平南ホテルや、その他、いろいろ考察

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私は少しでも異なったことをいう人の名をなるべく多く記憶したり、ちょっとでも新しいことを書いた書物の題をなるべくたくさんに暗記して、ただそれだけでいわゆる旧思想が完全に破壊され得ると考えていたらしい。
 私の懐疑は私自身の苦しい思索の結果というよりもむしろ私の断片的な知識の蒐集に本づいていた。しかしさらに悪いことは、私は私が懐疑主義者であるがゆえに私は他の人たちよりも優秀な人間であると思っていたことであった。私はひとかどの思想家のつもりで他のまじめに学業に励み教訓に忠実な人々を蔑んだ。私たちがそれらの人々を呼んだ名は「古い頭の男」もしくは「意気地のない男」というのであった。けれども懐疑主義はどんな理由からでも他人を攻撃することができないはずではないか。懐疑主義が売物にされることほど不合理なことはない。懐疑主義はそれが正当に解された場合においてさえ語られざる哲学においてのみ許され得る思想である。いまから考えてみればあの時代の私の懐疑は新思想を担ぎ廻って新しがらんがための懐疑であり、自己の虚栄心に媚びんがための、あるいは人が自明のことと承認していることをも疑い得る能力が私にあることを示さんがための懐疑であったように思う。