女の子になるとき -2ページ目

とある日

それから1・2年は彼との連絡はなくなっていたと思う。


いや あったのかもしれないけど、私からあえて繋げようとはしなかった。


そんな夏の日のこと。

メールに

花火を見に行きたい

と送られてきた。


三重県の尾鷲の花火は結構有名らしい。


私は断った。


怖かったんだと思う。

信用できないというか。

今では考えられないけど危険な感じがあったのだと思う。


でも本当に記憶がない。

人間っていうのは、淋しくて本当に嫌な期間の記憶は自ら葬ってしまうのか。


それで自分の身を守ろうとするのか。


だから私の記憶の中では、彼とまたいつから付き合いだしたのかも定かではない。


覚えているのは、幸せなことばかりだ。

大学卒業後

卒業後彼との付き合いも一時終わることとなる。



親に反対されたからだ。



何故反対したかは分かる。彼が人間的に荒んで変わってきたのだろう。

目つきや態度が親にとっては以前と違うことを察するには時間がかからなかった。

私はどうして良いか分からず、別れた。


3日間ぐらい寝込んで泣いた記憶しかない。

そして父が仕事から帰ってくると私の横にいてくれた記憶しかない。


別れを告げた私は、何をしていたのかも分からない。


ただ今となって言えるのは、父と母に感謝の気持ちがあること。

あのとき反対してくれたからこそ、今の幸せな遠距離恋愛がある。

私は感謝している。

大学を辞める

其の出来事があるまで


私たちは本当に楽しく毎日過ごしていた。


生まれて初めての


男の人と半同棲生活。


大学生という分際でありながら。


毎日一緒にご飯を食べて

毎日一緒に寝る。


休みの日には


二人でボーッとしたり


買い物(ショッピングではなくて、生活用品を買いに行くという、色気のないものだけど)をしたり


原付で走りにいったり


とにかく どこへ行くにも一緒にいた。



そんな平和で温かい幸せは


大学二年生の春で終わってしまった。





彼が大学を辞めたのだ。


経済的理由で。



お父さんが


彼の学費を使ってしまったのだ。



でも今考えれば


私は後悔ばかり残っている。



あの時


部活を辞めて


バイトして学費を自分で出すように


説得できれば


今は変わっていたのかもしれない。


しかし


当時の私の心境でいえば

体育大学は


自分の競技ができなくなってしまったら


それはもう


大学を辞めたのと同じ意味合いがある。


だって


自分の競技が大好きで


強くなるために


大学に入った人が ほとんどなのだから。


それを考えると


部活やめて 学費を自分で稼げ


とは言えなかった。





社会人になった今


其の考えが正しくなかったことが


痛いほど分かる。







大学を辞める…


彼の夢であった


教員になることも


なくなり


そして


私たちの短すぎる


二人の楽しい時間も


終わってしまった。





本当に泣いた。



二人で声を出して泣いた。



何も動かせない無力な自分が情けなかった。



そして付き合って約10年経つが


彼の泣く姿も


この一度だけだった。





そして彼は家のある


三重県に帰っていった。



私の部屋には


帰っても電気はついてない。


ご飯を食べるのも


ひとり。



でも



友達がいてくれた。