おはようございます!


 すいぶんすっかり更新していなくって、再び読んでくださっている方、ありがとうございます!


 この一年間というもの、環境が激変していまして、仕事とともに、住まいも何度かかわりまして、なんだか息つくひまもなかった、という感じがしております。


 おかげさまで環境に恵まれまして、どんなステージにおきましても、必ず、「指導者」といいますか、「師匠」といいますか、「指南役」といいますか、そんな方との出会いがあります。


 その昔の、アルプスの少女ハイジにでてくる、厳しい家庭教師のロッテンマイヤーさんのような。 


 こういう風に、誰かに教えてもらって毎日毎日指導してもらえるのって、みんなそうなんだろうと思っていたら、どうも、そうではないらしい。


 赤の他人に注意するのって、ものすごくエネルギーが要ることなんですね。だから、「進言してもらえる」のって、とってもとっても、ありがたいことなんだと。


 注意しようとする相手がいい年齢だったりすると、もうこれだけでめんどくさい。だから、この年齢になってしまうと、なにやかやと教えてもらえることは、かなり珍しいことのようです。(ちなみに、1966生まれですので☆)


 結果には必ず原因がありますが、なんで私だけがいつも注意を受ける毎日なのだろうと、ちょっとかんがえてしまいました。

 まあ、やっていることが要領が悪い、アホだということももちろんあるのですが、なんでそれがまた、必ず指南役の方の目につくような形になるのか?


 毎日毎日、恥をかきつつ、学ばせていただいているのですが、いつからこんな日々になったのかなっと思い返すと、あっ!!と、思い当たる節が。


 その昔、10代のころ、今でもお世話になっている倫理の先生に、「君も、人生に『誓願』を、立てなさい」と言われ、「私はこんなこんな人生を送りたいです」と、文章にしたことがあったんですよ。


 すっかりすっかり忘れていたのですが、なんと、ごそごそ取り出して文面を読みましたら、今までの人生の軌跡と、今まで続くこの状態の謎が、見事に解けました。


 「未熟な点欠点を一つ一つ越えていけるようになりますように」みたいなことを、書いてありまして。


 まあ、どんな人間にも欠点はありますが、これを一つ一つ、自覚して、消化して、越えていきたい、そんな風なことを書いちゃっていたんです。


 そうか!だから毎日、こんなにいつも注意されるんだ。


 指摘していただける日々になって、もう長い時間が経っていますが、はっきり言って、なんでだろう、そうじゃないのに、なんて弱音を吐いたりしてました。


 でも、自分で願っていたことなら、これは自分が選んだ道なんだ。厳しいけど、これが私の道なんだと、やっと、納得して思えるようになったんです。


 それにしても、こんなにつらい日々になると知っていたら、きっと、書かなかったに違いない。若かったんですね。


 でも、失敗ばかりしながらでも一つ一つ自覚していける人生を選んだということ、なんだか大冒険のロールプレイングを地でいくようで、かなり前向きな気持ちになれました。


 もちろん、今の職場で、ワニに出会ったりするなんてことは、まずないと思うんですけどね☆


 そんなわけで、また、明日が楽しみなのであります。


 最後まで読んでくださりありがとうございます!


 では、また続きは次回に。


 今日も、いい日!!