≪絵唐津≫

唐津焼を代表する技法で、素地に鬼板(含鉄土石の一種。釉薬や顔料として用いられる)で文様を描き、長石釉木灰釉を施釉し焼成します。絵の文様は草・木・花・鳥・人物など多様なものを指や筆で伸び伸びとしたタッチで描かれます。


「鉄砂を絵具とする絵唐津」

鉄砂(酸化鉄)で文様を描く方法は、朝鮮の李朝鉄砂が伝えられた岸岳時代からのようです。
佐賀県史跡「岸岳古窯址」






佐賀県史跡「岸岳古窯址」


唐津では黒錆といい、瀬戸では鬼板と名づけているそうです。鉄を含んだ岩石をよく砕き、すり潰して水で溶かし絵具とします。紅殻と同じようなものということです。毛筆・刷毛・布・指など文様を描くのですが毛筆には赤毛の日本犬のたてがみがよいとされているようです。

 絵唐津は、ほとんど釉の下に描かれるが、飯洞甕下窯、道納屋谷窯のように釉の上から描いたものもあります。

 絵唐津の釉は長石釉だが、例外として道納屋谷、大川原窯などの一部の作品に見られる藁灰をかけたものがあります。これが斑絵唐津である。この他に鉄砂で刷毛目をした黒刷毛目の沓茶碗や沓鉢、大鉢などもあります。甕屋の谷、多久高麗谷、内田皿屋などの諸窯のものがそうです。

 絵唐津は茶碗・壺・水指・茶入・香炉香合・花生・大皿・皿・鉢・徳利・向付・盃など、あらゆるものに描かれています。


「銅粉(しんちゅう粉)を絵具とする絵唐津」

慶長の役後、朝鮮の陶工によって伝えられた陶技で、李朝辰砂が日本化されたものである。まだ磁器が発見されていない頃で、半磁器の白土を刷毛で塗り、銅粉で絵唐津風の文様を描いたものです。当初は李朝辰砂と同じ赤い発色を狙ったものであるが、紫や黒に発色させるも成功せず、17世紀中期以降は鉄の茶色と、銅の緑色の唐津二彩に発展しました。銅は還元炎のときには赤く、酸化炎では緑色に発色する。釉は長石釉のみ使用しています。代表的な窯は椎ノ峯、寺の谷御家田などの窯で、茶碗、皿、鉢などがあります。


絵唐津草文皿
 絵唐津草文皿(えがらつそうもんざら)