幸い、ネーハイシーザーの心房細動は軽症で、今後の競走生活に影響することはなかった。ネーハイシーザーは、2ヶ月もしない間に、再びレースに出られるほどに回復した。
いったん復帰すると、ネーハイシーザーが立ち直るのは早かった。年が変わり、古馬戦線の初戦となった京都金杯(Glll。ただし、この年は京都競馬場が改装工事のため阪神競馬場で開催)に出走したネーハイシーザーは、3着とまずまずの結果を残した。
このころ布施師は、菊花賞のこともあって、ネーハイシーザーが歩むべき道を迷っていた。
「マイル路線に適性があるなら、出してみたい」
そう考えてマイラーズC(Gll。ただし、この年は中京1700m)に出走させてみたところ、結果は4着であり、その内容も、布施師には物足りなく映った。
布施師は、ネーハイシーザーのスピードを本当に生かすためには、マイルのせわしい競馬よりも中距離の競馬の方が向いている、と判断し、今後のローテーションを中距離戦線に絞ることを決めた。そして、それがネーハイシーザーの飛躍のきっかけとなった。