会津若松城から車で10分

白虎隊が自害した場所に行ってきました。

結構な階段が続きます😅

画像の右側は昇り用のエスカレーター。

ひとり150円。ケチって階段登りましたよ。

しんどいけど、せっかくなので自分の足で

歩きたいのです🚶


登りました🙂

戊辰戦争(会津戦争)で会津藩が16から17歳で

組織された少年兵部隊が白虎隊です。

戸の口の戦いで敗れて、ここ飯盛山で自害を

決意した悲しい歴史です。

白虎隊自刃の際に唯一生き残られた飯沼貞雄翁

のお墓です。当時のことは余り多く語ることは

なかったそうです。僕が思うに語ることが出来

ないのかと。簡単に言葉にできるものではない

のかと思います。


落城しそうに状況の鶴ヶ城(会津若松城)を

見ている白虎隊兵士の像。鶴ヶ城から上がる

煙を見て、仲間のいる城に戻るのか?

敵陣に突撃するのか?隊で激論した結果、


「誤って敵に捕らえられ屈辱を受けるような

 ことがあれば、君主に対して大変申し訳な

 く先祖に対しても申し訳ない。この場は潔

 ぎよく自刃し、武士の本文をあきらかにす

 べし」


16、17歳の若者が決断できることではない

ですね。本当に悲しい歴史です。

自刃されて命を落とした若き19名のお墓です。

前にも書きましたが、これが明治時代になる

ほんの少し前の出来事だと思うと本当に悲しい

気持ちになります。

猪苗代湖西湖の戸の口から会津盆地まで

水を引く用水堰で全長31キロにもなる。

戊辰戦争で戸の口で戦って敗れた白虎隊20名

が潜った同穴です。

戦国時代の戦いはお互いの領土のために戦う

「国取り合戦」のイメージがありますが、

幕府末の旧幕府軍、新政府軍は互いが日本を

良くしようという思いで争った様に思います。


今の日本があるのも、この頃の人達のおかげ

かもしれませんね。


今の生活に文句なんて言ってたら、バチが

当たるかもですね。


いろいろな感情を抱きながら、このあと

新撰組組長、近藤勇のお墓に行ってみます。


(続く)