零式艦上戦闘機:52型





日本にとって第2次世界大戦のターニングポイントとなった戦いは、昭和17年に行われた「ミッドウェー海戦」と言われている







艦攻・艦爆に搭載する兵装を爆装か雷撃装かで命令が二転三転した結果、致命的なロスが発生したというのが定説になっている






ミッドウェーに続き、ガダルカナルやソロモン海で劣勢に立たされた日本海軍はついに、禁断の策を実行に移した








特攻である







特別攻撃隊とは、原隊から離れて新たに編成された部隊であり、出撃に際しては生還を期せず任務を遂行する「決死隊」のことをいい、ほどなく陸軍も同様の戦法を運用した










最高出力:1130 hp
最高速度:565 km/h
航続距離:1920 km
翼面荷重:128.31 kg/平米






日本海軍が皇紀2600年にあたる昭和15年に就役したことを記念して名づけた「零式艦上戦闘機」の改良型であり、初期型よりも総合面での性能は向上している







ただしエンジンに改良を加えた結果、重量が増加したため航続力が落ちてしまったが、高出力の改良型エンジンから繰り出される格闘戦能力は健在である






しかし52型の総合性能が正当に評価されることはなく、その殆どが「鈍重で足が遅く、格闘戦でも芳しい成績を収めることはできなかった」というネガティブなものが多い







やはり日本の敗色が濃い大戦末期にあって、十死零生と呼ばれた特攻機の直掩または特攻機そのものとして無惨に海に散っていったことから、それを卑下したい人間によって貶められた悪評なのだろう






記事のタイトルは、若い頃に読んだ上坂次郎氏の著書のタイトルで、著書は陸軍の特攻隊を取材したものだが、勿論著者が海軍に理解を示していないわけではない






昭和20年3月



連合軍が沖縄に来襲すると、陸軍・海軍を問わず何百機という特攻機と直掩の戦闘機が空へと上がった






海軍は鹿屋から
陸軍は知覧と太刀洗から






戦術とも作戦とも言えない無責任な命令に従って、何百人という若い命が無下生に消えていった






辛うじて生き延びた兵たちは、敗戦とともに「お払い箱」のように解員させられ、軍からも政府からもひとつとして労いの言葉はなかった







死にぞこないとか特攻崩れと揶揄されても、生真面目に働いて家族を養った若者たち





その挫けそうになる心を癒したのは、親しい人や恩師からかけられた、たったひとつの言葉だった








本当に
ご苦労さまでした









おわり