さあ来てしまいました。

 

 

副代表のなぎから最後のバトンをもらった

 

代表、しゅんです。

 

いやー、副代表を決める時、

なぎに電話で半べそになりながら頼み込んだの今でも覚えてるなぁ。

もうあれから一年か。

色々辛いこともあったけど、今思い返すと、いい思い出ですね。

 

 

さぁいよいよ明日から教室公演が始まります。

 

 

皆さん、心の準備は出来てますか?

 

長かったようで、短かったような…

振り返ると、僕は7月下旬からbreak曲を決めていたので、

それから4ヶ月も経ってると考えると、

時が経つのは早いねぇ、と思ってしまいます。

 

今年のbreakはやっぱりいいですねぇ。

原石が沢山いて、プレッシャーでしたが、

みんなが「FLAVOR」を前面に押し出せるショーになったのでは、と思います。

 

最近少し感情が入ると涙が出てしまいそうになり、

なかなか気持ちを表向きに出せてないです。

話してる時にこいつだけ黙ってるな、って気付いた時は察してください。w

 

自己紹介

 

バナーにも書きましたが、フルネームは

 

SHUN BRIAN TAKEMASA

 

です。笑

 

僕はテキサスのヒューストンって所で生まれ、そこから色々なところを転々としていました。

流れをざっとかくと

・ヒューストン半年

・大阪1年

・マレーシア4年半

・大阪1年

・東京1年

・ヒューストン5年半

・ニューヨーク4年

・大阪半年

・東京3年(今)

って感じです。いわゆる帰国子女ってやつですね。

 

 

人生で引越しした回数は誰にも負けない自信があります。笑

色んなところにいたが故に、幼なじみはいなく、友達は作れるが、

深い仲には1人もなっていない気がしてしまいます。

中学時点の友達とはもうほとんど連絡を取っていません。

 

 

でも、人生を通じてesっ子とは何人かと接触したりしています。

2年生、大阪にいた頃には12期の葵と、ヒューストンの補習校ではたくみと同じ補習校に通ってました。

どちらも面識はありませんでしたが、共通の友達や先生について話すと話が盛り上がってました。

 

 

なんか、esっ子ってみんな頭良くないですか?コマ責が勉強について触れる時、毎回驚いてました。

まあ僕は勉強は中の上くらいで、あまり勉強しなくても赤点は毎回逃れてた、そんな人でした。

運動に関しては、走りやジャンプ等は人より得意でしたが、球技は絶望的に雑魚でした。

 

 

そんな僕は中学から吹奏楽部でトランペットを始め、

いわゆる文化系な人間として学生生活を過ごしました。

そこでは基本的にシンフォニックバンドのファーストチェア(1軍のトップ)を維持していて、この時代からソロを任せられたりしていました。笑

 

それ以外にも、youtubeを見ながらトリック系(ヨーヨーやブレイクダンスの6歩)をちまちま家で練習してました。笑

 

 

高校生になり、慶應義塾ニューヨーク学院に入った時に、

僕は正式にダンスを始めました。

最初は、9年生(実質中学3年)全員が運動部に入っていたので、焦ってクロスカントリー部(色んな高校のキャンパスをひたすら走る部活)に入りました。

そこではぼちぼち記録を残し、銅メダルももらったりしていました。

 

ZION(ダンス部)に入るきっかけは、主に二つありました。

それは、クロスカントリー部にいた先輩(じょーけーさん、3つ上のrevolveOB)がZIONだった事と、練習風景に見学に行った時にめちゃくちゃ食らった先輩(りょーさん、3つ上のrevolveOB、今ではfoundnationっていう世界的に有名なbboycrewの一員)がいたからでした。

 

ダンス部に入った僕は、当時唯一の男子でした。

9年生が終わる頃には、何故か周りの女子はやめてしまい、本当に1人でした。

ブレイク一筋、たまにはlockを頑張っていました。

最初の一年は1人で淡々と(平日16:00~20:00、週末は昼頃から22:00くらいまで)練習していました。あの頃は寂しかったなぁ。

りょーさんがバカストイックで、ビシバシ指導されていました。振りミスを繰り返した時は、出来るようになるまで隅でやってろ、とまで言われてました。

 

10年生(実質高校一年)になり、新しく同学年が入った時に、ダンス部の同期が一気に増えました。

男子は13期として入ってた(笑)てっしゅーだけでした。当時はバンドマンだった13期しょーたもダンス部に入り、仲間が増えました。

 

そんなこんなで12年生ではZIONの部長や、文化祭実行委員の幹部になり、色んなところの運営をしていました。

当時の後輩だった13期まこ、さとこ、ゆきこは一つ下だけあって結構思い入れがありました。14期まりちゃんは文化祭実行員の直属の後輩だったけな。笑

 

 

 

 

自己紹介終わり。

特に言う意味ないこともツラツラ書いてしまった。

でも、高校時代のダンス経験はやっぱり

今の自分の構成されているものの元となってる気がします。

 

じゃあ、僕が伝えたいこと言います。

 

僕は

 

   <<仲間>>

 

について話したいです!

