(開目抄)
【通解】修羅が帝釈を射て、たちまちその身をほろぼし、金翅鳥が阿耨池の竜を食わんとして、かえってその身を損ずる等のごときものである。
日顕宗の瓦解は目前である。内部的には、すでに分裂している。これが表面化する時期がいつかという問題だけである。日顕宗の瓦解を促進するのは、仏子らによる容赦のない脱講運動の推進である。
脱講運動の効果は、脱講者の獲得という目に見えることだけではない。脱講しないまでも、買春をし芸者遊びにうつつを抜かす日顕に失望し、“施を止む”人も現れている。
その反作用として、日顕宗の坊主の中には、“施”を求め金持ちの檀徒に媚びる者まで出ている。それがまた、法華講の内輪もめを複雑にしている。法を忘れ財に執着してきた者らが、貧困の故に財を前にして本性を表す。それがまた、日顕宗の瓦解を誘引する。
日顕宗は、どうにも止めることのできない崩壊への坂道を転がり堕ちている。仏法に照らせば、それは元より定められたことである。
日蓮大聖人曰く。
「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり、過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(聖人御難事)
【通解】もし日蓮が末法に出現しなかったならば、仏は大妄語の人となり(この仏語を真実であると証明した)多宝如来や十方の諸仏も、大妄語の証明をしたことになってしまうであろう。仏滅後二千二百三十余年の間に、一閻浮提の中で、仏の御金言を助けた人は、ただ日蓮一人なのである。過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑したり、賤しんだりする国王や臣や万民は、はじめは何事もないようであるが、必ず最後には滅亡の悲運に墜ちないものはない身をほろぼし、金翅鳥が阿耨池の竜を食わんとして、かえってその身を損ずる等のごときものである。
日顕宗の瓦解は目前である。内部的には、すでに分裂している。これが表面化する時期がいつかという問題だけである。日顕宗の瓦解を促進するのは、仏子らによる容赦のない脱講運動の推進である。
脱講運動の効果は、脱講者の獲得という目に見えることだけではない。脱講しないまでも、買春をし芸者遊びにうつつを抜かす日顕に失望し、“施を止む”人も現れている。
その反作用として、日顕宗の坊主の中には、“施”を求め金持ちの檀徒に媚びる者まで出ている。それがまた、法華講の内輪もめを複雑にしている。法を忘れ財に執着してきた者らが、貧困の故に財を前にして本性を表す。それがまた、日顕宗の瓦解を誘引する。
日顕宗は、どうにも止めることのできない崩壊への坂道を転がり堕ちている。仏法に照らせば、それは元より定められたことである。
日蓮大聖人曰く。
「日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人・但日蓮一人なり、過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(聖人御難事)
【通解】もし日蓮が末法に出現しなかったならば、仏は大妄語の人となり(この仏語を真実であると証明した)多宝如来や十方の諸仏も、大妄語の証明をしたことになってしまうであろう。仏滅後二千二百三十余年の間に、一閻浮提の中で、仏の御金言を助けた人は、ただ日蓮一人なのである。過去および現在の、末法の法華経の行者を軽蔑したり、賤しんだりする国王や臣や万民は、はじめは何事もないようであるが、必ず最後には滅亡の悲運に墜ちないものはない。