インターネットで調べると面白い記事内容がありましたので少し紹介します。
概要 [編集 ]
本来は仏教 用語で、六道 輪廻世界観において欲界 の第六天にあたる他化自在天 にあり、仏道修行を妨げる「第六天魔王波旬」のことを指す(天魔 の項を参照)。
後にその他の神話 や伝説 における邪悪な神格の頂点、もしくは悪魔や怪物、妖怪 などの頭領の呼称として幅広く使用されるようになる。尊称、もしくは魔王の中の魔王を指す呼称として「大魔王(だいまおう)」がある。日本においては特にキリスト教 におけるサタン (ルシファー )の訳語として用いられ、時に「魔王サタン」などと称される場合がある。英語のthe Devilやarchenemy に相当する[1] 。
俗な用法 [編集 ]
古くは「悪魔」などと同様、人をののしる言葉として用いられていた[2] 。
比喩 としては、圧倒的な権力や暴力をふるう人間や、常人離れした才能・能力の持ち主に対しても用いることがある。ルイス・フロイス は織田信長 が自ら「第六天魔王」と称したと書き残している。また、北一輝 を指して大川周明 が「片目の魔王」と呼んだ。
また、特定の分野に非常に詳しい人物や、特定の言動が極端に目立つ人物を「 - 魔王」「 - 大魔王」と(時に揶
揄することを意図して)呼ぶ場合がある。
2009年7月25日聖教新聞6ページ8月度男子部教学部活研鑽のためにより引用90%
十界の生命の中の第六天(下から地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を支配する
王様です魔王なのは人間の一番汚い生命の主だからです。
大聖人の『ベン殿尼御前御書』
文永10年52歳御作
『第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして
・法華経の行者と生死海の海中にして
同居穢土(どうこえど)を・とらわれじ・うばわんと
・あらそう、日蓮其の身にあひあたり
て大兵を・をこして二十余年なり、
日蓮一度もしりぞく心なし、しかりと
・いえども弟子等・檀那等の中に臆病のもの
大体或はをち或は退転の心あり』
十軍について詳しく説明します
煩悩を魔軍として10に分けたものを言います。
『大智度論』によると以下のようにな
ります
①欲
②憂愁(うしゅう)・・・憂えること
③飢渇(きかつ)・・・飢えと渇き
④渇愛(かつあい)・・・五欲に愛着すること
⑤睡眠
⑥怖畏(ふい)・・・怖れること
⑦疑悔(ぎけ)・・・疑いや悔い
⑧瞋恚(しんに)・・・怒り
⑨利養虚称(りようこしょう)
・・・財を貪り、虚妄の名聞に執着する事
⑩自高蔑人(じこうべつにん)
・・・自ら傲り高ぶり、人を卑しむこと
すべて自分の弱さや傲りとの戦いなのである
牧口先生は
『生命を、幸福へ向かわせる住み家とするか、
逆に不幸へ向かわせる魔の
住所とするか、どちらか一方をとらなければならない。
進んで魔の働きをかり出し、
これを退治してこそ幸福と広宣流布とがある』
自分に勝つところから始まる
第六天の魔王の正体は『元品(がんぽん)の無明(むみょう)
【=生命に対する根源的な無知】であり、
支配されると(師子王4400も経験者)、
何が正義か何が真実の幸福の道なのかわからなくなってしまう
この無明を打ち破り、人々の心を変え、
さらに社会を変革しゆくのが広宣流布の大
闘争なのである。
大聖人は『此の信の字元品の無明を切る利剣なり』(御書725ページ)
強靭なる信心こそ、魔軍を打ち破り、
現実に仏の陣地を押し広げていくための
最強の『武器』なのである。
池田先生は『いかなる作戦も、
根本は強盛なる祈りです。敵が魔だから仏に祈る。
それで勝ちきっていけるのです』(御書と師弟)
大聖人は立宗宣言以来、二十数年にわたり、
命にも及ぶ迫害を何度も受けてこられた。
しかし、『一度もしりぞく心なし』と『師子王の心』
で敢然とすべてを勝ち越えてこられた
まさしく連続闘争、連続勝利の御生涯であられた。
退く心 弱気な心は魔に付け入る隙を与えてしまう。
臆病は敗北であり、退転への道である
絶対に負けない、最後まで攻め抜く、
断じて勝つという強き一念のこもった祈りこそ
が魔軍を打ち破る勢いを生む
法華経寿量品の『未ぞう暫廃』
(みぞうざんぱい)【未だかつて暫くも廃せず】
仏は一切衆生を救うために、
すこしの間も活動をやめたことがないとの意。
広宣流布へ戦い続ける人の
異名が仏なのである
戸田先生はかつて『常に『勇気』の2字で
戦う事がこの経文に通じていく』と指導され
『さあ来い!魔などに負けてたまるものか!
この覚悟で戦った時は、魔は退散する
のです』と言われております。
さあ戦いましょう【勇気】の利剣を持って('-^*)/