婆ちゃん、ありがとう | ˙ᴥ˙あたしんち˙ᴥ˙

˙ᴥ˙あたしんち˙ᴥ˙

我が家の備忘録
桜文鳥の成長日記

夜中の1時半、
父方の祖母、
あたしの婆ちゃんが天国に
旅立ちました悲しい

昭和2年生まれの97歳でした👵🏼


婆ちゃんの家は学校(小学校も中学も)と
自宅の丁度中間地点にあり
毎日のように学校帰りは
婆ちゃんの家に寄ってました🏠

本家である婆ちゃん家には
長男(父の兄)家族と孫たちもいて
大家族で賑やかでした(*^^*)

私が小さい頃は両親が共働きだった為
婆ちゃんによく預けられ
面倒を見てもらっていて
婆ちゃんの後を金魚のフンみたいに
ついて回っていましたニコニコ
1人で近所を歩けば
知らないおばあちゃんから
「〇〇(屋号)の子か!」
「〇(父)の子か!」と、
私の顔が余程父や婆ちゃんに
似ているようですぐどこの子か
バレるという程父方の血筋が濃いニヤニヤ




働き者の婆ちゃんは毎日毎日
畑に田んぼに忙しく、
家に行って婆ちゃんの姿がないと
数ある田んぼや畑まで走って
探しに行ったものです、、

たまに暇を見つけては
2人で商店に行きアイスを買ってもらい
食べるのが凄く楽しみだった。
私は決まってあずきバー。
婆ちゃんがあずきバー好きだったので
婆ちゃんの真似して自分も
よく買っていました。
当時60円くらいであの頃でも
安い方の種類のアイスだったと思うんだけど
子供なりに婆ちゃんにお金を
使わせまいと安いアイスを
買っていた記憶がありますニコニコ
大人になって気付いたけど婆ちゃん
めっちゃ金持ちだった🤣


そんな婆ちゃんですが晩年は
老人ホームのお世話になっていました。


コロナ禍の頃、
婆ちゃんの容態が悪くなり
親族たちは覚悟を決めていたけど
まさかの大復活を遂げ親族一同を
驚かせる一件があった泣き笑い


その後も元気に
過ごしていたようなんですが
先週、婆ちゃんが食事を取らなくなり
点滴も、延命治療もしないという事を聞き
覚悟しておくようにと父から
連絡があって。


また前回のように
大復活を遂げてくれるんじゃ?
と小さな期待を抱きつつ……


今朝、旅立ちの連絡がありました。




婆ちゃん本当に長い間
お疲れ様でした。




大好きだった私の婆ちゃん。
私が20歳で挙げた結婚式にはまだ
元気だった婆ちゃん(77)が来てくれて、
曾孫である息子たちにも会わせられ
悔いはないです悲しいキラキラ



一足先に旅立った爺ちゃんが
お迎えに来てくれるだろうな昇天

爺ちゃんと婆ちゃんは本当に
仲良しだったから流れ星

すーっごく優しくて男前な
爺ちゃんも大好きでした。


随分と会えてなかった婆ちゃんに
明日、明後日、逢いに行ってきますスター