最近創価ネタが多くてすみません!

この信心は入るときに続けるのは難しい、難信難解ですといわれます。少なくても私は大石寺に17歳の時から31歳で破門されるまで16年間年に何度も大御本尊の御開扉【ごかいひ】に参加してきました。本山任務もしてまいりました。信者としてではなく参加する会員を守る側としても参加してました>お寺(法道院・常在寺)のお正月の警備も会員のために帰省せずしてきました。
池田先生は自分の為だけを考えれば表面上だけでも宗門と仲良くすればよかったのでしょう
しかし会員があまりにも可哀そうだとの思いで宗門の僧侶の改革を訴えたのです。黙って供養だけしているうちは宗門も池田先生を賛嘆していました。
昭和52年第一次宗門問題は反創価学会【池田先生へのマスコミ報道を信じ】の正信会という僧侶達が時の日達法主に逆らい創価学会員の信者達も引き連れて宗門を去りました。宗門は内部の粛清を打ち出したのにもかかわらず、残った僧侶も創価批判を続けました。連動するかのように創価の内部で策謀が張り巡らされ宗門と上手くやっていくために勇退しかないと池田先生を追い詰めたのです。池田会長に引退し聖教新聞にも登場させない創価学会にも僧侶を役員として入れるなどの条件までつけてきたのが宗門のやり方です。

第2代会長戸田城聖先生は創価学会の組織は【自分の命より大事】といわれました

池田先生は名誉会長となって宗門の僧侶が一番会員をいじめたところから廻り始めました会員の激励です。【私が来たからもう大丈夫だよ!】と私はは何のために信心してきたのか確信ができました。
師弟で広宣流布する為にはとどんな事があっても師匠から離れないと決めたのです。年老いた婦人や壮年を抱きかかえるように【本当に難儀をかけますが!大丈夫です!】若い青年には【みんな幸せになろうね!】と語りかける先生ご婦人は【先生もがんばって!】と秋田空港から会館に着くまで何度も沿道で待つ会員と記念撮影・街角座談会を重ねられた1982年昭和57年1月10日雪の秋田指導はあまりにも有名ですが私は東京でそんな先生の行動に涙しました

【学会員の家の葬儀には行かない、故人は地獄へ堕ちる、戒名はつけない、嫌なら檀徒になれ、等々。
旧習の深い地域で、無理解の飛礫(つぶて)に耐えて、供養の限りを尽くしてきた同志を、
背後から斬りつける、あまりにも卑怯、卑劣な仕打ちであった。 】(新・人間革命)

彼らは自分達が戒壇の御本尊を持っているから正しい
本山に参詣できるから正しいと主張します。
彼らのやっていることは反池田反創価反公明だけのようです
長くなりましたが最後まで読んでくれてありがとうございました!