その平林がまとめたレポートを載せたいと思います。
2009 D.D.A CREATIVE ACADEMY in BERLIN
1月26日(月)
18:25 関空チーム テーゲル空港着
19:10 成田チーム テーゲル空港着
20:30 ホテルチェックイン
21:00 ユダヤ博物館
ダニエル•リベスキンド(Daniel Libeskind)設計。
ヨーロッパ最大規模のユダヤ博物館。
メタリックな外観に無数に交差する鋭角的なジグザグのラインが印象的な建築。
中は、足音もたててはならない神聖な空間だ。
傾いた床。鋭角に交差する壁。天井を斜めに走る切り込みと光…
直線的でありながら人を迷わせる迷宮的なその構造に方向感覚と平衡感覚を失う。
一気に3階まで続く階段もまた、ユダヤ人の苦悩と不安感を追体験することとなる。
そして人類史上最大の悲劇であるユダヤ人大虐殺、ホロコーストの悲劇を再現する空間。
真っ暗な深い闇。沈黙と圧迫感。
そこにいるだけでとてつもない恐怖が押し寄せてくる。
二度と繰り返してはならない。
過去に実際起きた事実に現実味のない現代の私たち
その歴史を多くの人に伝えるために人を集める力を持つ建築もまた、とても重要であると
感じた。

21:40 チェックポイント•チャーリー ~ ベルリンの壁
第二次世界大戦後の冷戦期においてドイツ•ベルリンが東西に分断されていた時代に
東西境界線上に置かれていた国境検問所。
ベルリンの壁とならぶ、東西分断の象徴である。
そのチェックポイント•チャーリーを通り、ベルリンの壁跡地へと向かった。
1989年、ベルリンの壁崩壊。
たった20年前まで、ここベルリンは東西南北ぐるりと高い壁に囲まれ、
外部とのつながりを遮断されていたなんて信じられない。
西ドイツの裕福な生活。一方、東ドイツの貧困生活…
壁を隔てたあまりに大きな格差…
彼らはメディアを通してお互いの生活を知っていたという。
電波までは遮断できなかったからだ。
西ドイツの人が東ドイツへ行くことは許されても、
貧しい東ドイツから西ドイツへ行くことは絶対に許されなかったという。
閉じ込められ、自由を奪われた東ドイツの人達はどんな思いだったのであろう。
実際に跡地をめぐりながら、ヘアモード編集長の中尾さんが
ドイツの歴史と文化についてレクチャーして下さった。

11:00 建築デザイン フランク•ゲーリー ~ オリエンテーション
植村による、フランク•ゲーリー含む「建築とデザイン」についてのレクチャー&
今回のアカデミーツアーについてオリエンテーションが行われた。
初日から深夜0時をまわるハードメニューとなったが、
ついに始まった熱き16名の感動の7日間。
他では味わえない凝縮されたスペシャルな旅の幕開けだ…

1月27日(火) シティーツアー ~ BAUHAUS
7:10 ホテルロビー集合
8:00 ドイツ連邦議会議事堂
8:30 DZ銀行
フランク•ゲーリーの最高傑作と言われているDZ銀行。
内観を見てまわることはできなかったが、正面のエントランスからのみ見学がゆるされた。
クモの巣のようなアーチ形のシェル屋根に包まれ、何とも言えない存在感を放つ巨大な
オブジェ。
銀色の冷たさと、木の温かさ。そしてガラス。曲線の嵐、光…
様々な素材を融合させたそのビジュアルとクオリティの高さには圧巻だ。
とてつもない迫力。
すばらしかった。

14:00 電車で約2時間、Dessau着。
あこがれのBAUHAUSに到着。
あのBAUHAUSに泊まれる!!
あの頃の学生達と同じようにBAUHAUSでの時間を共有することができる!
とても興奮していた。
写真で何度も見ていたBAUHAUS。思ったよりもミニマムな印象を受けた。
直線的な構図、ライン使い、色合い…
あの窓……かっこいい…!!
シンプルかつモダンな空間。立体的に見せる色使い。
どこを見ても、作者のことを考え、想像力が膨らむ。
そこにいれることが本当にうれしかった。

17:30 BAUHAUSの歴史 ~ 単化練習
植村がBAUHAUSの中を案内し、スライドを使ってレクチャーを行った。
(研究発表の内容を載せてはどうか…BAUHAUSとは?)
奥が深く、幅広いBAUHAUSの歴史をわかりやすく凝縮し、
デザインの起こし方、トレーニング方法、発想論を学ぶ。
19:00 ヘアモード撮影 公開打ち合わせ
編集長から企画内容が伝えられ、カメラマン、ヘアスタイリスト、メイキャッパー含む
4人での打ち合わせ模様を大公開。
実際、撮影依頼はどのように行われるか?
どのように絵作りが進められているのか?
イメージの共有は?
見る視点は?
一つの作品、又は一冊の本がつくりだされていく様子を知る貴重な時間となった。
明日、実際にここで撮影が行われていく。


まだまだ続きます

こうご期待
