自分が精神的に半健康で社会的に適応していない人に囲まれていると分かったら、何をおいてもその環境から抜け出すことである。

とにかく脱出すること。

自分の環境は自分で選んでよい。

たとえば親孝行は良いことである。
しかし、この半健康グループで子供に親孝行を求めることは、おまえは分裂病になれ、君はうつ病になれ、と求めているのと同じなのである。

さらにいえば、健康な社会で育った人には、親孝行ということが彼らには不可能であるということがおそらく解らないであろう。

それが分かるためには、たとえば二重束縛(ダブルバインド)ということが解らなければならない。

しかしそれは、全能の神に向かって、「あなたが持ち上げることのできないほど重い石を創れますか?」とたずねるに等しい。


健康な人は、この世の中に愛を求めながらも、他人の愛を受け入れる能力のない人がいるということも解りにくいであろう。

この世の中には他人に近づくように求めながら他人を排斥している人がいる。

「杖をあげて犬を呼ぶ」という格言がある。この時犬はどうすればよいか。

犬には三つの生き方がある。

第一は近づいて杖で殴られて死ぬ。

第二は近づきもせず逃げもせず、近づかないことを非難されつつ矛盾した要求に身をさらし、ノイローゼになる。

第三には逃げだして非難される。


さて、どれが正しいであろうか。
カリギュラ効果とは、禁止されると、かえって余計にその行為をやってみたくなる心理のことである。一例としては、「お前達は見るな」と情報の閲覧を禁止されると、むしろかえって見たくなるなどの心理が挙げられる。
この効果は、広告宣伝やテレビ番組でも利用されている。例えば、テレビ番組で、「ピー」などの効果音を付けて発言を聞こえなくしたり、モザイク処理をかけて映像の一部を見えなくすることにより、いっそう視聴者の興味をかき立てるなどである。
映画『カリギュラ』が語源で、過激な内容のため、ボストンなどの一部地域で公開禁止になったことで、かえって世間の話題を惹いたことにちなむ。
幼児が「なんで?」と聞く時は原因ではなく目的が知りたいとき。

「なんでお日様がでてるの?」には「あなたや草や木を暖めるためだよ」など、そういう答えに満足します。

仕組みや原因を知りたくなるのはもう少し年齢があがってからです。