皆さん、今日もお疲れ様です。m(_ _)m
高校野球の地方大会が、いよいよ大詰めですね。
埼玉も今日、決勝が行われ、花咲徳栄高校が4年ぶりの優勝で甲子園への切符を手にしました。

負けた白岡高校もノーシードながらよく頑張りました。
それにしても、大阪桐蔭や横浜なんかも県予選で敗退するんですから、甲子園の本戦に行くのって本当に難しいんですね。
勝ち残った学校の球児たちには、敗退した学校の球児の分まで、精一杯、悔いの残らないように甲子園で頑張って欲しいです。
さて、そんな高校球児の話に水を差すような、またもや僕の夏の思い出の話です。(笑)
前回記事では、高校時代の合宿の話を書きましたが、その後、1年生ながら各校に3枠しかない5.000mの選手に選出されるまでになりました。
まさに僕にとって黄金期を迎えるのでありましたが、夏に始まった黄金期は、その翌年の夏に終わるのでした。

??
極度の不振に陥ったってやつです。
ん~短い黄金期だったなぁ。
で、今日は、その3年後の夏の話です。
このブログでは何度か記事でも取り上げていますが、僕の進学した大学は、箱根駅伝でも常連な大学でした。
もちろん、楽観的で、あまり後先考えない単細胞な僕は、無謀にも箱根への夢を抱いて入部。
周りは、高校駅伝の強豪校出身の選手ばかりで、まず練習に付いていくことすら出来ない異次元な世界。
(競馬で言ったら、未勝利の馬がオープンクラスの馬と一緒に走るようなもの。
)
正直、そこが一番の悩みでした。
結局、夏を待たずに退部。
・・・で、僕が進んだ道は・・・
市民ランナー
です。
諦めが悪い性格は昔からでした。(笑)
そして、無謀にも最初に挑戦したのが・・・

↑ 真夏の北海道マラソン。
フルマラソンです。
確か、最初の年に挑戦したときは最高気温で35度ありました。
結果から言うと完走はしました。
・・・と言うか、それだけでした。
ハーフまでは余裕で、女子の先頭より、ちょっと後ろくらいで走っていたのですが、25kmで急に失速。
27kmで完ぺきに足が止まりました。
今思えば、リタイヤしてもおかしくないくらいだったのですが、北海道までわざわざやってきてリタイヤもカッコ悪いなと、あのときは意地でゴールしました。(><)
そのあと、僕は合計で5回のフルマラソンを経験するんですが、後にも先にも、このときのマラソンが一番辛かったですね。
だって、人生で初めて担架で運ばれましたし・・・(ゴール後、倒れました。)
ほんと、関係者の皆様にはご迷惑をおかけしました。m(_ _)m
で、北海道マラソンでは、ゴール後、競技者だけが参加できるパーティーがあるんですが、たまたま、僕の同じテーブルにいらっしゃったのが・・・

↑ バルセロナオリンピックの男子マラソン銀メダリストの森下広一さん(現トヨタ自動車九州監督)でした。
いやぁ~初マラソンで、この方と、いろいろお話しできたのは、本当にラッキーでした。
今となっては何を話したかは覚えていないのですが、このあと、マラソンへの取り組みが、かなり本格化したのは事実です。
そして、その翌年の2月の埼玉のマラソンで自己ベストを大きく更新し、2回目の北海道マラソンでは、前年の雪辱を晴らすことに成功しました。
ん~やっぱり、僕って夏男なんですよね。
本来は・・・
冷房の効いた部屋でケーキを食べながら、グダグダになっている場合じゃない
(笑)
あっ、今日は妻の誕生日でした。
