どんな素材、特徴を持った人でも価値だという話。


子供のあれこれが気になる人にも知って欲しい話。







子供の習い事などで
他の子と比較して気になることがありました。


出来れば活躍する息子を見たい、
やる気のない態度にイライラする、とか。


子供が熱を出した時、怪我をした時、
「どうか元気でいてくれ」と思う。
それが本当の1番の望みなはずなのに
いつの間にか「出来る事」「優れている事」が
大切になってしまう。







私は学生時代、
全然勉強をしてきてないし
学校に行かない事も多かった。


夫もアホの学校出身←言い方w
でも楽しんで仕事が出来ている。


だから子供の勉強へのハードルは低め。
別に出来ても出来てなくてもいいって
根っこで思えている気がするから
自然に否定するような言葉や態度が出る事は
少ないと思う。


ただ、習い事や運動神経なんかで言えば
「出来る事」「優れている事」を評価されてきたから、そこに価値を見出してしまい重要になってしまう。


だから、出来ていて欲しいと思い
あれこれ気になる。


そんな風に
人によって価値を見出す部分は
違うと思うけど


だいたい子供に許せてない部分は
自分に許せてない部分。
子供はそれを教えてくれるきっかけになると思っている。









でもやっぱり気になる!とか
自分をゆるせない!という人。


もうこれは真理で決まっている事で
みんな対等に価値で、

どんな素材
(持って生まれた特徴)でも
まじでみんな対等に価値

と知って欲しい。




なぜかというとこの地球には
太陽があって月があって重力があって
女の人には生理があって妊娠して
子供を産む事が出来るようになっている。
これはもう誰でも分かってる事。


でも、子供を産んだあと
どうやってこの人間をお腹の中で作ったの?
って思ったんだけどそれはもう
生かされているからで、
人間に人間を作る事は出来ない。


この目とか、耳とか、触覚の感覚とか
全部全部生かされているから存在出来る事。


赤ちゃんを見れば
その奇跡は誰でも感じてると思う。


そして思考とか我があるから
個体として生きる事が出来ているけど


源、大元、神、宇宙とかいろんな表現があるけど
そこから個体を見ると
もう存在している事がすでに奇跡で
その奇跡の上でそれぞれの特徴、素材がある。


だから1人1人が価値

特別な存在とか、大切な存在とか
言い方はなんでもいいけど
とにかくそのままでいいんだと思う。


それを、たかが個人の思考や思い込みで
特別な素材を潰してしまっていいのか、と思うのだ。







潰された、と思う人は
他人に自分の価値を潰す事なんて出来ない
だってみんな価値なのはもう決まってる事だから
って知ったらいいし、


子供のあれこれが気になる人は
まず自分のあれこれを許したらいい。
だってそれも全部価値の上にある特徴だから。
自分にも許せたら他人にも許せる。


自分は自分のままでいいんだ♡
って思いましょう、とかじゃなく
思えなくてももう決まってる事!!