 

ちょっとなぎと似てしまいましたね。

でも、僕なりに仲間とは何なのかを考えたので、よかったら参考にしてください。

 

当然、ダンスでは自分と向き合うこともしなきゃいけませんが、

これまでのコマ責もめちゃくちゃいい事話してくれたし、

でも同じかそれ以上に仲間を持つということは大事です!

じゃあ仲間についてどんなことを話していきたいかっていうと

 

 

1. 仲間の種類

2. 仲間を信じすぎない

3. 仲間という運命

 

 

 

 

まず、仲間の種類 についてです!

esでは、様々な仲間の形があると思います。

esっ子全員、ジャンル、期、いつメン、〇〇会、等等…

僕は様々な仲間の種類をみんなに作っていって欲しいです!

 

esは慶應にはなかなかない、350人という規模を持っているのに、

少しの仲間を持つだけじゃ絶対にもったいないです。

仲間の種類が沢山ある人ほど、信頼されると思っています。

 

4年生スピーチで話してくれたPさんとか、まさにいい例ですね。

 

 

 

 

次に、仲間を信じすぎない についてです!

 


某12期bboyは言いました、

「お前らなんて信じてねぇから!」

と。



。。。

 

え、人間不信になれってこと?

いや、そうじゃないです。

 

仲間、というものは当然信頼しあってこその仲間です。

しかし、頼りすぎると、お互いがお互いを頼りにしているせいで、

物事がうまくいかない状況になってしまいます。

 

esはまさにこの現状があると思っています。

 

「もし、周りの仲間がいなくなってしまったら、

                自分がやらなきゃいけなくなる」

 

という事を常に頭に入れながら、

協力するということが仲間としての最も重要なことだと思います。

 

今年の12期の目標にしていた「当事者意識」は、

esっ子がお互いを頼りすぎて、人任せな人が増えている現状も含め、

決まったと思っています。

 

個人がしっかり責任感を持った上で、頼りあう状況こそが仲間としての最高の形だと思っています。

 

 

 

 

最後に、仲間という運命 についてです!

 

人は皆様々なバックグラウンドを持っています。

ダンスを始めたくて入ったり、

打ち込めるものを探すために入ったり、思い出を作るために入ったり…

 

esっ子は誰1人として違っていて、

それがesという一つのクルーとして集まって出来ています。

今まで別の世界で生きていた人間と価値観を共有するのはマジで大事です。

 

なんでみんな別々の人生を歩み、別々の理由で入ったのに、こうやって一つのサークルに集まって、-estという同じ目標に向かって進んでるんですかね。

それはやっぱり運命以外の何者でもありません。

 

様々な人たちと向かい合って協力する時間は、やっぱり-estで一番感じられます。

esっ子として限られている4年間、運命によって集まった全員で

estを作っていきたいですね。

 

 

 

 

自分にとっての仲間を持つことの大事さ、伝わりましたかね…

多分この準備期間までの時期に味わった人もいると思います。

でも、さっき挙げた仲間の種類で、何よりも大事にして欲しい仲間があります。

それは、

 

 

 

   同期

 

 

 

です。

 

同期は、先輩や後輩と違って、4年間ずっと一緒にいる仲間です。

12期はみんないいやつですよ。僕は大好きです。

みんな何かしらを頑張っていて、みんな応援したくなっちゃいます。

でも、一つ後悔することがあります。

 

もっと同期と遊べばよかったなぁ。って。

 

運営代になって気づいたのが、

同期の団結力

ってまじで大事だな。って。

 

まだ僕が今までesに対してどのように接してきたか話してなかったですね。

僕はリボに入るか悩んでる中、

10期ひかるさんや、11期毎熊さんに勧誘されました。

「esに入ってもこういう人もいるから、結構自由にしてても大丈夫だよ」

って。

NY校のbboyはみんなリボに行っていたので、

僕もその人たちみたいに自由さを求めてるんだろうなって思われてたんだと思います。

 

