前編のつづき、ツーリング2日目。

 

昨日は1000キロを走行したのに、「疲れた」と感じることはなかった。

 

それだけ被災地のインパクトが強くて、いろいろ考えさせられて、脳が興奮していたのだと思う。

 

18時頃にホテルに到着。台風に備えてバイクの荷物をすべて降ろしました。

 

 

街中を歩いてみる。ここも2メートルの津波に襲われた。

 

夕食を撮り、ホテルに戻ってお風呂に入り、持参したタブレットで写真の整理をして、0時に就寝。

 

 

 

 

 

2019月9月9日 7時に目覚ましをセットしたが、6時に自然と目が覚めた。

 

石巻市内に暴風警報が発令されているが、外を見る限り雨も降っておらず風も穏やか。

 

ニュースで千葉県内で観測史上最大の瞬間風速を記録したと知る。

 

静岡県の自宅は台風の影響はなかったとの事で、子供たちも通常通り登校できるとの事で安心する。

 

 

このまま南下すれば台風に向かって行く事になるので、午前中は仙台市までの移動とし、台風の通過を待つことにします。

 

こうなることは台風の進路予想から分かっていたので、まずは昨日回る予定を延期した大川小学校跡に向かいます。

 

雨雲が近づいていましたが、「まだ大丈夫だろう」とカッパを着ないで出発してしまったのが間違いだった。

 

朝の通勤ラッシュの渋滞にはまり、その中で雨が降り始めた。

 

路肩に停車してカッパを着るスペースがなく、濡れたまましばらく移動をすることになったため、カッパを着るとサウナ状態に・・・

 

今後は早めの雨具着用を教訓としたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

大川小学校。校庭にいた児童78名のうち74名と、職員11名のうち10名が犠牲となった。

 

 

 

校庭の目と鼻の先に高台があるが、土砂崩れを懸念して校庭に待機するか、高台に避難をするかで教師や住民の間で意見が分かれたという事。

 

ここの地区は津波浸水区域とはなっておりませんでした。

 

遺族との訴訟に発展し、1審2審とも学校側の過失と認定され、現在は上告中のようです。

 

「高台に避難をしていたら、命は助かった。」

 

一方で、「津波浸水区域ではなかったのだから、校庭に待機していれば土砂崩れに巻き込まれなかった。」というケースも考えられ、必死に迷ったのでしょう。

 

 

 

 

言葉になりません。雨が余計に悲しみを強めます。

ただ、ただ、ご冥福をお祈りしますとしか・・・

 

 

 

 

つづいて、東松島市にある旧野蒜駅の震災復興伝承館を訪れました。

 

 

土砂降りのため、軒下にバイクを止めさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

東松島市は、震災直後から上空から津波が到来するのをカメラで追っていて、津波が襲ってくる田んぼの中を車で逃げる様子が報道されたのをしっかりと覚えています。

 

何となく私の住んでいる地域と地形や風景が似ていて、南海トラフ地震が来たら同じような被害になるような気がしてなりません。

 

東松島市は地域の方の証言を映像として残す取り組みを行っているとの事。また住民の方が語り部として積極的に活動をされているそうです。

 

津波被害に遭われたご遺体は、ご家族でも判別できなかった。衣類や手術痕という特徴で確かめるしかなかったという話がとても辛かった・・・

 

 

 

 

 

松島。天気が良ければよかったのですが。

 

 

 

 

雨が降り続きます。サウナ状態で暑くてタマラナイ。

 

 

 

 

仙台市の荒浜小学校。

 

 

中も見学できますが、残念ながら休館日でした。

 

 

かつては学校も周りに住宅が立ち並んでいたようですが、何も残っていません。

 

 

盛り土をした上に新しい道路が建設中です。

海沿いはずっとこのように建物がほとんど残っていません。

 

 

 

 

仙台市から約一時間走って山元町の旧中原小学校が見えてきた。

 

壁がなく向こう側が見える・・・ここからも津波の悲惨さが十分に伝わる。

 

 

 

 

 

10メートルの津波に襲われたが、屋上に避難をして90名の生徒が助かりました。

 

 

 

 

 

 

南相馬市。間もなく最後の訪問地、浪江町です。

その先はバイクでは通行ができません。

 

 

 

人通りはありません。現在浪江町に戻ってこられた方は、9月現在で17326人中、1126人。

 

2011年の3月から時間が止まってしまっています

 

 

まだまだ放射線量が強く、帰宅ができない。

津波で家を失った方、放射能で故郷を失った方。

震災は様々な形で人々から多くのものを奪った・・・

 

これで今回の被災地を巡るツーリングは終了。

 

 

 

 

浪江町から常磐道に乗り、帰路につきます。

やっと晴れた♪カッパを脱ぐことができます。

 

 

 

 

首都高の山手トンネル内で渋滞にはまる。通過に30分以上。

 

トンネル内の温度は40度を超えて意識が朦朧とする・・・

 

しかもループトンネルとなっており、上り坂の上バンクが付いていて、つま先ツンツンのトレーサーでは危険すぎる。

 

せっかく汗が乾いたのに、滝のように汗が出て、まさに殺人トンネルです。

 

今後はバイクでは圏央道を通るようにします。

 

 

 

 

 

自宅まであと少し!!

 

 

23時30分に無事帰宅。丸2日に走りっぱなしでトータル1731キロの旅でした。

 

しかし、被災地を自分の目で見ることができ、本当にいろいろ考えさせられ、あまり疲れを感じませんでした。

 

 

 

 

私たちも津波の被害を受ける土地に住んでいます。沿岸から2キロ、海抜2メートル。

 

しかしスーパーコンピューターが弾き出したのか知りませんが、浸水区域になっていない。

 

津波は水位が上がるだけでなく、様々な建物や車を飲み込みながら登ってくるため、流れてきた建物がぶつかって倒壊する恐れがある。

 

なので自宅の2階にいれば安心ではなく、より堅牢な建物に避難しなければならないと思いました。

 

 

 

 

被災者の方に軽々しく「頑張って下さい」なんて言えない。

 

本当の辛さ、悲しさは震災を経験した方でなければ分からないと思う。

 

失ったものは戻せない。頑張りたくても頑張れない。

 

時間を巻き戻すことができれば・・・

 

 

 

 

 

 

どうか、昨日より笑顔が増やせますように。

 

目標を持ったり、楽しみやを増やすことができますように。

 

 

 

 

 

 

遠く離れた自分たちにできること。

 

それは過去の記憶を忘れないようにし、しっかりと防災や減災に活かす。

 

東北地方の農産物などを購入してあげる。

 

時々は観光に訪れる。

 

そして何より命を大切にし、生きたかった方たちの分まで懸命に生きる。

 

 

これからますます復興が進んでいくと思います。またその時に、夢や希望をもらいに訪れてみたいと思います。