今まで、愛されたことはあったが※、それを真正面からの受け止めたことがなかった。愛された自分に酔いしれるだけの事はあっても。

※毒母から愛されたという話ではない。


受け止めなければ気づかない。


だから、今まで愛されたことがないと思う。


だから、愛された時の満たされた感、幸福感も分からない。


だから、「愛されたい」の意味が分からない。


ただし、愛された場合でも不純物がない愛された、である必要がある。なぜなら、不純物が混じると波長が変わってしまうのだ。

だから、愛されたというのは基本的にダイヤな人たちとの関わりからしか生まれない。



で、ダイヤな人たちとの関わりの中で愛されたことを感じそれを受け止めたことで幸福感を覚えると、愛されるとはこういうことか、というのを知る。

だから、愛されたいの意味が分かる。

ただし、こういう経験をすると満たされるので、やたらに愛を求めなくても不安じゃなくなる。


そして、愛を知った非ダイヤは、普通の人たち(いわゆるダイヤ)は、ごく日常的に、こんな風に人と関わっていたのか!?

と知って今更ながらに愕然とするのである。そして今までの人生の損の大きさを改めて思い知りつつも、昨日は戻らないことも嫌というほど知っているから、前に進まないと損を拡大させるだけだということを理解して、進むのは前だと思うのである。