メールの先着順で決まると知った時はなぜかめっちゃ燃えて、

よし、めっちゃ軽い気持ちで、とりあえず入ってやる って思ってました。もし落ちたらリボ入ればいいやぁ、みたいな。

 

メールは通過し、正式にesには入ったものの、僕はesっ子として全然コミットしていませんでした。

夏の同期でいく花火も行かなかったし、何ならコマ以外の時間で集会室に行ったことないんじゃないかなぁ。

ずっと食堂二階でリボの人たちやesの先輩たちと練習してました。

ほこまの定義も理解していなくて、春パlockのほこまに行かずに食堂で練習してました。

おっさんさん、はもねぷさん、もんちさん、

あの時は調子に乗ってて本当にごめんなさい。

 

自分だけ男子の経験者 みたいな気持ちもあり、

同期と距離を置いていたのかもしれません。

あの頃はダサかったなぁ。

一年から同期ともっと仲良くなっておけばよかった、

と過去を振り返るたびに思ってしまいます。

 

いつリボに転サーしようか、

と冗談半分でリボの同期と話しているうちに、

三田祭も終わり、気づいたら1イベの時期になっていました。

12期会議を行った結果、なぎと総代表になっていました。

ゆにてぃー、のべるてぃー。

流石に総代表になったからには、

esっ子と仲良くしなきゃいけないな。

そんな情けないきっかけが同期と接するきっかけになりました。

 

数ヶ月間、鬼のように12期コマ責と会議を通じ、

全体で深夜練も行い、

結果2位で1イベが終わりました。

 

当然めちゃくちゃ悔しかったけど、

同時に12期全員でやりきった達成感もありました。

 

打ち上げが終わって、家に帰って読んだアルバムには食らいました。

ベッドの上でボロボロ涙を流しながら読んでました。

 

「ゆっくり休んでね」

 

この言葉にもう耐えられませんでした。

 

 

 

こんなひねくれた僕をも暖かく受け入れてくれるサークル、

他にあるのだろうか。

1イベが終わって初めて、esでこれからも頑張っていこうと決意しました。

 

こういう気持ちになれたのも、

12期のみんなのおかげだったなぁ。

 

だからこそ、12期あまり集まれていなかったのが本当に悔しいです。

俺も何か企画すればよかったなぁ。

機会はたくさんあったのに、何もせず時間が過ぎてしまった…

 

こんな思いを後輩にさせたくない。

だから、13期14期はこれから沢山集まって、沢山遊んで欲しいです。

みんなで笑ったり、喧嘩したり、たまには泣いちゃったり。

 

そういう瞬間をいっぱい作ってください。

そうしたら、それから先も最高に楽しくなると思います。

信頼できる仲間が近くにいることは、何よりも大事なことです。

 

。。。

 

長くなりました。

だいたい言いたいことは言えた気がします。

準備も終わり、

後は残りの3日間、

3ヶ月間練習してきた事を沢山のお客さんに見せるだけです。

 

たったそれだけの事ですが、ダンスを始めてからの自分を思い出しながら踊ってください。

これが終わったら、自分の人生が終わってもいいって思えるくらい、

何もかも出し切ってください。

 

11期の先輩方、今まで僕らを引っ張ってくれてありがとうございます。

最後に僕らが全力で送り出すので、送り出される覚悟をお願いします。

 

12期のみんな、1年間運営代お疲れ様。

三田祭終わったらまた一気に減っちゃうから、みんなでそいつらを送り出そうな。

 

13期のみんな、気づいたらみんな先輩っぽくなっちゃって。

これからもっと頼られる代になってください。お前らならできる。

 

14期のみんな、新歓の頃が懐かしいね、みんなはもう生粋のesっ子だよ。

明日からこのサークルをレペゼン出来るように、胸張っていこう。

 

なぎ、いつき

この1年間、忙しかったね。

でももっと一緒に会議したり、仕事したいなとまで思ってしまうな。

ここまでお疲れ様だね。

 

esっ子のみんな

こんなおっちょこちょいな代表について来てくれてありがとう。

みんな大好きだよ。

 

最後。

 

esの理念

1.ダンスによるつながり
2.面倒見のよさ

3.ショーケースのクオリティ
4.全力

 

12期運営代の目標

1 挑戦 

2 当事者意識

 

これを掲げていられるのも後少し。これ意識して1年間過ごせたかな。

まだ明日から意識しても遅くないと思う。

 

 

 では。



一瞬を一生に。