出すの遅れてしまって本当にごめんなさい、、、
3限てことはワイヤレスコミュニケーション中間だったんだ、全然知らなかったけど早慶戦でお休み。 危な、、
ひなこは、12期で一番って言っていいくらい容姿端麗ってやつよね、スタイルも良いんだと思う、たぶん
ひなことか、くまもんとダンスの話なんて1回もしたことないけど、 2人にはいつも助けられてます、学科で、 ありがと
一瞬で自己紹介🎲
家は茅ヶ崎っていう神奈川の海のすぐ近く、今は父と2人暮らしで、地元の小中を出てからは、神奈川県立湘南➡︎慶應理工電工って感じです
B型で、誕生日は9/16、安室奈美恵のデビュー引退日と一緒ですね💎
今日は、いつもと違って真面目な話。 *気分が高揚している人は読まないで、お願い
読んでくれた人には、僕みたいに後悔してほしくないから
1つ考えてみて欲しいことがあります。
『明日、大切な人が死ぬとしたら、今日、あなたは何をしますか?』
自分の好きなダンスはあーだこーだ、est2018⚔️やりきる、とか言ってダンスの練習をしますか? しませんよね、今すぐにでも会いにいくと思います。それはなぜですか
『ダンスなんかより、もっともっと大事なものだからです』
絶対忘れちゃダメ、自分にとって大切な人、失ってから気づくじゃ遅い、遅すぎる、
あくまで、
勉強、バイト、趣味っていうのは、大切な人と過ごせる環境があってこそやる気が出るもの
これは本当に痛いぐらい肌で感じたことだから、誰に否定されても言い切れます。
もともとブログでは、『ダンスできるだけで幸せなこと、サークルで失敗しても落ち込まないでいこ』ってことを書こうと思ってて、わざわざアヤトに頼んでこの時期に交換してもらったんだけども、、
そのあと、予想外の出来事で人生が狂っちゃって、 今はそれについてしか出てこないです、 ごめんなさい、
1番下、最後の方だけ読んでもらえれば大丈夫です
実は、今年の10/3、最愛の母を肝臓癌で亡くしました。 皮肉なことに、ガンだと知ったのは9/16、「もう末期のステージ4で、どうしようなく、いつ亡くなってもおかしくないそうだ、」と父から告げられ、気づけば葬儀は10/6、矢上祭の日でした。
最期の日、それは突然でした。 緊急連絡が入り、大学から病棟まで死ぬ思いで駆けつけて、やっとの思いでドアを開け、母の顔を見たときに鳴り始めた心肺停止音、 、
息が詰まって、もう、凍る思いでした。 。 ピー。ピー。って、まだ頭の中で再生されるんです、何回も
昨日まで楽しそうに家族3人で喋ってた母の容態が悪化し、急に息を引き取ったのですから、 信じられなかった、 、こんな辛いことがあるのか
医者に余命宣告されてからは、悔いのないよう、母が喜ぶことを考え続けて3週間、できるだけ病院に行って一緒に過ごしたし、 ずっと覚悟はしてて、
でも、いざ現実を突きつけられると耐えられなかった、 、 無理だったそんなの、記憶が吹っ飛ぶくらい泣き叫んで、 でもどんどん悲しくなるだけ、 あれが本物の発狂ってやつだ、 ふざけて使っていい言葉じゃない
地獄の葬儀が終わってからも、寝つけないし呆然として何も集中できずに、ただただ時間だけが過ぎて行きました。
気分変えようと、どこかへ行って何かをしても、 小さい頃からいろんな場所に連れてってくれた母、家族3人で過ごした思い出、どんどん頭覆い尽くして とてつもない喪失感というか、、後悔未練が襲ってくるんです こうやって書いてる今も、
もう何でもするから、できることなら戻りたい、 お母さんがいた頃に
思えば、母はずっと応援してくれてました。
年下にも負けてばかりだった幼少期の空手、代打ですら出られなかった中学野球の練習試合も、部員不足で出場ギリギリだった高校バレーの県大会だって、振り向けばいつも、
片手にデジカメ、こっちに微笑む母がいた、
もっと『来てくれて、応援してくれてありがとう』 言えてたらよかった、 、 そんな単純なことなのに、
いっつも全然活躍できてなかったし、なんならうっとおしい恥ずかしいなって思う日もあった。 共働きで忙しいし見に来なくていいからって、よく言ってたけど、 母はそれでもこっそり見にきてた、
あんな自分のこと思ってくれてたのに。
なんで素直になれなかったんだろうか、 自分のことしか考えてなかった、 、本当にバカだった 親孝行は働いてからで良いかな、 とか、何考えてたんだろ、 もっと母の喜ぶこと、手伝いとかいっぱいしてあげればよかった、
大学でダンスを始めてからも、春ぱクライベBJ夏コン1イベ連盟新歓、何か出番があるたびに見に来てくれてました、 全部、
特に去年の矢上祭は気に入ってくれたみたいで、嬉しそうに何回も褒めてくれてですね、 「3年生だし、来年は一緒に見る側だね」とか言ってたのに、
