日本の仏教は鎌倉時代以降、多くの宗派が乱立し、多くの寺院が多くの檀家を得て冠婚葬祭の一切を取り仕切ってきた





時折、葬礼における線香代が寺院の収入に関わってくることから、宗派ごとに対立しているような印象を受ける時もある






よく知られている宗派間の対立として、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗と、高野山金剛峯寺を総本山とする真言宗がある






いずれも密教系の宗派であり、最初は空海が高野山を拓いた頃に、最澄が空海から密教の経典の写しを受け取って勉強していた






最澄は空海よりも年長であり、僧侶としても大先輩であるが、そこは謙虚に若輩の空海から教えを受けていた






しかし、最澄の要求が「大日経」の教授に及んだ時、空海は密教の核心となる経典であることを理由に丁重にこれを断った






以来、最澄と空海との交流は断絶してしまったと一般的には知られている






鎌倉時代中期、日蓮は「法華経」こそが仏教の核心であり、法華経をないがしろにしては国を滅ぼしてしまうと主張し、二度に亘って流罪を仰せつけられる






戦国時代には、一向宗の門徒が各地で一揆を起こし、大名と合戦を繰り返していた






など、あたかも日本国内でも宗教戦争が起こっていたかのように語られることがある






しかし、日本国内にあってもアジア世界にあっても仏教界が釈迦の説法を背景に戦争を仕掛けた歴史はなく、それがために宗派や宗教が滅亡したという事実はない






日本で定着した仏教は、いわゆる大乗仏教であり、精神世界の浄化を目標とした宗教として布教されてきた






当然そうであると僕は考えるが、大日経の写しを送ってほしいという要求を断った空海の意志を最澄が理解していなかったとは思えない






自らの行動をもって理解するべきだと、後輩の空海が苦言を呈したとあれば、弟子達を高野山に派遣して一生かけて密教を勉強させた筈だろうし、そうでなければ比叡山も高野山も、今日の存在は有り得ない筈である






日蓮が他の宗派を否定したのは、現代のような恵まれた社会に生きる我々の理解が及ばないくらい、世の中には不敬や殺生が蔓延していたのだろう






そんな折に大陸から、晴天の霹靂の如く蒙古の艨艟が日本列島に襲来し、破壊と殺戮が行われているのである






一向一揆というのは特定の教団が起こした反乱を言うのではなく、一神教に近い排他的な門徒によって起こされた反逆行為である






尤も下克上が戦国乱世の常套であり、一向宗と呼ばれた部落共同体が、大名を打ち倒して王道楽土を築こうとしたのは自然な動きであると考えるのが、この段階の歴史を理解する考え方である






日本の仏教は、中国・百済から大和国(奈良)に伝えられ、血のにじむような努力で勉強した結果、浄土信仰が起こったり、戒律を教授する高僧の渡来を求めるようになる






比叡山が拓かれたのは、南都仏教を取り巻く権謀術数の世界から隔絶された環境で、仏教が持つ理想の全てを理解しようとしたためである






高野山は、大乗仏教の中でも万物の浄化を求めるのに相応しい環境で、密教に特化した勉強に専念するために拓かれた






鎌倉時代に起こった宗派は、言わば「思想の還俗」と言ってもよく、俗世に生きる衆生をあまねく浄土に導くために広まった






座禅や問答によって真理を追求する禅宗では、僧侶が日常的に行う作務や、人々が日常的に行う家事や労務も修行であるとして人々を浄土に導こうと努力してきた






仏教は元来「寄生宗教」であって、郷土の神々の傍らで自然や衆生を守るために祀られてきており、他宗教を否定するものではない






だからキリスト教やイスラム教も「守るべき大切な兄弟」であるとして、決して否定してはこなかったのである






キリスト教殉難の時代、隠れキリシタンを保護したのは在所のお寺であり、現在でも、保育園を経営するお寺は、子供たちが喜ぶクリスマスの行事も苦にせず催してくれる






日本には多くの宗派が乱立しているが、順位を争うように一つを選ぶのではなく、日本で広まった順番に理解してゆくのが本来ではないかと僕は考える






仏教は万物の意志を理解するための学問であり、全ての物質には神様が宿ると考える日本人にとっては理解しやすい






八百万の神々の化身がすなわち「仏様」だからだ






決して難しいものではないのだよ








おわり