母親講座(第2弾の方)受講中で、まだ最初の方で次が待ち遠しいので、ナリ心理学ブログ記事を漁っていたところです。

記事を読み進めるうちに、衝撃を受けたことがあるので、書き出してみます。

思考整理の意味も兼ねて。

 

1 普通の家族(子が愛されたと感じ、母親に問題があると1ミリも感じない家族)は、当たり前のこととして、子どもを苛めないし、邪魔者扱いしないし、理不尽に非難されないし、八つ当たりもしないし、暖かく家族どおし心が繋がっている。

 

※非ダイヤ家族は基本的にその逆。一時暖かそうでも、根底が違うので、すぐにひっくり返る。 

 

 

2 非ダイヤは心の教育レベルが低い。

  そもそも、普通のダイヤ的な心の繋がり、人間関係の繋がりをよく知らない。

  まともな家(子に理不尽な攻撃をしない)で育っていないからだ。つまり、子に対して理不尽なことをする、言うような母親はそれだけでまともではないと言える。

 だから、ダイヤとは、そもそも母親から心の教育を正しくされた人(理不尽な攻撃や変なことをされなかった)、と言い換えることも可能だと思う。

 非ダイヤ親は、心の教育がまともにされていないので、まともな心の教育を知らない。

 だから、子に対してまともな心の教育ができないので、子を非ダイヤに育ててしまう。

 

 

3 非ダイヤであることの恐ろしさに対する自覚が薄くなりがちである。

  非ダイヤに期待してはいけない。

  親が非ダイヤなのに子がダイヤになるとでも思っているの?

  余裕で非ダイヤになるし、もうなっている。

  一刻も早く親がダイヤを思い出さないといけない。

  非ダイヤ人生のままで終えるとすると人生棒に振ったようなものであるが、特に非ダイヤの中でもヤベー奴と結婚してしまうことが最大のリスクだと思う。

 

 

4 母親が(精神的な意味で)人間だと思うことは母親に未だ愛を期待していることになる。

  ここまで来たらどうやったって治らないのだから、自分は便座カバーに育てられたのだと認識しなければいけない。

 

 

5 非ダイヤは自己評価を高く見積もりがちだが、そうすると現実(どう考えても見積もりよりも低い)とのギャップから目を背け続けて、現実を否定し続けるから問題が何も解決しない。

 非ダイヤな時点で、心の教育がまともにされていないわけですから(心の中卒)、自分のことを相当下だと見積もる必要があると思います。

 だって、ぷダイヤなだけで心がマトモということだから、人として普通ってことになって、そっからの上があるかどうか(挑戦とか向上とか)って話なんだけど、非ダイヤは心がマトモではない(まともな家族を知らない)ということだから、人として「自然な」交流ができなくなって、当然社会的にも下っていう見積もりになるんですよね。

 多少仕事ができてそれなりに出世して社会に適応していても、心がアレですから、見積もりとしては下ってことになると思います。

 

 

 

以上を総合すると

非ダイヤであることはいることは人生を破壊する(子の人生も)から

母親問題と早急に最短コースで向き合って、自分が便座カバーに育てられたことを見つめて、「母親を理解して」母がこうなったのも仕方なかったんだなと理解して諦めて、

自己評価も下げてその自分を認めて楽になって、他人の評価を気にしないように自由に生きていく、それしかない。

 

 

大体こんなことかなーと思っています。

ただ、本当に1は衝撃的でした。

今まで生活する中であったダイヤな人たちの雰囲気ってのは、この人たちなんか違うなあってのは、ナリ心理学ができる前から私もよく分かっていました。

それが、そもそも、育った家庭が自分のとは完全に真逆なんだなと、物理的には同じような家であっても、居る人たちが全く違う(家族間で好意的な関わりをするし遠慮しない。ましてや理不尽に子どもを苛めたり攻撃しない)んだなと。

 

普通の家ってのはこうなんだなと言うことが一番衝撃的な事実でした。

 

まあ、その家で育ったことがないから分からないけど、youtube動画のイメージから推して知っているだけですが、もし本当に何日か一緒に暮らしたら、より深く実感するんだろーなーって思いました。

 

 

ヤバいよほんとに。

非ダイヤ問題

 

 

(おわり)