まさか今年の矢上祭の日がお葬式になるなんて思ってもみなかった。 。
母だけは入院中も、自分が末期ガンだって知らされてなかったから、
「去年出てなかった分、今年の三田祭ステージが楽しみだなぁ」とか期待してて、 目輝かせてニコニコ喋ってた。 。
三田祭の前に死んじゃうのにさぁ、 、 、 、 、 やるせなかった、何だよこれ、
僕が人前で活躍することなんてあんまりなかったもんだから、ダンスで目立たせてもらえたりして、嬉しそうで、 、
だからもっとダンス上手くなって、息子のかっこいいとこ、見せてあげたかった、 。
でもね、もうそれはできないんですよ、 、 いつきと出た夏コンが、母に見せられる最後でした、
今思うと、たしかにあの帰り道、ホームで一緒になった母はふらふらだった、
「雪国育ちだから、夏バテしちゃったかなぁ、ちゃんと休まないとね」って、 何も知らず親子呑気に話してた もうあの時には癌が覆い尽くしてて、1ヶ月ない命だったのに。 。
誰もこんなことになるなんて思ってなかった、
たしかに今年の夏、母は明らかに調子悪かったし、兆候なんかいくらでもあった
でも咳がひどかったから、 てっきり家族3人とも、地元の医者も母の周りの人も、
肺とか呼吸器の炎症なんだって、 勘違いしてたずっと。
だから、検査してもらっても特に異常なかったし、ちゃんと休養して仕事のストレス取れたら治るもんだと思ってて、 、
母本人も信じて疑わなかった。 みーんな安心してた、 こんな残酷なことがあるか、 医者なんだから気づけよ。 すげぇ恨んでた 9月後半、
もっと早く大きな総合病院に連れて行ってあげてたら、 、
そしたらまだステージ2でギリギリ治療できてたかもしれない、 でもそんなこと今さら考えても何も変わらない、 そう思った、
だから、
母が亡くなる日まで、なるべく一緒に過ごそう、話せるだけ話そう、 そしたら
「お母さんのことは気にしないで、自分らしく信じた道を進んでほしい」 って言ってくれた母の望む通り、 前向きに大学生活戻って、頑張るんだって、 必死に思い込んで過ごした。
そうでないとやってられなかった
ただ、その時は急に来た。
目の前で心臓が止まった母、 一瞬だけ口から音がした、父にも聞こえたらしい
きっと最後のメッセージだった、 でもそれが何なのかわからなかった、何度叫ぼうと返ってこなかった、
自分は何にもわかってなかった。 。
結局、失って初めて気づきました、 この21年間、母と過ごした時間のかけがえのなさに、 もう遅すぎた、 、
3週間尽くしてどうにかなるものじゃない、 人の死って、そんな単純なものじゃない、
もっともっと一緒に過ごしたかった 今も会いたくて仕方がない
正直、もうダンスなんてどうでもよくなりました、
大事にしてた好きなことも楽しくないし、なんでこんな目に合わないといけないんだよって、
全てを恨んだ、でもそれすらバカバカしくなった、 だって何かにぶつけても母は帰ってこないし でもどうにかして前向きになりたくて。 。
哀れに思ったんだろうか、親戚やたくさんの人に励ましてもらいました。
1人じゃしんどすぎて、いつきとかみさきに、何回もLINEや電話で話聞いてもらって、
それで一度は、10月中旬に開き直って、全体コマに復帰して、なんだかダンス楽しいって思えた、
このまま悲しみも忘れられるような気がしたし、第一回通しも出て、このサークルは本当に優しくて、居心地が良いと思った
でもやっぱり、そんな簡単に切り替えられるものじゃなかった、 、
結局今は、母との日々を思い出しちゃって、 1人になると、頭おかしくなりそうで、
沈んでばかりです、
写真や動画に映るお母さんをただただ眺めて気持ちを落ち着かせるので精一杯。 。 こんな虚しいこと、 今までなかった、
自分にとって母の存在は大きすぎました、 、
なんだか、 自分の三田祭のモチベは散々砕かれました、 心にぽっかり穴が空いたような感じで、
立ち直れる気もしません。 立ち直って自分だけサークルで呑気にダンスをしていて良いのかもわからない、
今は気分転換に地元でダンスするくらいがちょうどいいです、
いろんな人に「死んでもお母さんは天国で見守っているよ、まだ終わっていない」って言われるけど、
そんなの気休めでしかないじゃん、人は死んだら心身ともに消えちゃうんだよ、たまらなく会いたくなっても会えないのが現実なの、 みんなわかってるでしょそんなこと
「もっと早くに親を亡くす人だっているんだから、あなただけじゃないのよ」とも慰められました
そういう問題じゃないでしょ、 21年間、物心つく前からずっと一緒にいたからこそ辛いんだよ、 、 人と比べてどうすんだよ、
