あと数日で中部の渓流も解禁となる現在、今年はまず何処から行こうか

検討中であります。その年の最初の釣りくらいは釣果は別にして、気分

良く釣行したいものであります。

そこで去年のある川での解禁日での話ですが、その川は有名な川なので

当然他県からも釣人が来て、前日の夜から漁協の駐車場はいっぱいに

なっていました。


釣場も夜のうちから竿を立てておき場所の取り合いとなります。

解禁当日、天気は良好です。放流されるであろう場所には前日から場所取り

をしている釣人の竿が、3m程の間隔で竿が立ち並んでいます。

AM9:00、放流が開始しました。 いっせいに仕掛けが投げ込まれます。祭り

のはじまりです!「ピン」とこない人の為にわかりやすく言えば、


新装開店のパチンコ店


だと思ってください。 全く同じです(^^;

私は橋の上から見ているだけです。人ごみ好きじゃないから。放流魚に興味

のない人も、人のいない上流へと天然を狙いに行きます。まぁ、私は釣りの

スタイルもそれぞれあっていいと思います。


ただ放流された魚は川になじめずに流れの弱い淵で群れをなしています。

淵に固まれば、そこに仕掛けが届く人は、ごく一部の人に限られます。

釣れるのはごく一部の人が入れ食いになって群れに届かないほかの人は

全くといっていいほど釣れません。


数時間で一部の人は50匹ほどになりました。他の人は場所があくまで待つ

か、あきらめて帰ります。すぐ真横で親子連れできている小学生の女の子は

群れに届きそうですが、気が引けるのか仕掛けを投げません。当然一匹も

釣れていません。


それを知らないはずもない大漁の釣り人は自慢気に「疲れた」だの

「飯も食えん!」など仲間と笑っています。


そりゃ前日から場所取りしてまで釣りのだから気持ちはわからんでもないが

いったいどれだけ釣ったら気が済むんだろう?「手が疲れた」のなら隣の親子

に少しの時間だけでも場所を譲ってやろうとゆう気持ちはないのでしょうか?


パチンコ店でドル箱山積みで鼻高らかにしている姿と、私には同じに見えて

しまうのです。まぁパチンコはギャンブルだし、銭もそれなりに使っているの

で(たぶん)わからんでもないですが、自然の川に来てまでみっともない釣り

はしたくはありません。


「じゃぁ、行かなければ?」という声も聞こえそうですが、私は別に構いま

せん。シーズン中に気が済むまで通いますから...。



ただ他には解禁の日ぐらいはと思っている親子連れや老夫婦もいるわけ

ですから皆が楽しめるようになってもらいたいものです。


もっとも彼らの行為は、釣りではなく「漁」なのだからしょうがないと割り切ら

なければならないのでしょうか...。


ちなみに、この川は今年から皆が楽しめるように放流方法をかえるそうです。

どうなることやら。