お馬さんの深良い話し 番外編【ネーハイシーザー】パート3 | 元飼育員の競馬大好きな元JKによるお馬さん大好きブログ

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小さい頃から馬が好きでずっとジョッキーになりたかったんですけど、その夢はいとも簡単に叶わず、諦めて今は某飼育員をしています★競馬のことを中心に色々書いて行ければと思っています★よろしくお願いします!

『古き時代の産物』

 しかし、ネーハイテスコの血に秘められていたはずの底力は、なかなか形となって現れてはくれなかった。血統を買われて繁殖入りし たネーハイテスコはネーハイシーザーの前にも5頭の子を生んだが、彼らは体質が弱かったり脚部不安があったりで、競走馬としては使いものにならなかった。 ネーハイシーザーの5頭の兄姉のうち勝ち星をあげたのは1頭だけで、それも地方競馬(南関東)でのものだった。

 大道牧場の場主は、もともと「渋い血統が好み」と公言するほどであり、戦前から脈々と続くネーハイテスコの血統には期待をかけていた。しかし、彼の期待は裏切られ続けた格好である。

「もうこの血統は時代遅れなのかもしれない・・・。」

 そう思いながらも、なんとか彼女の血に眠っているはずの底力を引き出したい。そこで思いついたのが、サクラトウコウとの交配だった。

 競走成績はたいしたことがなかったサクラトウコウだったが、種牡馬入りしてみると、その人気はなかなかのものだった。サクラトウコウの父は、現役時代に 8戦8勝の戦績を残して伝説的な強さを誇った名馬マルゼンスキーである。マルゼンスキーは特に日高の中小牧場からの人気が高かったが、彼らにしてみれば、 マルゼンスキーの種付け料はなかなか気軽に手を出せるものではなかった。そんな中で、格安なサクラトウコウはマルゼンスキーの「代役」として、人気を集め た。また、サクラトウコウが種牡馬入りした後、彼の弟であるサクラチヨノオーが日本ダービー(Gl)と朝日杯3歳S(Gl)、サクラホクトオーも朝日杯3 歳Sを制したことも、彼の血の底力をアピールする材料となった。さらにいうならば、当時の技術では1頭の種牡馬と1年間に交配できる繁殖牝馬の数は、せい ぜい100頭程度だったということも、トップ級の種牡馬による寡占に歯止めをかけるとともに、いわゆる「代役」の種牡馬から思わぬ活躍馬が出ることの背景 ともなっていた。

 大道氏にしてみれば、それまでの子がさっぱり走らないネーハイテスコにマルゼンスキーをつけるほどの勇気はなかったが、マルゼンスキーの息子であるサク ラトウコウならば十分可能だった。これならば不受胎に終わったとしても損害は小さいし、生まれた子が走らなかったとしても、あきらめもつく。そんなわけで 交配相手に選ばれたのがサクラトウコウであり、翌年に生まれたのが後のネーハイシーザーだった。