吐き出してしまうと止まらないから、このくらいにしておきます、 ごめんなさい。 。
でね、 、こんな思いをするのはもう御免だし、自分だけにしたいんですよ、
だって、これを読んでくれている人のほとんどには、 まぁ毎日のように会えてはいないかもしれないけど、 自分を育ててくれた人や支えてくれている人、失ってはならない人、まだ生きているはずだから、 僕も、幸いなことに、まだ父と暮らせていますし、
みんなには、そういう、
自分が心の底から大切だと思える人との何気ない会話、やりとり、それは当たり前なんかじゃなくて、数分後にはなくなってしまうかもしれない、かけがえのないものなんだ
って、ちゃんとわかってほしい、まじで綺麗事なんかじゃない、これは事実。
今の時代、人間なんて簡単に死んじゃうんだ
「あとでもできる」 「明日も会える」 それは本当? そんな保証どこにあるの? 根拠のない過信は、後でとてつもない後悔と絶望となって、自分の心に降りかかります
実際、僕は、母が亡くなる前日までずっと、心のどこかで「明日も会える」だろうって思って過ごしちゃってました、 、 だからこそ一番伝えたかったこと、
「お母さんの息子で良かった、産んでくれてありがとう」
結局言えなかった、 、タイミングがわかんなかった
知ってると思うけど、
人はね、死んでしまったら話しかけても返事が帰ってこないんです、いくら何しても動かないんです、それがどんだけ辛いか
一番伝えておきたいこと、ちゃんと言えてる?
その人と一緒にやっておきたいこと、ちゃんとできてる?
ずっと覚悟はしてたつもりだったけど、
亡くなる前日も、普通に笑い合ってたから、 もう少しはこんな日々が続くんじゃないかって根拠もなく期待しちゃってて、 、
だからそれもあって、 ものっすごく辛くて耐えられないんです、
会いたくて仕方ない、会えない現実をいまだに受け止めきれていないし、そもそも受け止めるって何なんだ
でも、こんな気持ちになってほしくないんですよ、いま読んでくれている人たちには
「もう2度とないかもしれない」
そう思って1日1日を大切に過ごしてほしい
大学生活を謳歌するのは素晴らしいことだし、今しかできない楽しいことをしておくべきだと思う、 しておかないといつか悔やむことになるだろうから
そういう面でesは本当に良い組織だと思うし、ここで充実した日々を送って、力を合わせて作り上げた集大成は一生のかけがえのないものになるんだと思う。
ちょっと宗教じみてて嫌だなって思うこともあるけど、 なんだかんだ言って、こんな褒めるとこもない自分に居場所をくれたこの温かいサークルが大好きで、 折れつつモチベ保ってこれた。
いつも上手くいかなくて萎えてるけど、誰かは応援してくれるこの優しい環境に、2年半甘えて過ごしてきたのは事実。
esに入れたおかげでダンスに夢中になって、 そりゃ恥ずかしい思いもいっぱいしたし、嫌な思い出の方が多いけど、 そうやってみんな成長していくんだとも思う
そうやって練習してるうちに、ちょっと上手くなれた気がして、なんか楽しくなる、みたいな
ありがちだし、全然偉そうなことは言えないんですけど、
とりあえず今みんなは、日吉なり外部なりでダンスに夢中になって、少しでも自分を磨けてたらそれでいいんだと思います。
悩むことなんかなくて、それだけで十分幸せなことだ、 、
どの期、どのジャンルの誰も、1度は魅了されて入ったサークルのはず、 esのことが大好きだった母も、すごいみんなかっこいいって感動してましたし、 、
そんな誰かの心に刺さるかっこいい集団なんですから。 esは
価値観は違えど、自分のダンスに励む人が多ければ多いほど、良い環境になるし、三田祭も良いものになるんじゃないかなぁ、
だから、やれる範囲でいいから、ダンスに力を注いでね。
でもその前に、
もっともっと根底にある、生きていく上で大事にすべきものの存在、そのありがたさをちゃんと感じて、大事にして、何よりも優先して、毎日、悔いのないように過ごさないと。
自分を支えてくれてる人、周りの環境に感謝しないで、自分のことしか考えてないやつにダンスなんてやる資格ないよ 上手くなったってそんなスキルに価値はない、
ダンスとか以前のもの、それは失ってからじゃ遅いんだ 僕みたいに、やる気、全部なくなっちゃうだけだから 悔いのないように
暗い感じにしてしまってすみません、 、
これから書く人は、何も気にせず書いてください
お次は、
縦長の美しいスタイルに小顔、他ジャンから見てもわかるレベチなしなやかさとキレ、 そして表情からも伝わってくるジャズにかける思い、
From 11期のあの方です。