「なんか嫌い」と思った人が私にとってめちゃくちゃプラスになる人でした。
友達にすすめられた人だったんだけど、話をしているところを見て「なんか嫌い」と思いました。
でも「なんか気になる...」と頭の中にずっといて
結局セミナーまで受けることに。笑
それが大正解で「なんか気になる...」がやっぱり正しかった。
私の人生にとってめっちゃプラスになって、その人みたいになりたいとまで思っている。笑
なんか嫌いと思ったのは振る舞いだけ。
無駄な言葉もなくて頭もキレキレで、でも嫌いと思った。
その嫌いは目で判断出来る姿形でだけ判断したから。
好きも嫌いも、目に見えるものだけで判断するものは全く意味がないなと思った。
頭で判断する好き嫌いは、これまで生きてきた経験からの偏見でしかないから。
その偏見がある意味自分をかたどっているけど、
在りたい姿があって、やりたい事があって、
これからの自分の人生に期待があるんだったら
頭での判断より「なんか気になる...」みたいな
言葉にならない興味に従うのも良い気がする。
たしかに目で見える部分も大切だけど、やっぱり女性性で繋がってる。
そっちのインスピレーションに従うことが、自分の人生を広げる。
だから表現は本当に好きにしたらいいんだ。
表現へのジャッジには意味がない。
その奥にあるものから得られるものがあれば自然と惹かれるようになってる。