昨日は父のはなしを
書かせて頂きましたので
本日は母のはなし...
僕の母は
父より13歳年下でございます。
二人が、つき合うきっかけや
プロポーズの言葉等は
僕には全く謎なのですが
どうやら
母の住んでいたアパートに
父が転がり込んできたようです!
(やはり父は破天荒なのです)
その後、僕が生まれる訳ですが
妊娠中、母の体調は優れず
相当辛かったようです。
僕も産まれた時には
へその緒が首に巻き付き
けっこうヤバい状態だったとか...
いや~お互い助かって良かった....

そんな母に僕が感じていた
幼い頃の印象は
『おかん、怖ぇ~よ』です。
僕は一人っ子なので
内情を知らない方々は
『甘やかされて育ったんでしょう』
的な事をおっしゃいますが
いやいや、そんな事は無く
しょっちゅう
平手打ち制裁をくらっておりました。
(まぁ、僕が悪いんですが...)
僕の記憶では、父に殴られた事は
たった1回だけ(原因は忘れてしまった)
なのですが
母の平手打ちなどは
数など覚えていられません...
僕は幼い頃から
理屈っぽい子供だったようなので
屁理屈を言って、謝らない時などは
容赦なく平手が飛んできました。
それでも謝らなければ
実家の塀(金網状)に
縄で縛り付けられ
反省するまで放置されたりも
しょっちゅうありました。
ここまで書くと
『幼児虐待では...』と
思うかもしれませんが
僕自身、当時も今も
虐待されたと思った事はありません。
その当時から母が言っていたのは
『あんた、一人っ子なんだから
一人でちゃんと判断して
他人様に迷惑をかけないような
人間に育てないといけないの!』でした。

そんな母ですが
もともとは美容師だったり
着付けの先生だったり
剣道の有段者(たしか四段)
だったりします。
なぜ、こんな実直な母が
あんな破天荒な父と結婚したのかは
未だに僕の中では謎のままです。

さて、そんな母も僕がバンドに目覚め
先輩のバンドのスタッフとして
全国をまわる頃(16歳位かな)になると
『自分で責任をもってやりなさい』的な感じになり
僕の髪の色がどんなに派手になっていっても
怒る事はなく(機嫌は良くなさそうでしたが..)
父の余命が数ヶ月と判明した時も
『あんたが選んだ商売は
親の死に目にも
合えないかもしれない商売なんだから
あんたがスタッフでも休まず
全国をまわって来なさい!』と言って
送り出してくれました。
幸い、昨日書いたように
父を見送る事はできたのですが...

その後、僕は約2年程はバンドや
バンドのスタッフとしての旅などで
実家にいる事はあまり無く
母も父の分まで仕事をして
頑張ってましたので
お互いに自宅でも
顔を合わせている時間は
短かったような気がします
そして
僕が18歳の秋には
BY-SEXUALとして
事務所に所属となり大阪から
東京に上京してしまったので
通常の親子としての時間は
ちょっと短めかも知れません

バンドデビュー後
あまりの忙しさに
2年近く
まともに電話もしなかったり
実家に帰る事も
なかったのですが

僕の中では
『おかん、
ひとりで大丈夫かなぁ..』と
頭によぎる事も....

そんなある日
母から電話が....
『会わせたい人がいるの...』
僕は時間をみつけて
大阪へ向かいました!
そこにいたのは
亡くなった父に
とても面影の似た男性でした。

お互い緊張しつつも
酒を酌み交わしながら
その男性と話していると
まったく父とは正反対の
実直な性格の方で
『ほっ!』と一安心
ふと、母の顔を見ると
完全に少女の顔に...
(ドラマ等でよくある
モジモジした女性の状態)
それを見た僕は
『君!恋をしているね!』と
心の中でつぶやきました。
二人と色々話し、別れ際に
『母をよろしくお願い致します』と
第二の父となる男性に告げ
東京へと戻りました。

あれから
20年位たったのではないだろうか
思えば、母も亡くなった父よりも
長く今の父と暮らしている
たまに電話で話したり
僕のLIVEに
仲良く二人で訪れたりしてくれますが
相変わらず、母は時折
少女の顔に戻っています
二人が末永く幸せでありますように

 I wish you a merry Christmas!