近世窯芸史の中でひときわ特筆すべきは、江戸初期の西肥前有田郷で、日本ではじめての白磁器・青磁器・染付磁器(青花)群が創成されたことでしょう?!
中世末に舶載された中国磁器、李朝磁器への執着は、ついに日本での磁器創成という画期的な技術革新を可能としました。
西肥前の平戸港には数多くの中国明朝の染付磁器、彩絵(色絵)磁器が舶載され、大きな刺激を受け、日本での磁器創成が待ち望まれた。その期待に答えたのが肥前における磁器の創成です。
肥前磁器創成は従来いわれてきた天狗谷窯の李朝系の渡来人・李参平とその一団が泉山陶石を用いて初めて実現した元和2(1616)年説がほぼ定説化していましたが、その後の学術調査で10年遡る慶長10(1605)年前後という話もある。さらに文献から見てみると李参平開窯以前に家永正右衛門(豊臣秀吉より朱印状を貰った家永彦三郎の孫)や唐人によって〔南京焼〕が焼成された旧記もあります。
「泉山の白磁鉱」
日本磁器の創成を遂げた西肥前の有田郷とその周辺ではすでに古唐津系の陶器を焼成していたので、すぐに磁器窯に転向し“陶器と磁器の接点”という窯業技術の革新期を迎えたらしい。
磁器創業期の当初は李朝系の染付磁器での倣製の域を出ず、製品は半球状の碗類や扁平の皿類で高台の立ち上がりが高く、わずかに瓶類や小壺などが造られていたという。
「古伊万里 桐絵皿」