予定帝王切開で出産した日。
りきやの誕生日。10月4日。
元気な産声を上げて生まれてきてくれました。
お腹から出てきた瞬間、涙が溢れていました。
赤ちゃんを見た後、すぐにNICUへと運ばれました。
その後、私は帝王切開した部位の激痛と発熱でうなされた1日でした

次の日、個室へと移動し、早く我が子に会いたいがために歩く練習や搾乳をせっせっとしていました。
お昼過ぎに看護師さんから「赤ちゃんに会いにいきませんか?」の問いに、すぐさま「会いたいです!行きます!」と答えドキドキしながらNICUへの扉を開けて会いに行きました。
ベッドに寝かされていた、りきやの胸に心電図、腕に点滴、頭に脳波の機械、鼻にチューブ。
更にドアすぐ隣にはAEDが置かれていました。
りきやの寝顔を見ていたら、循環器の先生から「お話があります」と言われ別室へ移動。
「生まれてからすぐに検査をしたところQT延長症候群(家族性突然死)と言う心臓の循環の病気です。6か月から1年ぐらいしか生きる事ができません。症例が少ないため手探りで治療をしてしていきます。」というふうに循環器の先生に言われました。
思わず私は、「6か月から1年ですか?」と聞き返しました。そして続くように「ペースメーカーを入れたら大丈夫なんですよね?」と聞いていました。
詳しく聞くと、NICUに入ってから何度も痙攣を起こし心拍数が下がり危篤状態だったが持ち直しています。いつ、同じ状態が起きるか分からないと。ペースメーカーは1歳過ぎてからでないと埋め込む事が出来ません。と返事をもらい切開した場所を押さえながらフラフラと部屋へ戻った記憶しかありませんでした。
部屋に戻ってからは携帯でQT延長症候群について調べて、、、退院するまで、ずっと泣いてました。
切開したお腹は、痛いわーでも、りきやに重い病気を背負わせてしまった責任感や悲しみでいっぱいになりながらも搾乳し母乳が入ったパックをNICUへ持って行く入院生活でした。
持っていった時は必ず、りきやに会い、抱っこしたり沐浴やおむつ交換、直接授乳の練習をしていました。
だけど、退院するのは、私だけ。
りきや1人NICUに残しての帰宅でした。
自宅に帰る時も、家に1人でいる時も泣いてばかり。
冷凍庫には母乳パックで埋まっていました。
先に搾乳した母乳パックを旦那と一緒に持って行く日々を送っていました。
