つい最近

感謝ワークの途中、



大切な人達が

酸素を吸える身体を持っていること

鼻が詰まっていても口でも呼吸が出来ること

腸が正常に働いていること

筋肉がいいバランスで働いていること

免疫のおかげで勝手に健康に向かうこと



それって普通じゃないんだ

という事を思いました。



もし自分の子供が障害を持って

産まれたとしたら?



今日も話が出来る、ありがとう

今日も一緒に過ごせる、ありがとう

今日も生きてる、ありがとう



ただただ存在への感謝しか湧かないと思う。



そして大切な人が亡くなったとしても

幸せな時間をありがとう

たくさんの学びをありがとう



そうやって存在があった事実を見て

そんな奇跡をありがとうと

共に生きていく事を選ぶ。



もちろんこの肉体にかかる重さや

病に苦しみを感じる事もあるけど

それすら大きい視点から見たら喜びで



この肉体を持った自分達が

幸せに生きようと思ったら

目の前の一つ一つを感じる事、それだけ。








先日、

久しぶりにしっかり体調を崩しました。



息子のウイルス性胃腸炎がうつって

吐き気と頭痛と熱とで歩くのもやっと。



こんなにしんどいなら

死んだ方がましだって思考にもよぎった。



肌のピリピリと全身の痛みと

なぜか下半身が特にどーんって重くて

ただただ横になってボーッとしてたくて

あんまり考え事もしたくないから

ネットフリックスで映画を見てた。



そして、

子供の「大丈夫ー?」に愛しさを感じて

夫が作ってくれたうどんがやけに美味しくて

これが幸せってやつだって思った。



どんな身体を持って生まれても

人の優しさに触れたり

美味しいもの食べたり

その時その時で出来る事をして感じる事、



苦しい悲しい、を選ぶか

ありがとう、を選ぶか

それも自由だって思った。










継続講座の中で

車椅子を押して貰う人がいるなら

押させて貰う人がいて

そこには対等の経験がある、

という視点を貰いました。



本当に、

見えるものだけで人を測って勝ち負けして

偽の優しさで優越感感じて

勝手に人を可哀想にするんじゃなくて



ただただ私はこうです。って

堂々と在れて、認め合える関係がいい。



そんな事を思ったのでした。






息子が作ってくれたビーズの指輪

合わせるとカワイかった♡ネックレスも作ろっと♡