3月の後半、
京都のリッツ・カールトンに泊まって来ました。


夫が運転して連れて行ってくれたんだけど、
車の中で思考を眺めて、消して、というのをしながら鴨川の桜を眺めていると、
どこまでが自分かわからない感覚に。


私はたまにランニングをするんですが、
身体に集中していると以前もその感覚になった事があるんです。


ぜーんぶが一緒に感じる感覚。
初めてなった時は
自分の足が地面から離れた時に
うわ!ってなりました。


そうか、この物体が自分なんだ!
本当は全部一緒だけど
肉眼で見える世界ではいろいろ離れてる。


じゃあこの重い物体って
自分にとってめっちゃ価値じゃん!
造形とか全く関係なく対等に価値だわ。
って事を実感しました。

 






話を戻して、
姉と母も泊まる予定だったので
奥のバーに通してもらって
2人を待ってから合致してチェックインしました。






姉がリッツ・カールトンで働いているので
フロントのお姉さんとも親しげに話していました。


姉は賢くて、英語もペラペラだけど普通の人です。
そんな姉が働いていて、
スタッフとも親しげに話をしていて、


確かに、ホテルの造形や香りやお花、
インテリアもモダンでかっこよくて
素直にすげーーとなるんだけど、
そんなに特別大きいものって感じではなくて。


海外からのお客さんも多いだろうから
日本に来たなーっていうのを楽しめるように
和をかっこよく演出している、というか
世界観がしっかり作り上げられていて
おもてなしもすごく素敵で、
和ってめっちゃカッコいい!!と思いました。


継続講座中
さきこさんのパリの話を聞いた時に、
これからハイブランドとか
高級ホテルとかを経験する時は


「こんな小娘が
こんな素敵な場所を経験出来て嬉しいです♡
ありがとうございます♡」な姿勢でいよう、
と思っていたからっていうのもあるかも。












姉は京都のリッツ・カールトンちょーいいから!
子供にも優しいからおいで!って何回も言ってくれてました。


私はそれでも、
いやいや...子供達絶対うるさいし
走り回ったりしたら恥ずかしいし
どう見ても場違い...


と思って、
今まで何回も誘ってもらった事はあるのに
なかなか足が重くて。


今回は母が泊まるから
ともみ達家族もいたら嬉しいだろうから!
って姉に誘ってもらい行く事になりました。


そして今回実際に泊まってみて感じた事は
私の考えていた事も全部幻だし、
結局目に見えているものも幻。
そして、この感じられる身体が価値だから
どこで楽しみたいかだな、と。


だから何を選ぶかは好みだけど
この価値(身体)がどう扱われるか、には
ちゃんとお金をかけたいなぁと思いました。
(もちろん出来る範囲で)


それは自分をどう扱うか、
という事でもあるなー、と。


目で見えるものや、
清潔に感じる安心感や、
宿泊中のお風呂の時間、
ケアする時間、
朝コーヒーを飲む時間、
どの時間も大切にしようとしてくれている感、
を感じて(私が勝手に受け取ったものですが)


身体が何よりもの価値、なら
安心して気持ち良く過ごせる空間や
スタッフの方の対応、などに
お金をかけることは当然なんだろうな、と。


それは、いつもの自分が身を置く空間や
自分をどう扱うか、にも繋がる。


価値(身体)に価値(エネルギー)をかける事。
外側から素敵なおもてなしを受けた事で、
「高級感」に価値があるのではなく
そこで過ごす「自分の時間」が価値で、


それが前提にある上でおもてなしとして、
見える形にしてくれているから
こんなにも嬉しい♡♡って
心が満たされたんだと思います。





お風呂も桜



子供達用のテントやおもちゃまで♡






私は山奥でグランピングとか

田舎のひろーい公園とかも好き。

子供達が必死にカエルを捕まえているのを

見る時間も同じように幸せな時間。



勝つため!映えのため!ではなくて

自分と大切な家族の経験として、

いろんな場所に行ってみたいなぁ♡

と思いました。



経とは→過ぎてゆく、とおりみち。

験とは→結果が形をとってあらわれること、証拠になる事実。



経験は、事実のとおりみち。

「存在」「ある」「価値」「私」の「感じる事」。



だから本当に全部対等。