「やさしい人」は心を見る。

では心を見るとはどういうことか?

心を見ない母親の例。

学校で「元気な由美子ちゃん」と言われている子がいた。

彼女は自分は元気でなければいけないと思って、いつも元気にしていた。

でもいつも元気にしていることは辛かった。

一人でトイレで泣いた。

学校で残されてから家に帰る。

でも騒いで家に帰る。

「元気な由美子ちゃん」と言われているから、イヤでもしかたなく元気に帰る。

すると親は「学校で残されたのに、この子は無神経」と言う。

やさしい母親は子供の心を見る。

子供が「お腹が空いた」と言う。

言葉通り解釈する母親がいる。

でも、子供は母親に甘えているだけの時も有る。

子供が「食べたくない」と言う。

言葉通り解釈する母親がいる。

でも、子供は不満をぶつけている時も有る。

言葉と本当の気持ちは違うことがある。

この言葉でこの子は何を言いたいのかを考える母親がやさしい人。
甘えを脱しきれない人間が、つねに欲求不満なのは、つねに自分の望みを抑圧しなければならないからである。

一体感がこわれるのが恐くて自分を主張することができない。それが甘えた人間である。

親が子供に甘えるような場合には、親は心理的に依存しながら子供を自分の思うように動かそうとする。子供に心理的に頼りながらも、子供を支配しようとする。子供べったりで生活しながら、子供を自分の望む職業につかせようとする。

子供べったりの生活をしている親だから、子供の言うことを聞くかというと、けっしてそうではない。子供べったりの生活をしながらも、子供を自分の望む大学に入れ、自分の望む企業に就職させようとする。

これは甘えた人間関係一般について言える。相手に依存しながらも相手を支配しようとする。いや、正確には相手に依存しているからこそ、相手を自分の思うようにしようとするのである。

相手に心理的に依存していなければ、それほど相手の一つ一つの言動が自分の心理に影響しない。相手に心理的に依存しているからこそ、相手から尊敬されることが意味を持ち、相手から嫌われることが怖い。
相手に依存しているからこそ、相手を依存しないではいられなくなる。