アメリカがアルカイーダと戦争中だったとすれば、敵のリーダーを殺害することは、国際戦争法上、適法なんだそうです。戦争の相手は「国」に限らないんだそうです。アルカイーダはアメリカに宣戦布告していたから戦争状態だったことに疑いないそうです。
「戦争」だったのか、ということがどうしてもあいまいになるので、法律上の見解が分かれることは避けられないと思います。また、ある日、ある国があるグループに戦争を宣言すればそのリーダーをいつでも殺していいということにならないんだろうかという疑問もあります。
アメリカの上院では司法省が第二次大戦中の山本五十六を移動中に攻撃して殺害したことを、戦争中の敵将を戦闘中でなくても殺すことが適法であることの同じ例として説明していたそうです。
この、都合の良いとこだけいろんな忘れ去られたような過去から持ち出してきて、都合の悪いところは完全に忘れている、というアメリカのずうずうしさにあきれます。(それが悪いというよりは、どちらかというと世界各国はこういうものなので、日本も見習うべきではないかと思います。)たとえば、8年くらい前イラクと戦闘中、イラクの刑務所で破廉恥なイラク人虐待をアメリカ軍がしたことが発覚したとき、「戦後、日本軍のフィリピン人虐殺をB級戦犯裁判でアメリカは山下大将の責任として死刑にしたんだから、この虐待も少しは偉い人の責任を議論するべきではないか」と私はかすかに思いましたが、偉い人の責任の話は出てなかったと思います。ラムズフェルドさんなんか、「知らなかった」で簡単に済まされ、彼の責任を問題にする可能性のある裁判例のことなんか、完全無視または忘却でした。山下大将も知らなかったと言っていたのですが。(山下大将と虐殺を結びつける証拠はまったくなかったとしてアメリカでも批判のあった裁判ですが、私は読んでいないので、知っていたことにされて有罪にされたのか、知らなくても責任を取れとされたのか、わかりません。)
でも、結論的には、この前も書きましたが、即時射殺が一番だったと思います。法律的には問題ありでも。二つの全く異なる価値観が国際社会でぶつかっている時に、適用できる「正義の法」は存在しないと思います。(いつもこんなことされちゃ困りますが、例外中の例外ということにします。)