それから思ったけど


相手を信じるとか信じないとか

信じて欲しいとか信じられないとか


こういう類のものって、何か行動で示さないことには

信じることもできないわね。


ただ相手を信じているっていう人は、絶対心のどこかで信じきれていないと思う。

本当に相手を信じられる人は、相手がそれなりの行動を示しているんだと思うね。

普段の言動で。


相手に信じて欲しいなら相手を信じること

とかよく聞くけどさ、微妙に逆というか…

相手に信じて欲しいなら「信じさせる何か」をして

それを受けた相手はその人を信用して、自分も信じて欲しいと無意識に思って、

信じているからその相手も「信じさせる何か」が自然と伴うようになって

それで二人に信用性とか信頼性とか生まれるんだね。

っとかよく分かんないけど、そういうことだよ、うん。


何もナシに相手を信じきれることはそう無いと思う。

相手を信じてる人は、きっと過去そういう何か事例のようなものがあって

それがあるから信用しているわけで

例えばいきなり初対面の人を信じろ言われても難しいよねって話で。


逆もありで、

相手を信じることができない人は、きっと信用できない何かが過去にあったり。

それは小さなことでも大きなことでも。

裏切るとはまた別で、裏切ることはなくても相手が「信じさせよう」としないから

信用できないんだよ。

そういう努力が足りないのだな。


何もしていないのに「ただお前を信じているから」とか言われても

で、自分は?ってなるよね。

君が私を信じているかどうかは二番目ですよ。むしろそこは私の中の問題で、

君が信じてもらっているかが一番大切だよね。たぶん。

自分の中で大切にしてほしいのは相手への信用ではなくで自分の信用性。

信用できる相手には自然と心開くものでしょう。

信用できるから相手にも信用して欲しいと思うわけで。


これは私だけかもしれないけどね

信じてもらうより、信じることができる相手であった方がいい

たとえ相手が自分を信用していなくても、自分が相手を信用できていると安心でしょ。

だから自分も信用して欲しいと努力する。

       ↑

あ、最後のこれしない人はきっと浮気大好き。笑


結果、信じて貰うことを大切にする、ということ。


一人一人、自分を信用してもらえるように動くこと。

相手を信じるかどうかは二番目。

自分を信じてもらえるように行動して、信じてもらって、それから相手を信じる、っていう順序。

相手を信じるというのは「意思」ではなくて「結果」です。


極端にいえば

相手が普段からどんなに怪しくても

常に自分は信用してもらえるよう行動すれば、きっと相手も付いてくる。

それで付いてこない相手は、そういう人なんだと。

絶対お互い信用し合える人がきっと居るから、そこは無理に続ける必要はないとも思う。


周囲の人にも

自然に相手に信用してもらえる振る舞いが出来ている人、いるよね。

逆に無意識に相手を不信にさせている人も、いる。

前者はもちろんそのままでいいし

後者だって、意識を変えればきっと変われる。


てかもーよく分かんなくなった。

つまりこれはサイクルしてるな。スタートは人それぞれで。

ぐるぐる回ってる。うん。


もう寝る。